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綺姫伝奇考  作者: 奇水
2/2

Act.2


(どうしたものかな)

 夕餉を食べ、その後客間に通された守道は、板間の部屋に一枚だけ敷いてある畳の上に寝そべった。かって知ったる我が家といわんばかりの態度である。そのまま右肘で体を支えながら、ただ一つだけ灯された蜀台を見詰める。

 暗闇の中で、蝋燭の小さな火がゆらゆらと揺れていた。

 彼がこの城を訪れたのは、姪が内村と揉めて合戦が起きると聞いたからであったが、まさか今の時期にこれほどの兵が集められているなどとは予想していなかった。今は皐月なのだ。戦を起こす頃合ではなかった。

 合戦に時期というのも奇妙に聞こえるかも知れないが、この時代の合戦というのは基本的に農閑期に行われていた。考えれば当たり前の話である。当時の武士というのは、農民と明確に区分することは難しい。元々武士というのは地方の農場主が武装化したものが起源であり、それはこの時代においては特に地侍と言われる層がそのような存在であった。彼らは合戦のある時は武装し、そうでない時期は農業に従事していたというのが普通である。無論、全ての武士がそうであるという訳ではないが、戦争専門に特化した武士というのはもっと後の時代、織田信長による兵農分離などが行われるのを待たなくてはならない。

 ならば、内村が集めた兵士は何なのか。

(地侍は、そんなにいた風ではないな)

 ざっと眺めていた限りでは、どうやら牢人の類がかなり大目にいた様子だった。

 牢人というのは、主家を持たない武士のことを言う。この時代では各地の合戦では彼らは当たり前のように参加しているものであったが、それにしても今回はその割合が多いように見えた。

(だいたい、二百近くはいたが……せいぜいが百五十くらいか? 正確な数は解らんが、どう見ても家臣は多くて二十か三十か――ほとんどが牢人者のようだな)

 あるいは、もっといたかもしれない。

 内村家の動員できる地侍やらの家臣の数は、農閑期でも無理に総動員して百あれば多い方ではないかと守道は見ている。騎馬ともなれば五騎か、せいぜい十騎だろう。

 戦国時代であっても、何千もの兵力を家臣として抱えていられるような家はそう多くない。そういうことができるのは大名とか言われるような連中のことだ。氷川家も内村家も国人という程度の地方領主であったが、そんなに大した兵力を保持できるはずもない。ここらは山間の地である。人口からしてそんなにいないのだ。

 この城にいる者も、本来は非戦闘員である女子供を合わせて五十人といまい。

 単純に兵力差で三倍かそれ以上か……向こうは牢人中心で統制が効いてないとしても、こちらはこちらで陣地が山の上であって待ち受ける側であるとしても――やはり、戦力は圧倒的に少なすぎる。今のこの瞬間も、脱走している兵士はいるのではないかと思われた。武士の忠義などを期待できる時代ではまだなかった。

「……だめだな。どうにもならん」

 兵法、というのは狭義では武術のことではあるが、広義においては戦術、戦略のことも含めている。勿論、この時代の日本では六韜、孫子がせいぜいであったが。守道は兵法者として当然のことながらそれらも心得ていた。元より鬼一法眼流は六韜などの軍学との関わりが深い流儀である。それらの知識を総動員するまでもなく、この合戦がどういう帰趨にいたるのかは予測が出来た。いや、考えるまでもないことだった。

(負けだ――いや、ただ負けるだけではないな。一兵残らず殺しつくす気だろう)

 さすがに通りすがりに陣容の全てを見ることはできなかったが、その殺気立っている空気のようなものは感じ取っていた。

 そも時期はずれの合戦を無理にでも仕掛けるのであるから、内村家の連中の意気込みのほどは解ろうというものである。

「さて、どうしたものか――」

「どうにもなりませぬ」

 戸板の向こうから、声がした。

 守道はおもむろに体を起こすと、それを見計らったように戸板が開き、水干姿のこの城の主にして彼の姪が入り込んでくる。先触れも供の一人もいない。自ら蝋燭を持っての入室だ。

「聞いていれば、だめだのなんだのと好き勝手に言われますな。一騎当千の兵法者であるところの伯父上ならば、この窮地もどうにかなるのではないかと期待しておりましたのに」

「自分でも本気にしてないことを言うな……というか、どうにもならぬと言うたのはお前だ」

 溜め息交じりに言い返した守道は、目の前に正座するあや姫を目を細めて見詰めた。

「時期はずれの合戦だ。管領も関東公方も、動きが鈍い。国主からして何がおきているのかもよく解っていないぞ。今度のことは内村家の完全な独断専行だからな。とはいえ、やはり時期外れだ。援軍を連れて駆けつけてくれるなどということはない」

 一ヶ月保てばあるいは……と言いかけたが、そのような篭城戦はこの規模の城においては非現実的である。

 戦史に残るような合戦であるのならばともかくとして、こんな一地方の小さな城で、そんな期間持ちこたえられるはずがない。

 かと言って、過去篭城戦というものは援軍の当てがなければとてもできない。

 つまり――この城にいる者の命運はすでに尽きた……ということだ。

 守道の言葉はそれをまざまざと示していることであったが、あや姫はそれに答えず、

「軍使は交わしております」

 と言った。感情の欠片もない、静かな声であった。

「明日の正午に開戦となります」

「ふん……」

 守道は頭をかき、「降伏はできんのか」とぽつりと言った。

 その言葉に何を思ったのか、あや姫は目を伏せてから呼吸五つほどの間沈黙した。

 そして。

「無駄です」

 瞼を開けて、そう言った。

「彦左殿は、私たちを生かすつもりはないでしょう」

「――何があった?」

 遂に、聞いた。

 再会した時から、夕餉の時から、今の今まで、ずっと問いただしたかった。

 この時代、親族知人が命を失うことなどそう珍しいことではない。合戦はそうあるものではなかったが、それでも病いや強盗……人が死ぬに足る事象は数多くある。守道は若く見えるが、それでも五十歳を超えている年齢だ。戦国時代の平均寿命は一説によれば三十五歳前後と言われている。大往生といえるまで生きた者はそう多くなかったと思われる。その中で五十代というのはかなり長生きしている部類だ。それゆえに、当然、多くの死を見ることとなった。その中には親族も知人も数多くいる。彼の兄弟で、今の今まで生き延びている者は都に残した腹違いの弟が一人だけだ。姪も甥も従姉妹も伯父も叔母も、みんな先に逝ってしまったのだ。

 それなのに、あるいはそうだからこそ、もう親族の死は見たくないと守道は思っていた。

 それが適わぬ願いであると知りながらもだ。

「内村家の坊主には会ったことはないが、悪い話は聞いたことがない。それに内村には氷川の先々代の姉が嫁いでいるという話だろう。ならば内村は氷川の親族だ。昨今はそんな縁戚関係とてたいした重みもないかも知れんが、それでも」

「彦左殿の祖母殿が、私の大伯母にあたるそうです」

 遮ったあや姫は、それから深々と頭を下げた。

「あや――」

「聞いてくださいますな」

「………噂は聞いているが」

「!…………ならば」

 手を突いて伏せている姿勢のままであったが、自分の言葉にびくりと震えたのがあからさまに見て取れた。

 守道もまたうつむき、逡巡した末に、


「鬼の子を産んだそうだな」


 言った。

 言ってしまった。

 言うつもりのない言葉だった。

 言いたくもない言葉であった。

 しかし。

 しかし――

「見晴山の鬼姫が鬼の子産んだ、鬼と通じて鬼を産んだ……まるでわらべ歌だな」

 あや姫は顔を上げて、自分の伯父を見上げた。

「……伯父上」

「俺は天狗の化身だ」

 守道は腕を組んでいた。

「その俺の姪が鬼の子を産もうと、仏を殺そうとも不思議じゃないさ」

 ――何を、とあや姫が口にしかけたが、守道はそのまま言葉を続けた。

「覚えておけ。俺は、お前の伯父でお前は俺の姪だ。そして、俺は天狗の化身だぞ。今更、化け物が身内になったところで気にせぬ。鬼の子であろうとなんだろうとだ。だから、あや、お前が」

 なんと続けようとしたのか、それは遂に語られることはなかった。

「ありがとうございます」

 この上なく強いあや姫の声で、それは遮られたのだから。

「ありがとうございます……伯父上……」

 暗闇の中で、自分の姪の白い肌の上を涙の雫が流れていくのを、佐伯守道は静かに眺める他はなかった。



  ◆ ◆ ◆


 

「鬼の子とは、結局何のことだろうか――ということですか?」

 館長代理は『神州剣談録』を読み終えてから、史料を並べて二人の質問に答えていた。

「鬼の話は、古代から中世にかけてにぼちぼちとでてくるんですが」

 立ち上がり、図書館の本棚を眺めている。適当な史料を探しているようだ。

「戦国時代の話にはあんまりでてきませんか」

「古代から中世になるにあたって、鬼から天狗になったとはよく聞く話ですが……」

 具体的にはどういう風に説明すればいいのやら――となにやら考えている様子だった。

「鬼という言葉は、元々からして具体性を欠いている言葉ですね」

 語源はおんであるともいうが、否定している研究者もいる。

 現代人が安易に思い浮かべるような角のある、虎の腰布の姿というのは陰陽道やら仏教などの影響を経て定着したイメージであり、最近のものであるという。

 牛の角と虎の皮というのは丑寅を鬼門とする考え方からきている……という、比較的知られている薀蓄を呟きながら、館長代理は歩き回っている。どうにも上手く「鬼」という言葉を説明しきれないらしい。

「鬼そのものの定義は、それこそ漠然としていますね。現代人だって鬼と言う言葉を簡単に使っている割に、それがどういうものなのかというとそれこそいい加減にしか捉えていません。ほら、鬼のような――という言い方もするし、勝負の鬼とか野球の鬼とか、そういう言い方もするでしょう」

 司郎は、聞いていて「そういえばそうだ」と思った。普段普通に使っているからあまり気にしていなかったが、自分は何気名君「鬼」という言葉を使っている。

 彼が思ったのはその程度のことであったが、真弓はそれで何かを思いついたようだった。


「もしかして……鬼ってのは、理解できない怖いモノ――のことなんじゃないですか?」


 それは、ただ口をついて出ただけの言葉であったのかもしれない。

 しかし、なんとなく受け入れやすい言葉だった。

「そう……ですね。そう考えると、解りやすいですね。怖くて恐ろしいものを呼ぶときに使う記号と考えた方が」

「綺姫は鬼に力をもらったかのような剛力の人だったから、そこから恐怖感を呼んだんじゃないかって、そうも思ったんですけど……」

 真弓は前髪を押さえていた。

「そんなことくらいで攻め滅ぼそうとするのも変な話だし……」

「ふむ――辻さんは、ある程度の目安をつけていたみたいですね」

 改めて椅子に座りなおした館長代理に促され、真弓は頷いた。

「『綺姫伝奇』では、鬼というのは山人のことだってかかれていましたけど――山に住む、人であって人の敵わない力を持つ者たちとか。そういう人たちが現実にいたら、さぞ恐ろしく見えたのかもしれません」

「なるほど……」

 静かに館長代理は相槌をつく。

「例えば、忍者なんかいたらどうなんでしょう?」



  ◆ ◆ ◆


 

 佐伯守道は五十代の公家であるが、推参者として幾度かの戦場で戦ったことがある。

 それにしても、水無月での合戦というのはおよそ覚えがない。

 前述したが、この時代の合戦というのはおおよそが農閑期で行われるものだからだ。だから、この時期での合戦というものは百戦錬磨である彼とても知らぬことがある。いや、知らないということはなかった。想像すればわかることではあった。だが、実際にそれを経験してみないと実感できなかった。なるほど、まだ知らぬことは幾らでもあるのだと改めて思う。

「……暑い」

 のである。

 とにかく蒸し暑いのだ。

(こんな時期に具足なんぞ着てられんな)

 あや姫が水干などを着ているのも、そういう理由からであるという。昨日の夕餉の時に冗談めかして言っていたが、ことこういう状態になるとなるほどと思う。

 そんなわけで、彼の今の装束はこの城にきた時と同じだった。

 柿色の直垂姿だ。

 門の正面に十五人ほどと陣取り、静かに襲撃がくるのを待っている。

 すでに正午は回って四半刻(三十分)は経過していた。

 開戦しているはずなのだ。

「伯父上」

 あや姫が後ろに立っていた。三人ほど共を連れている。若い武士が二人と、三十を過ぎたほどの女だ。手に持っているのは薙刀である。女ではあるが非戦闘員ではないようだ。

「内村は、どういう風に攻めてまいるのでしょうか」

「さてな」

 そんな風に答えながらも、そういう話は軍義の時にすませていた。

 その通りに相手が仕掛けてくるのかどうかは解るものではないが……大方は間違えていないだろうと守道は考えている。合戦の経験がある者は他に何人かいたが、そのことについて異議は出なかった。

(まずこのみはらし城には正門が一つしかない)

 ここをまっすぐ攻めてくる部隊と、あとは周りから山の中を進んでくる部隊と――部隊、などと書いたが、牢人たちでは統制が利いているとも思えない。せいぜいが役割分担という程度のことだろうが、兵を二手に分かれさせて攻め込んでくるはずである。ここは山の上のある城ではあるが、山はそれほど急斜面というものではない。木と木の隙間を縫って兵が攻め上ってくるのは想定の範囲内である。

 だから、台地の裾にある木や藪は刈り込んで、登ってこられたらすぐに見て取れるようにしてあった。

 這い上がってきたら、石をぶつけるとか丸太を抱え込んだ何人かで叩き落す。むこうは矢だの投石などを仕掛けてくるだろうが、斜面からでは正確な射撃などできるはずもない。台地の周囲はそれなりの長さになるが、五十人からで応対したら一日くらいはなんとかなるだろうか。

 あとは正門からの正面突破を狙ってくる連中だが、それらに対しても道の広さがせいぜいが三間(5・4メートル)程度である。なけなしの騎馬で突っ込んでこようとしても、二つ並ぶのがやっとだろう。兵士たちもいいところ四人か五人か。そういう連中は盾で石や弓矢を防ぎつつ、槍で応じればいい。

 定石通りといえば、まったくの定石通りの応対だった。

「あと、向こうも、この蒸し暑さでは常の通りに動けまい」

 手を団扇に顔へと扇ぎながら、守道は言う。そうすると乾いたような笑い声が周りで起きた。

「違いない」

「坂を登ってる途中でばてるんじゃないか」

「汗をかきすぎてると倒れるしな」

 と口々に言う。

 それらは自分たちも同じ条件ではあるが、そのことについては今は考えないことにしているらしい。まあ、待ち受けるほうがまだしも楽ではあるのだろう。それとてもいつまでもは持つまいが。

 楽観などは、とてもできる状態ではない。

(汗をかきすぎると塩が欲しくなるが……あと水もどうにか足りるのかね……井戸があるから、しばらくは持つか)

 守道はさまざまなことを考えている。きっと、他の兵士たちも考えているはずである。考えれば考えるほどにジリ貧であるということが解るだけだった。適うことなら、とっとと姪を連れて逃げ出したいところだ。それでも南中を少し下った日差しを横目にしながら、まったく希望がないわけでもないかと思い直した。

「二日……四日、耐え切ったら、あるいは……」

 牢人たちの統制が、完全に失われる可能性はある。

 この蒸し暑さの中での合戦などというのはいつまでもやりたくないだろうし、牢人に対する恩賞というのは基本的に攻め込んだ土地の略奪で賄われる。ただでさえこの山の中の領地で大したものは奪えはしないだろう上に、この蒸し暑さの中での合戦だ。牢人連中を統制できるような武将が内村家にいるとも聞いてない。四日か五日くらいほっとけば、勝手に瓦解することだってあり得るのだ。

 もっとも、その四日だか五日だかの時間を稼ぐのが至難であるのだが。

 そんな話をしていると、物見櫓から山下を見下ろしていた見張りの叫び声が聞こえた。


「敵襲ー! 敵襲ー!」


 ひゅん、ひゅんと風切りの音をたて、矢が下から飛んでくる。 

 それは山なりの軌跡を描いて降り注がれた。

「姫様、奥にお戻りください!」

 配下の一人が慌てて言うと、あや姫は無言で頷いてから踵を返して陣の奥へと戻っていく。

 矢は竹を束ねた盾に当たって落ちたり、たまに突き刺さりはしても浅かった。距離があるのだろう。この時代の弓ではこの手の盾を貫通させるにはかなり接近せねばならない。兵たちは盾に身を隠しつつ、物見櫓へと叫んだりしている。上から見て、まだ相手が弓を構えているのかを確認しているのだ。いや、確認というよりは早くこの時間が終わってくれと思っている。いつ矢が尽きるのか。盾を貫くことが出来ないにしても、やはり矢の雨の中というのは生きた心地のするものではない。

 もっとも、守道だけは盾に身を隠さずに立ったままで道を見ていた。

 危ないと声が何度もかかるのだが、そのことに特に心を動かされた風でもない。

「そうそう当たるものか」

 と言いながら、たまに自分へと当たりそうになる矢のみを棒で叩き落している。

 そのたびに歓声が上がったりした。

 守道の顔に獰猛な笑みが浮かんだ。

「当たらぬ矢で死んだ馬鹿はいない!」

 応えるように「おー!」と雄たけびがあがる。

 意気軒昂たる様をみせつけるためか。ただ興奮のあまりに叫びがもれたのか。

 やがて、矢の雨も途切れがちになった。

「そろそろ、印地(投石)が来るか」

 誰かの声が聞こえた。 

 守道は「うん」と誰とも知らない相手に答えてみせた。

 合戦は遠い間合いからの攻撃から、次第に接近してくるのが常だ。まず弓、次が印地、そして接近しての乱戦――である。

 投石というと現代基準で考えるのならば何やら貧相なイメージがあるが、古代から中世にかけては世界中でかなりの猛威を誇っていた。何せ補給が楽で、投石器スリングを用いればかなりの距離を投擲することができたからだ。古代ギリシャの医学書には、人体にめりこんだ投石を取り除く方法が紹介されているという。鎧なしでは人体を貫通することさえあったそうだ。

 日本の場合は、てぬぐいなどを利用した投石器を用いていた。

「大分寄ってきたぞー!」

 物見櫓からの声が聞こえる。

 矢に混じって、石の弾丸が入りだした。誰かの盾に当たって派手な音を立てる。まだこの竹の盾を抜くことはまだできない。だがしかし、一撃でかなりめり込んだ。何度も喰らっていたら壊れる。

「ふん」

 守道は矢も石も適当に捌いていたが、やがて目を細めて後ろへと下がる。

「どうにも、突っ込んではこないようだな」

「道が狭いですからね」

 誰かが答えたが、守道は何も言わなかった。無言のままに手で合図して後を任せ、背中を向けた。

 石と矢はまだ降り注がれている。


 

「早く石を!」

 悲鳴が聞こえた。

 正門からちょうど裏側の台地の端で、積み上げた石を投げ落としている兵士の声だ。あらかじめ用意して積んであったものが、すでに半分近くは消耗していた。本来、陣地は上をとった方が有利であるが、ここは傾斜が緩く、木も残っている。そうすると、射手は坂の途中から木を背中に預けて弓を構えることができる。矢は何本もが高台の上に届いていた。そうなると覗き込んだら撃たれるかもしれない、という恐怖感が先に立ってしまい、石を投げ落とす方も狙いをつけずに落とすことになる。実際に何人かが撃たれてのた打ち回ってたり、そのまま死んでいた。そうすると必然、命中率が悪くなる。結果として何度も投げることになり、石の消耗を無用に増していた。

 勿論、そんな兵士だけではない。

「登ってくる! 登ってくる! 落ちろ落ちろ落ちろ!」

「馬鹿! 見ながら落とせ!」

 恐怖にかられて、石をとにかく投げ落としていく兵もいれば、狙い撃ちをしていく兵もいる。実戦経験の差か、それとも覚悟の差か。

 と、一気に傾斜を駆け上り、台地に躍り出た兵士がいる。胴鎧もつけずに鉢金だけ額に巻いている背の高い男だ。背負っているのは四尺の野太刀に三尺の長柄をつけている長巻。戦国時代においては、よく使用された武器である。

「おおっ」

 男は叫び、背の長巻を一気に振り抜く。

 それだけで石を落としていた兵士が三人、吹き飛んだ。二人下に落ち、一人は仲間に当たる。

「常陸牢人! 陰流太刀術・滝口乱蔵! 推参なり! 一番駆けの功もらったー!」

 叫ぶ。

 叫ぶ。

 呼応するかのように何人もの男たちがよじ登り、這い上がり――

 二人目は顔面に拳大の石を埋没させてそのまま落ちていき、三人目は額に当てられてその場に崩れ落ちる。


「みはらし城の城主、あや姫」


 すらりと水干姿で現れ出でたのは、額に白い鉢巻、左手に野太刀を持った少女――あや姫であった。

 彼女は「うろたえるな!」と一喝し、右手を振った。

「各自、持ち場を離れるな! 此奴はここで私が仕留める」

 その声に、

「おおっ」

 と応えたのはみはらし城の兵たちであり。

「は!」

 と吐き捨てるように笑ったのは長巻の男、滝口乱蔵であった。

「一番駆けの上に大将の首級を挙げられる機会を得ようとは! 推参の甲斐があったというもの!」

「推参者か。文字通りの抜け駆けとは、面白い」

 あや姫も笑った。

 推参者とは、戦場において雇われてもいないのに勝手に参入し、戦いに加わる者をいう。軍団編成などがいい加減だった時代ならではの産物である。

「噂に聞いた鬼姫相手となれば、相手にとって不足なし。愛洲家直伝の陰流太刀術の精妙を――」

 乱蔵の言葉が途切れたのは、目の前にいたはずのあや姫の姿が突然に消失したからである。

「やああああ――ッ」

 叫ぶ声は頭上から聞こえた。

 顔を上げることはかろうじてできた。だが、長巻を掲げる暇はなかった。

 閃く白刃の軌跡は、天から地への一条のみ。

 着地したあや姫は、野太刀を振り切った姿勢を崩さずに呟く。

「――音に聞こえた陰流の技、このような時でもなければ味わってもよかったが」

 そしてそのまま前のめりに倒れようとしている推参者を野太刀の柄で弾き飛ばす。

 どのような術理か強力が働いたものか、男の体は高く舞って傾斜を転げ落ちてゆく。

「鬼一流兵法、天狗飛びよりの一太刀、見事だ」

 背中にかかった声に振り向かず、あや姫は頷いた。

「思っていたより、面倒です」

 いつの間にか応援に来ていた佐伯守道もまた、その言葉に同意する。

「待ち受ける側が有利であるにしても、な。周囲を守りきるのはこの数では無理がある」

 本来なら戦国の山城は、陣屋建てにしてももう少し守るに適した形態をとっている。だが、このみはらし城は違う。本当に、ただ立てられたというだけの城であり、合戦の舞台になるということは想定されていない。櫓もそんなに高くないし、そもそも斜面の際に立てられてないというのが問題である。櫓の外に出てこうして追い落とさないといけないというのは本末転倒にもほどがあった。

(いや、それにしても……)

 守道は兵士たちの顔を見渡した。

 理不尽な理由での戦さであり、鬼の子を産んだと言われる姫を守るためだというのに、随分と士気が高い。先晩は脱走している者もいるだろうと彼は思っていたのだが、点呼をとっていた者から聞くと一人として城から逃げ出した者はいないという。

 慕われているのだということがよく解る。

「これならなんとか、あるいは……」

「伯父上!」

 叫ぶ声に、しかし守道は反応しなかった。

 するまでもなかった。

 彼は知っていたのだ。

 飛来した矢を片手の小太刀で切り落とし、直後には跳躍してからの一閃は二丈先の内村勢の武者の首筋へと落とされた。鬼一流兵法天狗飛び。そこからさらに続けて地を蹴り、矢を落とし、次々と這い上がってきた者たちの首を切リ、腕を裂き、尽くを血祭りにあげていった。

「これが噂の鬼一流の八艘飛び――」

 感嘆する声は誰があげたものか。

「たわけ者どもが」

 佐伯守道は一旦着地してから、小太刀を頭上に掲げて見栄を切った。

「八艘飛びは九郎判官の技だが、所詮は天狗の弟子の技――俺は天狗の化身だぞ」

 ここで格好をつけて技の名を叫んだのだが、その前に鬨の声が上がり、それは掻き消えてしまった。

 守道は何処か面白くもなさそうな顔をしてしまった。



 つづく

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