彼のオリ
彼はオリを見つめる。
ああ、もうどれ位こうしているのだろうかと、彼は目の前のオリを見つめる。
彼の目の前にあるのは、幾条もの冷たい筋交いで仕切られた――オリだ。
彼は檻を見つめる。
ああ、もうどれ位こうしているのだろうかと、彼は目の前の檻を見つめる。
彼の目の前にあるのは、幾条もの冷たい筋交いで仕切られた――檻だ。
何故彼がここにいるのか、彼には分らない。
彼に分かるのは、彼は檻に入れられているという事実だけだ。
そして彼を彼たらしめているのは、この檻の中に入っているのが彼だという事実だけだ。
この檻の中にいるからこそ、まさに彼は彼であったのではなかろうかと、彼は思う。
だがもういい。もう何年もその考えに彼は囚われた。
彼はこの檻から自由になろうと思う。
彼は頭をグッと檻に押しつけてみる。
もちろん檻だ。彼の頭など通るはずもない。頭でっかちとはこのことだと彼は思う。
しかし頭以外は何とかなりそうだ。
そう、頭以外はすんなりとこの檻を出られそうだ。
それなら――
彼は左手の小指を試しに、グイと捻ってみる。まさに身を切るような痛み、いや身を捩じるような痛みが全身に走る。
だがうまくいった。彼は捩じ切れた小指をそっと檻の外に置く。
ああ、なんて自由な小指だと、彼はその有り様を見て歓喜に震える。その小さな自由に、彼は俄然勇気を得る。
彼は迷いを振り切るべく、続けてやはりグイッと左足の踵を捩じ切った。
彼は捩じ切った左の足首を、檻の外に置いた。小指の横だ。また一つ自由になれた。
続いて踝から膝、膝から腿の付け根までと、捩じ切る度に檻の外で組み立て直す。
彼が己が身を捩じ切る度に、檻の向こうに自由にしてやる度に、そこにはもう一人の彼が組みあがっていく。
胴体は内臓毎に、そして骨毎に分解した。彼は檻の中から手を伸ばし、檻の外でもう一人の彼を組み立てる。
作業はとても難しい。支えるべき足がない。軸となるべき胴はひどく空っぽだ。何という頼りのなさだ。
彼は体をくねらしながら、彼の体を捩じ切り、彼を組み立てる。だが――
ああ、分かっていたことだ。どんなに首から下を解体しようにも、やはり頭は通らない。
彼は彼に左目を渡しながら、そう思う。左目を受け取った彼は、それを左の掌にのせた。
彼は瞳孔をこちらに向けて左目を脇に置く。
彼は左手を檻に差し入れ、彼の右手を引き抜いた。
ああ、持っていかないで欲しい。残った右目で見て、彼はそう思う。
彼は右手を彼のものにする。
彼は右手を檻に差し入れた。頭を引っ張ってみる。だが、やはり――
やはり彼の頭は通らない。彼は少し思案する。ありもしない頭を傾げるために、首の筋肉を動かしてみる。
彼は代わりに、彼の右目を引き抜いた。
ああ、持っていかないで欲しい。暗闇の中で、彼はそう嘆願する。
少しだけ、暗闇に沈む時間を彼は味わった。
ゴリッという鈍い音がして、彼はこめかみに痛みを感じる。
そう、通らないのなら小さくすればいい。それはやはり彼らしい発想だ。
ああ、だが待って欲しい。
彼はやはり嘆願する。
そんなことをすれば、その中にある、とても傷つきやすい彼は――
彼は澱を見つめる。
ああ、もうどれ位こうしているだろうかと、彼は目の前の澱を見つめる。
彼の目の前にあるのは、幾条もの冷たい筋交いで仕切られた――澱だ。
髄液の中に沈む、醜い澱だ。
砕け散った骨片を拾い上げ、頭がい骨を組み立てながら、彼は思った。
これを拾い上げると、彼はどうなるのだろうかと、彼は思う。
この澱の中にいるからこそ、まさに彼は彼であったのではなかろうかと、彼は思う。
だがもういい。もう何年もその考えに彼は囚われた。
もう彼はこの澱から自由になろうと思う。
彼は檻から足を差し入れるや、その澱をグイ――