09 疑惑の王子様
その夜あたしは何ヶ月かぶりに、実家の部屋で眠った。
本当はこの寝台を第五王子殿下に貸そうと思ったのだが、当人が「いやいや! 女性のベッドで眠るなんて、とんでもない!」とか言って盛大に断るから、とっとと自分が使うことにしたのだ。
――ちなみにあたしの寝台を拒否した第五王子殿下には、古びたソファに寝てもらってる。
寝返りをうちながら、溜め息をついた。
「あーあ、明日からどうしよう」
マックスとあたしが陸橋から飛び降りたことは、鉄道会社にも知られているだろう。
きっとあの後、大騒ぎになったに違いない。
「せっかく、いいシマだったのに!」
しばらくは老女の姿では汽車に乗れない。
どうやって稼ごうか。
そんなことを考えているうちに、少しずつ眠くなってきた。
眠りに落ちる直前、ふと思い出す。
(あれ? 『真実の瞳』って、魔女や魔術師の血をひいている人にしかあらわれないんじゃなかったっけ……)
+ + +
「いやー、パンを作ったのは初めてだよ。結構大変なんだね」
「そうよ。これからはパンを食べるとき、作った人に感謝しなさい」
「わかった。そうしよう」
マックスとあたしは義父さんの家を後にして、一番近い駅に向かう。
一番近いと言っても、歩いて半日はゆうにかかる距離だ。
義父さんのパンは夕べの食事で終わってしまったので、朝早くにマックスを叩き起こして作らせた。
パンを捏ねるのは重労働なので、男手の方が都合がいい。
「いい? 一宿一飯の恩義ってやつよ。パンのひとつも焼いてくれなきゃ、いくら王子様だからってタダで人ん家泊まれるなんて、思わない方がいいわ」
「うん、わかった」
本人は素直に頷いて、あたしの指示通りに小麦粉を練って捏ねる。
その後は一緒に成形して濡れ布巾をかけ、ストーブの近くにしばらく置いた。
「倍くらいの大きさに膨らんだら、オーブンで焼くわよ」
「ああ。疲れたけど、楽しかったね。焼けるのが楽しみだなあ」
+
そんなわけで、作りたてのパンとヤギのチーズ、それにヤギのミルクで腹ごしらえをして、あたしたちは王都に向けて出発した。
肩掛けカバンには昼食用のサンドイッチも入っている。
うん、準備万端!
と思ったけど、マックスが昨日落ちた拍子ににあちこち破りまくったフロックコートを着ようとしているのを見て、慌てて止めた。
「ちょっと! それ着て王都まで帰る気?」
「だって今ここに、私の上着はこれしかないからね」
しばしあたしは考えを巡らせる。
昨日あたしたちが汽車から飛び降りたことを、当然鉄道局は知っているだろう。
とすると鉄道局の人なり警察の人なりが、あたしたちの「死体」を探しているに違いない。
そこへノコノコと、昨日の姿で現れたら大騒ぎになる。
普通あの高さから落ちたら、生きているはずがないんだから。
「義父さん、上着を一枚ちょうだい」
「おいおい、ライラや。それは義父さんの一張羅だぞ」
「その代わり、マックスのコートをもらうわ。いいでしょ? 王子様」
「勿論! でも、そんなボロボロのコートで、マグヌス氏は嫌だろう?」
義父さんはあたしから取り上げようとした自分の上着と、マックスのコートを見比べて笑みを浮かべた。
「いえいえ、王子殿下。わしのものでよければ、喜んで」
レアな義父さんの笑顔を、昨日と今日だけで二回も見たぞ。
そりゃそうか。
十年以上も着古している安物の上着と、どう見ても上等なマックスのコート。
破れているところは繕えばいいだけなんだから、それでこの上物のコートを手に入れられるのは、大した儲けものだ。
そんなわけで、上機嫌の義父さんに見送られ、あたしたちは出発した。
マックスの後ろから、彼の様子を眺める。
義父さんと交換したヨレヨレの上着は着ているものの、長い銀髪と背の高さはやはり目立つ。
「ねえ!」
義父さんに負けず劣らず上機嫌のマックスに声をかけた。
「あんた、もうちょっと変装する必要があるわ。ちょっとこっち来て」
「こう?」
そう言うと目を瞑って真っ直ぐに立つ。
本当に素直な王子様だこと。
あたしはその素直な王子様に向かって両手の平を向けて力を放つ。
「……いいよ」
マックスは恐る恐る目を開けた。
「何をしたんだい?」
その自分の声に、驚いて目を瞠る。
「え? 私の声じゃないみたいだ!」
そう言ってあたしに向かって顔を下に向けたとき、長い髪がさらりと落ちた。
その一束を掴んで、大騒ぎする。
「え? え? 髪の色も変わってる? 茶色になった! うわー」
「そんなに騒ぐことじゃないって。ちょっとばかり変装させたのよ」
「変装? こんな一瞬で髪を染めたのか?」
「染めたわけじゃない。茶色く『見える』ようにしただけ。声も同じ。これなら、あんたが昨日汽車から飛び降りた男と同じ人間には見えないわ」
「もしかして、昨日最初に会ったとき、ライラが老婦人だったのもこれと同じ?」
「そ。飛び降りたショックで魔力が解けちゃったけどね」
マックスはうれしそうな顔で両手に一束ずつ髪を掴み、上下に振っている。
無邪気か。
「君、魔法は『未来を視ること』しかできないって言ってたけど、こんなすごいこともできるんだね」
「……全然たいしたことじゃないわよ。こんなの魔力のうちに入んない。というか、魔女仲間たちには認めてもらえない。本当の変装魔法の達人は、一度に何十人もの人間の姿を変えられるんだから」
「へええ! へええ!」
ニコニコと髪を触ったり、「あー」「あー」と声を出してみたり、子供みたいなマックスを眺めていたら妙なことに気がついた。
王都に出てから、二回くらい第一王子だか第二王子だかの外出に遭遇したことがある。
と言っても直接王子さんを見たわけじゃない。
王子さんは豪華な馬車に乗っていて、その周りにびっしりとお付きの人がいた。
それが警護の人だというのは、近衛兵の制服を着ていたからわかる。
(普通、王室の人が外出するときって、あんな風に衛兵が守っているよね。でもマックスは一人でフラフラ出歩いてる。こいつ、本当に王子様なんだろうか?)




