38 鳥と蛇と栗鼠
「兄に対する敬意が不足しているようだな、愚弟よ」
そう言って邪霊栗鼠の体がぐにゃりと溶けたかと思うと、みるみる大きくなり人間の姿になる。
そこにいるのは、さらさらした淡い金髪に灰色の瞳で、少し頬はこけているものの、なかなかに見目よい若い男だった。
でも妙なことに、寝巻にガウンを羽織った姿である。
寝てたの?
「やはり、あなたか。トールビョルン第四王子。半分とはいえ、自分と同じ血をひく人間の正体が邪霊とは……!」
いつもはおっとりしているマックスが、警戒心を露にした。
「ライラや、あれは栗鼠ではない。ラタトスクだ」
「ラタ……ラスク? 覚えにくい名前ね!」
「神話に出てくる栗鼠だ。世界樹に棲んでいるという……」
あたしが邪リスの名前を噛んでいる間に、義父さんがマックスに感心した。
「そうです。よくご存じですね」
二人の横で、あたし一人が首を捻っている。
「ふん、自慢にもならぬわ。フレースヴェルグ」
栗鼠だったトールビョルン王子が、マックスをまたわけのわからない名前で呼んだ。
「ちょっと! あなたマックスのお兄さんなら、そんなフレなんとかなんて変な名前じゃなくて、ちゃんと本名で呼びなさいよ! マックスの本名は『マクシミリアン』! 長くて呼びにくいなら、マックスでもいいわ!」
「嘆かわしい、女王よ。私のことも、ご自分のことも、ついでにそこの愚弟のことも、なにも覚えておられないとは」
「からかわないで! あたしは女王様なんかじゃありませんからね!」
「いいえ、あなたは女王です。人どもが勝手に決めた王族などではない、神が定めし女王……」
あたしに気取ったポーズで手を差し伸べてくるトールビョルン殿下。
ああ、でもこの人は今、王子じゃないんだろうな。
中身はそのラスクとかいう邪霊なわけだ。
あたしと第四王子の間にマックスや義父さんが回り込み、庇ってくれようとしている。
「ラタトスクや、言っても無駄だ。ライラはわしの神話の講義のとき、いつも舟を漕いでおったからな」
義父さん、あたしを守ろうとしているの?
それとも、けなしているの?
「義父さん、恥ずかしいからやめてよ! それよりあの人、なにを言っているのか、全然わからないんだけど!」
「おお。ご乱心召されるな、我が女王、ニーズヘッグ」
「ニー……? ああもう! あたしの名前はライラよ! 勝手にニーなんとかって呼ばないで! あと、どうみても乱心してるのは、あなたの方だから!」
邪霊にのっとられている第四王子から、恐ろしいほどの黒い邪気が放たれていた。
彼を見れば見るほど、ズキズキとこめかみが痛んでくる。
あたしに、マックスや義父さんに、ううん、この国、この世界に恐ろしい未来をもたらそうとしているのがわかった。
「フレースヴェルグ、ニーズヘッグ、そしてラタトスク。神話に出てくる生き物の名だ」
「へえー。物知りね、マックス。魔術師でもないのに」
あたしはマックスに感心して見せて、余裕がある振りをする。
いや、本当に感心してもいるんだけど。
「まあ、神話は王国の成り立ちと関係があるからね。子供の頃から何度もウリカに読み聞かせられた」
へえ、そうなんだ。
あたしはさっき義父さんが言った通り、神話の話を聞くたびに眠くなって、頭に入らなかったんだけど、マックスたち王族も、この神話の物語に関わりがあったのね。
「つまり、作り話だと思っているのだな、貴様は」
「あれら神話は、王家が王家たる権威付けの為の物語だ。私はそう思っている」
「フレースヴェルグの力を宿しておきながら真理を解さないとは、なんと情けない」
そう言いながらも、薄笑いをするトールビョルン第四王子。
確かにその言葉をまともに聞いてはいけないのはわかるけど、気になることがある。
フレなんとかの力を宿してるって、それはもしかしてマックスが持っている「真実の瞳」のことだろうか?
「そんな間抜けと一緒にいないで、私と行きましょう、女王」
「やなこった!」
手を伸ばしてくるトールビョルンから逃れようと後ずさったあたしだったが、シュルシュルと聞き覚えのある音に気づく。
(吸血樹!)
あの子供の腹に穴をあけて殺した、鞭のようにしなる吸血樹の枝の音だ。
逃げなきゃ!
なのに、恐怖で体が凍り付いて動かない。
驚いた顔のマックスが振り向く。
義父さんも、こちらを見る。
時間の流れが急に遅くなり、二人はゆっくりと動いていた。
あたしは二人に手を伸ばそうとするけれど、間に合わない。
殺される!
吸血樹の枝は、体に突き刺さりはしなかった。
ただ、あたしの首めがけて二重に巻きつき、締めてくる。
「うぐ……っ」
息が吸えなくなり目の前が暗くなった後、意識が遠のいた。
ああ、あたし、ここで死ぬの?
「ライラ!」
「ライラー!」
遠くでマックスと義父さんがあたしを呼ぶ声が聞こえたような気がするけど、あれも夢の中だったのかも知れない……




