第3章「過去からの来訪者」
辺境の地が、わずかながら活気を取り戻し始めた頃。その報せは、風に乗って王都にまで届いていたようです。ある晴れた日、集落に似つかわしくない、きらびやかな一団が姿を現しました。先頭に立つのは、見間違えるはずもない、私の元夫――クラウス・フォン・エルシュタイン王子、その人でした。
「……セレスティア」
馬上から私を見下ろす彼の青い瞳には、驚きと戸惑いの色が浮かんでいました。それはそうでしょう。彼が追放した悪役令嬢は、今や泥のついた作業着をまとい、日に焼けた顔で、逞しく土の上に立っているのですから。
「これはこれは、クラウス王子殿下。このような辺鄙な場所まで、何の御用でしょうか」
私は平静を装い、貴族だった頃の完璧なカーテシーをしてみせました。その振る舞いが、余計に彼の心をかき乱したのかもしれません。彼は馬から降りると、私の目の前に立ちました。
「政治視察だ。辺境の地で、奇跡的な農業改革が進んでいると聞いてな。まさか、その中心人物が君だったとは……」
政治視察、ですか。建前なのは明らかでした。彼の本当の目的は、私の動向を探ることでしょう。私が辺境で反乱分子と手を組んだり、あるいは惨めに朽ち果てたりしていることを期待していたのかもしれません。どちらにせよ、彼の予想は外れたようですが。
「奇跡などではありません。知識と、努力と、そして何より、ここの皆さんの協力があったからですわ」
私の言葉に、集落の人々が胸を張ります。彼らはもう、かつての無気力な民ではありません。自らの手で未来を切り拓くことに目覚めた、私の頼もしい仲間たちです。クラウス様は、そんな住民たちと私の間に流れる確かな信頼関係を目の当たりにして、さらに表情を険しくしました。
「……君は、変わったな」
「ええ、変わりましたとも。王子殿下に捨てていただいたおかげで、自分自身の足で立つことの素晴らしさを知りましたから」
皮肉を込めて微笑むと、彼はぐっと言葉に詰まりました。彼の視線が、私の手元――土仕事で荒れ、爪には土が詰まった、令嬢のそれとはかけ離れた手――に注がれていることに気づきます。彼は、その手を見て、何を思ったのでしょうか。
クラウス様は数日間、この地に滞在することになりました。彼は私の農園を視察し、私が実践している農法について、一つ一つ熱心に質問してきました。堆肥の作り方、輪作の重要性、病害虫への対処法。私は隠すことなく、すべての知識を彼に伝えました。これは、この国の未来のためでもあるのですから。
「なぜだ。なぜ、私にここまで教える? 私を、恨んでいるのではないのか?」
夕暮れの畑で、二人きりになった時、彼はついに堪えきれなくなったように尋ねました。
「恨み、ですか。ええ、もちろんありましたわ。眠れない夜をいくつも過ごしました。ですが、もう過去のことです。今の私には、恨み言を並べている暇などありませんので」
「……」
「私の知識が、この国の食糧事情を少しでも改善するのなら、喜んで提供いたします。それは、かつてこの国の公爵家に生まれた者としての、最後の務めだと思っておりますから」
私の言葉に、クラウス様は何かを言いたげに唇を開き、しかし、結局何も言えずに閉ざしました。彼の瞳の奥に、私が今まで見たことのない揺らぎが見えました。それは後悔の色でしょうか。それとも、単なる憐れみでしょうか。
私にとって、彼はもはや「過去の人」でした。彼との間にあった愛情は、婚約破棄の日に消え去り、今となっては遠い国の王子様にしか思えません。
しかし、彼の方は違うようでした。彼は、土にまみれながらも生き生きと語る私の姿に、初めて見るもののような視線を向けていました。彼が知っている「セレスティア」は、傲慢で嫉妬深い、着飾った人形だったのでしょう。今の私は、彼の知らない、まったく別の人間。
二人の間には、微妙で、そしてひどく居心地の悪い緊張感が漂っていました。それは、過去と現在が交錯する、奇妙な空気感。この訪問が、私たちの関係に、そしてこの国の運命に、新たな波乱を呼び込むことになるのを、この時の私はまだ知る由もありませんでした。




