【痰カス】あけおめ
新年の挨拶を交わす人間などリアルには存在しないので、せめて活動拠点にくらいは筋を通しておいてもいいんじゃないかと思う次第です。
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
2025年はろくな年じゃありませんでしたし、2024年も2023年も、そもそもそれ以前からずっとカスみたいな一年しか過ごしていないので、きっと今年もいいことは起こらないのでしょう。頼んでもいないのに時間が進んでいくことは、負け犬である俺にとっては拷問に近いです。
毎日毎日今年の最低気温を更新するが如く、毎年毎年最低人生を更新するのは辛いことです。元旦の日の出へ最後に希望を抱いたのは、果たして何年前だったでしょう。それくらい擦り切れてしまった三十歳の俺を、小さい頃の俺が見たら何を思うでしょうか。
拝啓、十歳の俺へ。
キミの言葉は鋭すぎる。思考が深くて、他人が気が付かないことにまで気がつく。けれど、そのせいで気を遣いすぎたり余計な仕事を背負ったり貧乏くじをわざと引きに行ったりして、なのに、実力が無くてその先で失敗するから周囲の大人にいつも嫌われていたね。
残念ながら、その性格が好転することはないよ。キミはキミのままだ。どれだけ嫌われようと、人のために何かをすることをやめられない。そして失敗する。三十歳になって、なんの才能もなく好きなものもない自分は、非合理に適応するしかないと思い知るまでは、それをやり続けるのさ。
そして、二十年後。キミは職場で腫れ物扱いされながら、生きていくために必要な額の金のためだけに毎日を生きることになるんだ。あぁ、恋人や友達なんてのに期待しない方がいい。キミには縁がないよ。
まぁ、幸い一人で楽しめる趣味がキミにはあるだろう。読書や妄想のことだよ。やがて、キミは妄想をアウトプットする趣味にも目覚めるからね。きっと糧になるだろう。それまでの間、せいぜい自由な時間でインプットを楽しむといいさ。
そんなことを、是非とも伝えてあげたいです。そうすれば、少なくとも無理に迎合しようとして、他の人が当たり前にできることを努力して、その上で失敗して疎まれて蔑まれて必要以上に嫌われる経験を減らせるかもしれません。
なれば、今の俺よりは、自分のことが好きになれるかもしれません。自己否定は、リストカットとなにも変わらないのです。限界まで追い詰められていることを自覚することほど、幸せから遠い場所にあるものもありませんから。
2026年は、一体どんな悪い年になるでしょう。
願わくば、自分の書いている物語を完結できる程度には仕事の休みを貰いたいです。読者がいる以上、作品を中途半端で終えてしまうこともまた、余計なことをした上での失敗に他なりません。金なんてもらってませんからね。
朝は五時半に家を出て、返ってくるのは十八時過ぎ。こんな生活をして家事をこなせば、大して体力のない俺が満喫できることなど食事と睡眠を置いて他にないのです。
だから、俺のQOLを上げようと思えば、高いベッドを買うことと食事の質をあげるくらいです。とはいえ、大して多くない貯金額が目減りすると不安になるので、高い買い物や日々の贅沢は控えなければならないです。
なぜなら、俺はこの別に多くはない貯金に幾度となく命を救われているからです。大病を患って働けなくなったり、詐欺にあったり、鬱病が酷くなったり。そんな経験を孤独な俺が乗り越えられたのは、紛れもなく金があったからです。
だから、何度数字を巻き戻されたとしても、地道に積み上げるしかないのですよ。それだけは肝に銘じて生きていこうと思います。
確かに、金より大切なものはたくさんあります。しかし、最後に縋れるものは夢でも生き甲斐でもなく金なのです。これは事実です。目をそらすことは出来ません。
何が言いたいのかと言えば、金に縋らずに済むように、追い詰められることを避けられるように、少しずつ上手な生き方を学んでいきましょうということです。
今年は、そういう一年にしたいです。
人間、幾つになっても勉強です。必ず訪れる命が終わる瞬間の俺が、人生において最も賢くあってほしいものですな。




