忘れるたびに、君は微笑む
ヤンデレ書きたい発作でヤンデレ書きました
彼女と出会ったのは、春の駅前だった。
桜の花びらも舞い疲れて、地面でため息をついていた頃。
「ここ、あなたの席ですか?」
そう言って隣に座ったのが、白鷺透音。
小さな声なのに芯があって、不思議と耳に残る。
膝の上には手帳。新品なのに、どのページも文字でびっしり。
僕は軽いノリで聞く。
「勉強熱心ですね、そのノート」
「これは記録、です」
「記録……なにを?」
「今日のあなたの服装、会話、歩幅、まばたきの回数。……あと、珈琲は無糖でミルクのみ」
思わず笑いそこねた。
でも、彼女は柔らかく、すこしだけ歪んだ笑みを浮かべる。
「私が覚えてるから、あなたは忘れていいですよ」
それが、彼女の口癖だった。
理由はわからない。でも、その瞬間から目が離せなくなった。
ほどなくして、彼女は僕の学校に転校してきた。
気づけば、僕らは付き合っていて――
――その日から、僕は少しずつ“忘れる”ようになった。
最初は、靴をどこに脱いだか、買ったパンの名前。そんな些細なこと。
でも透音がすぐ教えてくれるから、不安にはならない。
「大丈夫。あなたはチョココロネを選びました」
「……よく覚えてるな」
「忘れたいと思ってないだけ、です」
“忘れたいと思ってないだけ”。
その言い方が、妙に心地よかった。
六月の雨。傘を忘れて、びしょ濡れで帰った日。
家の前で透音が待っていた。濡れた髪のまま、白いタオルを差し出す。
「また傘、忘れましたね」
「また? ……そうだったっけ」
「うん。でも平気。私が覚えてるから」
指先で頬をなぞられる。優しいのに、どこか“確認”される感触。
まるで記憶をスキャンされているみたいだった。
ある日、彼女の部屋に入った。
壁一面、ノートと録音機。背表紙には僕のイニシャルと日付。
ページをめくれば、僕の言葉がぎっしり。「眠い」「腹減った」「天気予報、外れたね」。
どれも彼女の丁寧な筆跡で。
「これ、全部……?」
「あなたですよ」
「……怖い、って言ったら怒る?」
「怒りません。その感想も、記録しますから」
彼女は笑った。
少しの狂気と、確かな愛情のバランス。壊れる直前の静かな美しさ。
――だから、僕は受け入れることにした。
秋。僕は“人の名前”を忘れ始めた。
顔は浮かぶのに、名前が出てこない。放課後、彼女は隣でノートを開いて言う。
「大丈夫。前回も同じ名前を忘れました。――だから、予想しておきました」
“予想”という単語に、背筋が冷えた。
彼女は僕が忘れる未来を、先に書いている。
「どうしてそんなこと……」
「だって、“忘れられる”ってわかってたから。あなたの明日を、私の昨日にしておきたかったんです」
「明日を、昨日に……?」
「ふふっ、気にしなくていいですよ」
優しく口づけされる。
それだけで、細かい恐怖がどうでもよくなる。
その夜の夢で、彼女が僕の頭を撫でた。
掌の中で、記憶が溶けていく音がした。
冬の初め。病院。
診断は――進行性の健忘。原因は不明。
医者の説明は耳に残らないのに、透音はすべてを覚えている。
帰り道、彼女が言った。
「あなたが忘れていくたび、私の中で、あなたが増えるの」
「……嬉しそうに言うことじゃないだろ」
「でも、本当です。あなたが空っぽになるほど、私の世界はあなたで満ちていく」
彼女の声は、寒さじゃない熱を帯びた震え方をしていた。
数日後。僕はもう、自分の家の場所すらあやしくて、彼女の部屋に半ば閉じこもっていた。
彼女が小さな箱を差し出す。中にはUSB。青いペンで、僕の名前。
「これ、あなたの“最初の一日”です。調べて、集めて、編集しました。生まれた日のニュース、写真、声。――ねえ、交換しませんか?」
「交換?」
「あなたの“いちばん大事な記憶”と、私の“あなた”を」
胸の奥で、なにかが音を立てた。
浮かんだのは、彼女の笑顔。
僕に残った最後の“あたたかさ”。
「……いいよ」
耳元で囁く。
「“君を愛してる”って記憶、持ってって」
透音は目を細め、微笑む。
その瞬間、瞳の奥に静かな灯りがともった気がした。
「ありがとう。これで、あなたは真っ白になれる」
録音ボタンが赤く光る。
カチッ――その音が、最後の思い出になった。
春。
桜がまた、ため息みたいに舞っている。
僕は駅前のベンチで、知らない街を眺めていた。
灰色の瞳の少女が現れる。
鞄から新しいノート。糸綴じを指でなぞる。
「ここ、あなたの席ですか?」
「……いいえ」
「じゃあ、少しだけ、座らせてください」
彼女が座る。僕は、なんとなく微笑んだ。
――なぜだろう。彼女の笑い方が、懐かしい。
「わたしが覚えてるから、あなたは忘れていいですよ」
その瞬間、胸の奥で小さく何かが弾ける。
それが“再生の音”だとは、まだ知らない。
* * *
透音は、静かにノートを閉じた。
手のひらに残る微かな熱――“彼”の消え残り。
部屋はノートの塔で埋まっている。
数百冊。一年分の彼。
年齢も顔も少しずつ違う“彼”が、同じ“彼”として微笑んでいた。
「ねえ、今年のあなたは、いつもより少しだけ優しかったですね」
壁の一角には小さな写真。
まだ幼い少年の頃の彼――最初の春、最初の笑顔。
あの頃、彼はまだ“初めて”を知らなかった。
手の温度も、涙の意味も。
だから、透音は教えた。
そして、壊した。
また春を迎えて、また初めから作り直した。
何十回も。何百回も。
「だって、成長したあなたを愛せるのは私だけ、ですもの」
彼が大人になっても、老いても、“愛し直せる”ように――記憶を消し、巻き戻す。
彼は歳を重ねる。
でも世界は、ノートの延長線でしか動かない。
彼にとって外は、存在しない。
彼が「学校に行く」と言うたびに、透音は微笑む。
歩く道も、話す友人も、すべてページの向こう側。
「あなたは毎年、春に出会ってくれる。そして毎年、私に“愛してる”って言ってくれる。だから私は、その言葉を保存して――世界を、巻き戻すんです」
指先でUSBを転がす。
中には、すべての“彼”の記録。
少年の声、青年の笑い、老いかけた囁き。
「あなたはどんな姿でも可愛い。でも、やっぱり最初の春のあなたがいちばん好き。だから――また、リセットしますね」
ノートを開く。
新しい日付を書く。
同じ出会いを、同じ花の下で、何度でも。
「ここ、あなたの席ですか?」
また、あの声。
また、あの春。
世界は止まらない。
彼を愛し、壊し、再生させ続ける。
それが彼女の呼吸であり、祈りであり、存在理由。
――愛している。だから、終わらせない。
透音は微笑む。
桜が散る音が、カチッと重なって、やさしく響いた。




