お女郎寿司
「いやー。まさかこんなところで憧れの大先生とお知り合いになれるとは思いませんでしたよ。お近づきの印に今日は是非、寿司でもご馳走させて下さい」
「そんな。たまたま今日、あそこでご一緒させていただいただけですし、そんな気を遣ってていただかなくでも……」
「いやいや。先生なら絶対お気に召しますって。私の行きつけの馴染みの店なんですが、ちょっと趣向が変わっておりましてね」
増田さんと名乗る大柄な男性とは、たまたま今日の研修会場で知り合ったのだが、私が昔書いていた漫画の大ファンなのだそうだ。漫画はもう何年も描いてはいないのだが、こうして覚えていて下さって、ファンを名乗る方から声を掛けられるのは悪い気はしない。私もこの街に来てまだ間もない事だし、ここで知り合いの伝手が出来るのも良い事だろうと、彼に誘われるまま、後をついて繁華街の裏路地に入った。
その店には暖簾がかかっており『寿司若夏』と読める。一間間口の引き戸を開け店の中に入ると、中は十坪ちょっとだろうか。店主一人でやっている様でカウンターしかなく、客が五人も入れば満員と言う感じの年季の入った寿司屋だ。
「へいらっしゃい!」
店主が元気に声をかけてくれ、いかにも職人肌と言う印象で感じがいい。
増田さんに導かれて、店奥のカウンターに並んで座る。目の前には冷蔵ショーケースがあって、鮪・魬・鮃・鮑……活きの良さそうな寿司ネタが綺麗に収まっていてどれもおいしそうだ。おお、私の大好きな小鰭もあるな。後で絶対頼もう。
「増田さん久しぶりだね。そちらの方は?」店主が私の事を増田さんに尋ねている。
「ああ。この人、俺がまだ若い頃大好きだった漫画描いてた先生でね。今日、たまたま知り合ったんでうれしくなって、大将の店にご招待しちゃったって訳さ」
「へー。漫画家さん……どんなの描いてたの?」店主が私に問う。
「いや……元漫画家でして。それに作品も、かなりマニアックな同人系のもので、多分ご存知ないかと……」
「いいから大将。まずはビールね。乾杯してから握り頼むよ」
「あいよ!」店主が奥から瓶ビールとグラスを二つ持って来てくれ、付け出しは……ああバイ貝のしぐれ煮だ。これもうまそうだな。
「それじゃ先生。今日の出会いに乾杯!」
「……乾杯」私は増田さんと軽くグラスを合わせ、グイッと一気に飲み干した。
この街に来てとにかく不安だらけだった事もあってストレスも溜まっていたのか、ビールが心地よく五臓六腑に染み渡る。
「おお先生。いい飲みっぷりだねー。ささ、お替り遠慮なく」
増田さんが私のグラスにビールを継ぎながら話掛けてくる。
「そんでね先生。この店はこの界隈でも有名な、お女郎寿司の店なんですよ。あんまり好きがらない輩もいるんですが、先生なら絶対気にいっていただけると思いますよ」
「はあ。お女郎寿司……それって寿司のシャリよりネタの方がデカくなってる握り寿司ですよね。江戸時代とかには粋じゃないってゲテモノ扱いされていたって言う……」
「そりゃ昔の話ですよ。ここのは……まっ、百聞は一見にしかずですね。大将、俺は鮪! 先生はどうします?」
「あっ、それじゃ……海老から行こうかな」通ぶって卵とか言える性格ではないし、好物の小鰭は後にとって置きたい。無難なところでまずは海老だ。
「あいよ!! そんじゃお客さん。シャリを選んで下せえ」
「えっ!? 今、海老って言ったけど……」
「違いますよお客さん。ネタは伺ってます。聞いてるのはシャリの方ですよ!」
「シャリを選ぶ? 酢飯の加減とかに種類があるんですか?」
訳が分かっていない私を見かねたかの様に増田さんが助け船を出してくれた。
「あー、やっぱり先生はご存知なかったか。こっちですよこっち。こっから好きなの選べるんです。この水槽を覗いて下さいよ」
そうして増田さんが、ネタの入ったフリーザーケースの脇にある水の張られたトロ箱を指さし、私は一寸酢の臭いがするその中をそっと覗き込む。
「!? …………うわーーーーーっ!!」
トロ箱の中には水が満たされ、その中に……女の子か? いや確かに見た目は人間の女の子だが、大きさがこれじゃ1/8フィギュア位だ。それが数人、全裸で水に浮いている。そうかこのトロ箱には酢水が張られているんだ。
でも……これがシャリ……だと!?
「ははは。先生でもやっぱり驚かれましたか。みんな最初はそうなんですけどね。そのうち慣れますよ。まあ先生もこうして食人鬼に転生されたんですから、是非この店をご贔屓にしてやって下さい……て言うか先生。前世でも少女を食いまくっていたんでしょ?」
◇◇◇
そう。私は売れない漫画家だった。でも絵を描く以外に取り柄もなく、大手の少年誌などに相手されない私は食う為に、少女や幼女を題材にした同人系の性的漫画を描きまくった。するとその分野で徐々に人気が出てきて、私が描いた漫画が世に知られ出し、ファンもついた。だが油断するとすぐに人気は落ちてしまう厳しい世界だ。より官能的で扇情的な作品を描き上げる為、私は模索と研究を続け……ついに人としてやってはいけない事に手を出してしまい、最後には連続少女誘拐暴行殺人・死体損壊遺棄の罪で極刑になったのだ。
そして気が付いたらこの魔界に転生していた。最初はどうすればよいか勝手が全く判からなかったのだが、定期的に転生者向けの処世講習がなされている事を知り、今日、その会場で増田さんと知り合ったのだった。
◇◇◇
「あの増田さん……この女の子達は人間なのですか? すごく小さいですけど。それに生きてるの?」
「あー。もちろん正真正銘本当に人間です。そこ疑っちゃ大将に失礼ですよ。結構苦労して仕入れて来てるみたいですから。それにこの子達が小さいんじゃなくて、我々が大きいんですよ。何たって鬼ですからね。まっ、酢で締めちゃってますんで多少弱ってはいますがちゃんと生きてますよ。というか生きてる奴食わないとグールとしてはいかんですよ。先生も生前はお好きだったんでしょ? それにこいつらも、理由は知りませんけど地獄に落ちてきた奴らばかりですから同情もいりません。まあ話ばかりでも何ですから、早いところ大将に握って貰いましょうよ」
ちょっと眩暈がする頭に手をやりながら、私はトロ箱の中から好みのタイプの子を一人選んだ。大将がその子をひょいと掬い上げ、手ぬぐいで丁寧にその身体を拭いている。ああ、確かにちょっと動いてるな。
「へいお待ちっ!」
私の眼の前に皿が置かれ、その上に仰向けに寝ている少女がおり、さらにその体の上にネタの海老がのっかっている。そして少女は動けない様だが朦朧としながらも私の顔を悲しげにじっと睨みつけている。これから食われる事を分かっているのだろうか。
ネタの海老で身体が隠れてしまっているが、少女は最初から全裸だったので、ネタを外してしまったら、そのまますっぽんぽんなのだろうとちょっと妄想した。好奇心が湧いて来て、そっとネタを外そうとしたら増田さんに止められた。
「あー先生。これがこの店自慢のお女郎寿司なんですが……ネタだけ剥がしちゃだめですよ。それはマナー違反です。建前上はね。でもねー、私もそうなんですけどみんなやるんですよ。シャリが好みの可愛い子だったりするとついネタだけ先に外して眺めちゃう。それでシャリだけペロペロ舐めたり……手足ちぎってちまちま食べたり……でもあんまりネブると流石に可哀そうですし、苦しませると味も落ちますから、ひと思いに頭から行っちゃった方がいいですよ」
「…………そうですか」
グールの身だからだろうか、嫌悪感とか憐憫の情と言ったものは一切湧いてこない。ただ……無性にお腹が空いてきただけだ。ああ、私は鬼になってしまったのだな。いや……ここに来る前からすでに人間をやめてしまっていたのだった。
私は、皿の上の海老の握りを手に取ってタマリにちょんとつけ、そのまま頭から口の中に放り込んだ。
(終)