2話_デリバリーの可能性は無限大1
朝の六時。まだ眠気が残る中で私は目を覚ました。ふかふかのベッドで苦心しながら身を起こして欠伸をする。恥ずかしながら朝は弱い。さらに昨日はよく寝付けなかったため――気のせいかと思うが一晩中妙な気配がした――余計に意識が朦朧とする。
「いけない……しっかりしなければ」
私は自身の顔をぱちんと叩いて気合を込めた。異世界の怪物。その脅威から人類を守る『守人』の役目。それを引き継ぐと決めたのだ。しゃんとしなければならない。
「今日から本格的に守人の引継ぎが始まるのだな」
メルルを通したアルベルトからの言伝。明朝六時に庭に集合とのことだ。ついに本格的に守人の引継ぎが始まる。眠いことは事実そうだが身が引き締まる思いだ。
「どのような試練であろうと私は必ず乗り越えて見せる。やるぞ!」
私はそう独り言ちるとパジャマをばっと脱ぎ捨てた。
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「はい、次は手足の大きく回しましょう! それいっちに――さんし――」
「はひぃ……はひぃ……す……少し休ませてくれんか……息が切れてしもうた……」
「おじいちゃん。休んじゃダメですう。ほらほら。ちゃんと腕を回すんですよお」
ラジオから流される軽快な音楽。そのリズムに合わせてメルルとアルベルトが腕を回す。朝から元気一杯のメルルに対してアルベルトはひどく顔色と動きが悪い。音楽に合わせて動き続けること五分。すでにアルベルトは体力の限界に達していたようだ。
「ほらほら、そこのおじいさん。そんな動きじゃ筋がピンと伸びませんよ」
ヘロヘロの老人にタンクトップ姿の若い男が溌剌に言う。音楽に合わせてキビキビと体を動かしつつ若い男がニカリと笑う。
「幾つになろうと人間は体が資本です。朝に軽い汗を流して一日を元気に過ごしましょう。さあご一緒に。ほれ、いっちに――さんし――あ、ごうろく――んん、しちはち――」
「い……いっちに……さ、さんし……あがががが、腕が上がらん……」
「しっかりしてくださいぃ。そんなことだから昨日も腰を痛めるんですよお」
「わ、分かっておる……じゃからこうしてラジオ体操をデリバリーしておるんじゃろう」
「そんなこと言って、続いたの三日ぐらいですぐにさぼったじゃないですか。今日からはちゃんとおじいちゃんもラジオ体操に参加してもらいますぅ」
「ひぃいいい……す、すこしは手加減をしてくれんか……」
顔面蒼白の老人と手足をぶん回している少女。そんな二人のやりとりを眺めながら私はただ淡々と腕を回していた。
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「んん~おいしいですねえ」
「うむうむ、やはり運動の後の食事は格別じゃわい」
広いリビングに並べられた豪華絢爛な朝食。それをほくほく顔のメルルとアルベルトがきびきびと口へと運んでいく。バターをたっぷりと溶かしたフレンチトース。そこにダメ押しのバニラアイスまで乗せてメルルが目を輝かせながらカプリとかぶりつく。
「ご満足いただけたようで幸いです。他にご要望がありましたら何なりとお申し付けください」
コック帽の男性が恭しく一礼しながらそう言う。ずらりと並べられた豪華な食事。それを調理した料理人だ。朝から分厚いステーキを頬張りながらアルベルトがうんうんと頷く。
「流石は一流ホテル『バイソン』に務める腕利きの料理人じゃ。どれも最高の食材に最高の味付けと文句のつけようもないわ」
「勿体ないお言葉です。どうでしょうアルベルト様。実は滅多に手に入らないワインをお持ちしたのですが。私共のオーナーがぜひともアルベルト様にご賞味いただきたいと」
「ふむワインか……わしは東洋の酒――日酒のほうが好みなのじゃが、せっかくのオーナーからのご厚意じゃ。そのワインも頂こうか」
「ありがとうございます。では早速用意いたしましょう」
いそいそと準備に取り掛かる料理人。そして豪勢な食事を堪能するメルルとアルベルト。そんな彼らを眺めながら私は目の前にあるパンをもそもそと食べていた。
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「おお、ボミオ! 貴方はどうしてボミオなの! いやマジでなんでボミオなの!?」
「ああ、ジュリエッティ! それは僕のパパとママに聞いておくれ!」
ハラハラと涙を流した男女が無駄にでかい声でそう語り合う。リビングにある家具を端に寄せて作り上げた即席の舞台。その上で繰り広げられるラブロマンス(?)にメルルとアルベルトは釘付けにとなる。
「おお、ボミオ! 貴方はいつもすぐにパパとママを頼るのね! いい加減親離れしたらどうなの! おお、ボミオ!」
「ああ、ジュリエッティ! そう言われても名前の由来なんて両親に聞く以外にないじゃないか! ああ、ジュリエッティ!」
「おお、ボミオ! 貴方がいつもボミっているからボミオなの!?」
「ああ、ジュリエッティ! 勝手な由来を作らないでくれないかい! というかボミるって何だい!? ああ、ジュリエッティ!」
「なんと切ない話なのじゃろうか……」
「あの時に前髪を切りすぎていなければこんなすれ違いは起こらなかったのに……」
舞台を眺めながら感極まっているメルルとアルベルト。そんな二人を横目に私はポップコーンをむしゃむしゃと食べていた。
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「――その時、小さな女の子はオオカミさんにこう言いました。『おばあちゃんは美味しかった? ねえねえ何味?』と」
「すやすや」
「くうくう」
絵本を朗読する女性と開始五分で寝息を立て始めたメルルとアルベルト。私は毛布にくるまれながらそんな三人をガンギマリの目で眺めていた。
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「たまには一風変わった夕飯も良いものじゃのう」
「これ寿司って言うんですよねえ。お米に生魚を乗せてだけなのに美味しいですう」
「気に入っていただけたのなら光栄です! これからは東洋料亭『ヤマトナデシコ』を是非ともご贔屓に!」
朗らかに会話するメルルとアルベルト、そして料亭の料理人。そんな三人を眺めながら私は寿司なる未知なる食事に舌鼓を打った。
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あっという間に夜となる。私は温かな風呂を済ませるとフワフワのベッドに身を投げて寝る体勢となった。目を閉じて意識を鎮めていく。カチカチと置時計の秒針だけが鳴り響く。どれだけの時間が経っただろうか。私は特にきっかけもなくパッと目を開けると上体をがばりと起こした。
「うおおおおおおおおおおおお! なにゆえ気づいたのじゃあああああああ!」
なぜかベッドわきに忍び寄っていたアルベルトが狼狽の声を上げる。私は無言のままアルベルトに近づくと今にも逃げようとしていた老人の肩をがしりと掴んだ。
「ち、違うぞ! 勘違いせんでくれ! よ、夜這いなど全くもって考えておらん! 寝ているところをちょっとお触りしようなど滅相もない! あまつさえ昨日は中々隙を見せ何だ今日こそはと意気込んでなど決して――」
何やらわめいているアルベルトを無視して私は思うままに絶叫した。
「いや平和かあああああああああああああああああああああああああ!」