1話_大魔導士はご老体7
「それじゃあ僕はもう帰るよ。まだまだ仕事が残っているからね」
大魔導士アルベルトの邸宅。その玄関で私はルイス隊長を見送る。普段と変わらないルイス隊長の柔らかな笑顔。だが到底今の自分には隊長に笑顔を返すことができそうにない。
「……やはりショックだったかな?」
「……当然でしょう」
私はうつむいたまま拳を握りしめる。
「私はこれまで未熟なりに誇りをもって騎士の任務をこなしてきました。今回の任務はその頑張りが認められたからこそ与えられたものだと光栄にさえ感じていたのです。しかしふたを開けてみれば、私はただ上層部から厄介払いされただけ……あまつさえ子を産むための道具にされていただなんて」
「それが悔しい?」
「悔しいよりも自分が惨めでなりません。どれだけ努力したところで、私は騎士としてではなく女としか見られていないのですから。こんな思いをするぐらいならいっそ――」
「騎士を辞めるかい?」
ルイス隊長の口調が僅かに冷える。
「君は人類が直面している危機を知りながら目を背けるというんだね?」
「――だったらどうしろと言うのですか? 私に大魔導士アルベルトの子供を産めと言うのですか? 隊長まで私にそんなことを強要するのですか? 隊長までが私に……」
一度呼吸を整えて私はどうにか震える声を吐き出した。
「どうしてあんな話を私に聞かせたのですか?」
「いずれこの話は君にも伝える予定だった。アルベルトさんが君に手を出さないのであれば君から彼を誘うようにとね。ただその時期とタイミングは上司である私に一任されていた。そして私はいずれ知ることになるのなら早い方が良いと判断したまでだ」
「アルベルトさんが私に手を出してきたのならその責任はアルベルトさんに、そして私がアルベルトさんを誘ったのなら騎士団は私にその責任を押し付ける」
「上層部はそう考えているだろうね」
「……知りたくありませんでした」
私は震える声を感情のまま強く吐き出した。
「何も知らなければ私は騎士としての任務にただ従事していれば良かった! だけどもう無理です! 上層部の考えを知ってしまった以上、任務を続けることなんてできない! 隊長は私にそれを伝えるべきではなかった! 何も知らなければ私は――」
「何も知らなければ君は上層部の操り人形のままだったろうね」
ルイス隊長のさりげない言葉。私は目を見開いてルイス隊長を見つめた。ルイス隊長がまた柔らかく微笑んで穏やかに続ける。
「だが今の君は違うだろ。上層部の思惑を理解した君は彼らの操り人形ではなく自らの意思で未来を決めることができる。そしてその選択次第では彼らを出し抜くことも可能だ」
「上層部を出し抜く……?」
「騎士団の腐敗は根深いものなんだよ」
ルイス隊長の微笑みに僅かな影が宿る。
「アルベルトさんもそれを理解しているからこそ騎士団とは距離をおいている。君が意見書を何百、何千枚と書いたところでその腐敗を払拭することはできないだろう。君が本気で騎士団を変えたいと考えているなら君は絶対的な力を手に入れる必要がある。アルベルトさんのような……ね」
「アルベルトさんのような?」
「大魔導士と呼ばれる彼だ。当然政府もこれまで彼を利用しようと策を講じてきた。だがその全てが失敗している。それは彼に絶対的な力があったためだ。どのような悪意さえも跳ね返してしまう我を押し通す力。君の理想を叶えるにはそれが必要なんだよ」
「しかし……私にそんな力なんて……」
「確かに今の君は力不足だ。だが幸いなことに君は力を得る機会を与えられているだろ。大魔導士アルベルト・バーゲン。世界最高峰の魔導士であり、現守人である彼からその技術を引き継ぐのだからね」
ルイス隊長の意外な言葉に私は目を丸くした。
「守人の引継ぎ……しかしそれは上層部が私を利用するための表向きの任務では?」
「そう、そこが重要なのさ。彼らは体裁を気にして君に表向きの任務を与えた。つまり君がそれに愚直に従ったところで上層部は君を処罰することができない」
「……あ」
「彼らは君が守人を引き継ぐことができるなんて考えていない。だがもしそれが実現したのなら彼らはその選択をひどく後悔するだろう。意見書を出すことしかできなかったヒヨッコに絶大な力を与えたことをね」
ルイス隊長がニヤリと笑う。
「だが無論それは簡単な話じゃない。失敗する可能性のほうが高いだろう。或いはやはり逃げてしまった方がいいのかも知れない。決断は君に任せる。さあ、どうする?」
隊長から促されるまでもなく――
私はとうに覚悟を決めていた。
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「お主……まだこの屋敷に残っていたのか?」
リビングで一人酒を飲んでいた老人がこちらの姿を見つけて顔をしかめる。
「ルイスと一緒にさっさと去ね。ここに貴様の居場所などないわ」
「私との間に子供を作る気などないから――か?」
老人の眉が揺れる。しばしの沈黙。老人が酒を一口飲んで「ふん」と鼻を鳴らした。
「……ルイスから聞いたのか。ならば話も早い。貴様とてこんなおいぼれに襲われるなど気色悪かろう。さっさとわしの前から消えろ」
「勘違いしないでくれ」
私は大股で老人へと近づいてテーブルにバンッと両手をついた。
「私は貴方との子供を産むためにここに残るのではない。守人を引き継ぐためにここに残るんだ」
「貴様……また軽々しくそのようなこと――」
「軽々しく口にしていない」
怒りの気配を覗かせた老人を口早に制して私は淡々と続ける。
「私は私の意志を貫くためにそれを果たさなければならない。私だって瀬戸際なんだ。死に物狂いで貴方の技術や知識を引き継がせてもらう」
「……その言葉に嘘偽りないな?」
老人の眼光が鋭く輝く。私はテーブルについていた両手を離してこくりと頷いた。老人がひとさし指を立てて低い声音で言う。
「一週間……一週間までにその腰にある剣の刃をわしに触れさせてみよ。斬れなどと無理難題は言わん。ただ触れさせるだけでよい。それができたなら屋敷においてやる」
「守人になるための試験というわけか?」
「わしとて見込みのない者にモノを教える気などない。これができぬのなら今度こそ諦めて帰るのだな」
「一週間だな」
「不安なら少し延長してやっても構わんぞ?」
「もう始まっているんだな?」
「無論。いつでも斬りかかって――」
私は上着に両手を掛けると力一杯に両手を左右に広げた。前を閉じていた上着とインナーのボタンがはじけ飛び、衣服に隠されていた大きな胸がこれまでの窮屈さの鬱憤を晴らすように元気よくバインと跳ねる。
「――お、おっぱあああああああああああああああああああああい!」
老人がソファから飛び出す。私は素早く抜刀すると無防備に近づいてきた老人の喉元に刀身を触れさせた。
「お、おう?」
老人の動きがぴたりと止まる。私はさらけ出した胸を隠すこともせず――下着は当然あるが―ー淡々と告げた。
「これで試験とやらは合格か? 不満ならこのまま喉笛を切り裂いても構わないが」
「お……おのれ……お主……なんと恐ろしい罠を……」
「隊長からこれなら必ず成功すると聞いていた。言ったはずだ。私も瀬戸際だと。恥も外聞もない。使えるものは何でも使ってやる」
「……なるほど。ただ頭が固いだけの小娘ではないということか」
老人が一歩引いてくるりと背を向ける。
「屋敷のことはメルルに聞けば大抵教えてくれる。守人を引き継ぐなど到底無理だろうが……お主の気が済むまであがいてみるがよい」
リビングの出口へと歩いていく老人――大魔導士アルベルト・バーゲン。その彼の背中に向けて私は深々と頭を下げた。