1話_大魔導士はご老体5
老人が指を鳴らすと、周囲の景色が殺風景な山岳地帯からまたリビングへと戻る。私は剣を鞘に戻してソファに腰を下ろした。一瞬だがあまりに濃密な時間。私は疲労感を覚えながらもきりりと表情を引き締めた。
「では大魔導士アルベルト・バーゲン様。早速ですが本題に移らせていただきます」
「わしはこっちじゃい!」
老人が自身を指さして何やらわめく。私は嘆息して老人に優しく告げた。
「ご老人。私はこのお嬢様――大魔導士アルベルト・バーゲン様に大切なお話があるのです。ご老人は申し訳ありませんが席をはずしてはもらえませんか?」
「だからわしが大魔導士アルベルト・バーゲンじゃああああ!」
「可哀想に……自分が大魔導士だと思い込んでしまっているのですね」
「メルルや! この若者がおじいちゃんをいじめるんじゃああああ!」
ハラハラと涙を流す老人にメルルが困ったように眉をひそめる。
「あの……大魔導士はおじいちゃんのほうですよお。あたしはただの使用人風ですう」
「ご謙遜を。あれだけの力を持った使用人などいるわけがないでしょう」
「おじいちゃんはあたしより全然強いですよお。それに位相をずらすことで死の大地にこの街を投影しているのもおじいちゃんですう。あたしには絶対無理ですねえ」
私は釈然としないながら老人を見る。何やら決めポーズらしきものをする老人。私はポリポリとこめかみを掻いてハアと嘆息した。
「……本当に貴方が大魔導士アルベルト・バーゲンなのか?」
「なにやら敬意らしきものが根こそぎ消えているように思えるが――その通りじゃ」
「そうか……とても残念だ。あの稀代の英雄がこんな変わり果てた姿に」
「おい、キスするぞ?」
「気を取り直して話を始めよう。もし耳が遠くて聞こえないようなら手を上げてくれ」
「おい、舌入れるぞ」
なぜか不満げな老人――大魔導士アルベルト・バーゲンに私は淡々と話をする。
「単刀直入に言おう。貴方はご老体だ。いつお亡くなりになってもおかしくない」
「お主、もう少しオブラートに包むということを覚えたほうが良いぞ」
「しかし貴方は重責を担う身だ」
老人の的外れな指摘は聞き流して私は視線を鋭くさせる。
「死の大地に発生する異界の生物。それを野放しにすれば人類に多大な被害が出ていただろう。貴方はそれを防ぐために五十年間も怪物と戦い続けてきた。感謝の念に堪えない」
「そんな堅苦しい言い方ではなく『ご主人様。ありがとうございます』と可愛く言うてくれ」
「それは断る。だが先程も申し上げたように貴方はもはや老い先短い。貴方がこのまま死んでしまえば死の大地に発生した怪物を倒す者がいなくなる」
「お、オブラート……」
「そこで我々騎士団は貴方の――大魔導士アルベルト・バーゲンの後継者を選出することにした。貴方に代わって異界の怪物たちと戦い、人類を救済する新しい『守人』を」
「新しい守人?」
老人が眉をひそめる。私は自身の胸に手を当てて明瞭に告げた。
「その選出された新しい守人がこの私――ドロシー・ヒルトンだ。私に与えられた任務は大魔導士アルベルト・バーゲンより守人として必要な知識を引き継ぐこと」
「……ほう」
「まだまだ若輩者だが誠心誠意この任務を全うする所存だ。差し当たって、異界の怪物について幾つか質問を考えてきたのだが――」
「なるほど……いけ好かない騎士団の連中が考えそうなことじゃな」
老人のぽつりとした呟きに私は怪訝に眉をひそめた。その直後――
「去ね」
全身が凍えると同時に息が止まる。大魔導士アルベルト・バーゲン。歴史に名を残す偉人。だが今はどこにでもいる老人と変わりない。そう考えていた。その老人から空間を押しつぶすような重い気配が膨らんでいく。
「所詮は小娘の戯言。多少の無礼ならば笑って見過ごそう。だが守人としての役割を軽視されるのは腹に据えかねるわ。貴様ごときがこの重責担えると本気で思うたか?」
「く……か……」
「話は終わりだ。早々にこの場から去ね。さもなくば命の保証はしかねるぞ」
全身から噴き出した汗が体を冷やしていく。もはや老人を直視することもできない。息が苦しい。押しつぶされた肺が一向に膨らまない。グラグラと揺れる視界。気持ち悪い。吐いてしまいそうだ。ソファに座っていることもできず前のめりに体が倒れて――
「そのようにプレッシャーをかけては帰ろうにも帰れないでしょう?」
ふと声が聞こえた。その直後に全身を押しつぶしていた気配がふっと消える。
「貴様は……ルイスの小僧か」
老人の視線が他所を向いている。私はどうにか呼吸を整えて老人の視線を追った。部屋の出入口。そこに一人の男が立っている。
「僕の優秀な部下をあまり脅さないでもらえますか? アルベルトのおじさん」
ニコリと微笑む男性。彼の名前はルイス・ベーカリー。騎士団の第5部隊をまとめる隊長であり――私の直属の上司に当たる人物だ。