1話_大魔導士はご老体4
上空から巨大な影――異界生物の怪物が襲い掛かってくる。
「ひゃああああ!?」
私は慌てて横に跳ねて怪物の爪を回避した。
「ひょっひょっひょ。驚いたかえ? どうじゃ? このわしが――大魔導士アルベルト・バーゲンが助けてやろうか? その代わりほっぺにチューを――」
「いや……助けはいらない」
「ほっぺにチュー……」
何やら自分の頬を指さしている老人にきっぱりそう言って私は立ち上がる。地面に降り立った異界生物の怪物。それを見据えながら剣を引き抜いた。
「こいつが異界生物だというのならちょうどいい。私の力がどこまで通じるのか確認してやる」
「力が通じる? いや何を言うておる。ふざけておると本当に怪我をするぞ?」
「行くぞ! 異界の怪物どもめ!」
「こいつ……人の話を聞かん奴じゃのう」
老人の呆れたような呟きを無視して私は怪物に接近した。歪な姿をした怪物。私は頭部と思しき怪物の部位に向けて剣を振るった。
「なに――!?」
ふるった剣が怪物の頭部に軽々と弾かれる。怪物の表面はまるでゴムのようだった。私は冷静に体勢を立て直して怪物の腹部――らしき部位――に再度剣を叩き込む。だが結果は同じ。何度剣を叩き込もうと怪物の皮膚に傷ひとつつけることができない。
「無理じゃよ。たかが一般騎士ごときの攻撃などこ奴らには通じまいて」
老人の言葉に腹を立て私は全力で剣を打ち込んだ。だがやはり怪物には通じない。怪物が「クワアア!」と方向を上げて爪を振りかぶる。私は咄嗟に後退して爪を回避した。
「ひょっひょっひょ。これで分かったじゃろう。こ奴らを倒すことは不可能じゃと。どうじゃどうじゃ? さしものお主もわしの助けがほしいところじゃろう?」
「いらない! ここで死ぬようなら私は所詮それだけの器だっただけの話!」
「なんでじゃ! 素直に『おじいさまああん! この無力なあたしをおたすけくださいましいい! ほっぺにチュ!』て言えばいいだけではないか!」
「断る! 私は一介の騎士として、自身が無力だなどとは口が裂けても言えない!」
「そこかい! ツッコむところは!」
老人がやれやれと頭を振る。
「仕方ない。ほっぺにチュ―は諦めることにして助けてやるわい」
「余計な真似はしないでくれ! こいつは私一人で――」
「これ以上意地を張ると本当に死ぬぞ?」
老人の眼光。その鋭い気配に私は思わず言葉を止める。あまりの急展開に未だ状況は完全に呑み込めていない。だがようやく実感した。この老人がただ者でないことを。
「どれ……異界の怪物どもよ。このわしが相手をしてやろうではないか」
老人が腰掛けていた岩からゆっくりと腰を上げる。怪物を前にして一切の動揺も緊張もない。まるで圧倒的高みからこの危機的状況を睥睨しているように。老人がことさら時間をかけて立ち上がる。そして――
グギッ! と奇妙な音が鳴った。
「あ……こ、腰が……」
立ち上がった老人がへなへなとまたその場に腰を下ろす。しばしの沈黙。異界の怪物さえも呆然としているようだった。老人が自身の腰をさすりながら弱々しく言う。
「ごめん……今は無理そう……お主一人でどうにかしてくれんか?」
「もしかしてふざけているのか?」
じとりと半眼になった私に老人が何かを胡麻化すように口早に言う。
「仕方なかろう。わしももう歳じゃ。げほげほ……こういった荒事は……げほ……若い者が率先してやるのが道理……げほげほ……とりあえず、がんがえ~~~」
老人がただ者ではないと感じたのはどうやら勘違いだったらしい。立て続けに奇妙なことが起こっていることは一旦脇に置いて私はそう結論付けることにした。
「クワアアアア!」
異界の怪物が改めて威嚇の声を上げる。やはり私がこの怪物を倒すより他ない。私は剣を構えて怪物に再度切りかかろうとした。
「ほいっと」
怪物が突然横に吹き飛ばされる。一瞬何が起こったのか理解できなかった。だが目の前にエプロンドレスを着た少女――メルルが拳を突き出している姿を見て全てを察する。
信じられないことにこの小柄な少女が異界の怪物を殴り飛ばしたのだ。
「め、メルルや! お前は危ないから戦ってはならぬといつも言うておるじゃろ!」
「うーん……でもこのままだとこのお姉ちゃん死んじゃいそうですしい」
私は唖然としたまま吹き飛んだ怪物を見る。地面に横たわる怪物。その頭部が爆散していた。おおよそ人間の破壊力ではない。
「ここはあたしが何とかしますねえ」
メルルが可愛らしく両こぶしを握り締めてニッコリと微笑む。上空にいた無数の影が勢いよく滑空してメルルへと襲い掛かる。メルルが地面を蹴り――と言うか砕き、迫りくる異界の怪物へと跳躍した。
異界の怪物とメルルが接触、直後に怪物がバラバラに霧散する。メルルが怪物の欠片を踏み台にして横に跳躍、近くにいた別の怪物を殴りつけた。空中で跳ねながら怪物を蹂躙していくメルル。上空から降り注ぐ怪物の死骸に押しつぶされないよう私は「わわわ!」と悲鳴を上げながら地上を逃げ惑う。
「おわりましたあ」
上空から降ってきたメルルが軽い足音を立てて着地する。唖然としながら上空を見ると確かに無数にいた影が消えていた。この一瞬であれだけの怪物を倒してしまうなんて。まさか――まさかこの子が――
「貴女が大魔導士アルベルト・バーゲン様だったのですね!?」
「ふへ?」
小首を傾げるメルル。このやりとりに老人がなぜか深々と溜息を吐いた。