1話_大魔導士はご老体3
「悪いが君たちは全員帰ってくれないか?」
リビングで楽しくお喋りしていた老人と三人の女性。その彼らの会話がぴたりと止まる。見知らぬ人間が発した突然の要望に困惑しているのだろう。
「なあに、この子? まさかおじいちゃん。他のお店の子も呼んでいたの?」
「ええ? おじいちゃんの浮気者。おじいちゃんはあたしたちの店――『極楽上等』一筋だって言ってたじゃない」
「騎士の恰好なんかしてコスプレ? おじいちゃんこういうの好きなんだ?」
女性からの非難の言葉に老人が「いやいやいや」と慌てて頭を振る。
「勘違いせんでくれ。この娘は道で拾うたのじゃ。気を失っておったから家で介抱していただけで、わしはもちろん『極楽上等』以外のキャバクラを利用など――」
「私は帰れと命令したのだが?」
無駄話をする彼らにやや苛立ち私は懐から騎士を証明するIDカードを出した。
「これは帝国騎士団の正式な任務だ。邪魔をすれば公務執行妨害も適用されかねないぞ」
「なにこの子――まじもんの騎士じゃん」
「こうむしっこうぼうがいって何?」
「さあ、意味わかんないけどヤバくない?」
「おおおい!? ちょ、ちょっと待っておくれ! そこの可愛い子ちゃん! と、突然何を言い出すのじゃ! 何か話があるのなら後でゆっくりと――」
狼狽する老人に対して、女性たちはてきぱきと身支度を整え始める。
「それじゃあ、おじいちゃん。何だか立て込んでいるみたいだからあたしたち帰るね」
「今日は二時間コースだったけど、おじいちゃんの都合でキャンセルだから、キャンセル料は全額頂きますね」
「ねえねえ、仕事早く終わったし、これから三人で夕ご飯食べに行かない?」
「そ、そんな! これからが酔いも回って楽しい時間になるのではないか! 三人とも待っておくれ!」
引き留める老人を無視して三人の女性がリビングを出る。老人ががっくりと肩を落とす。何やらショックを受けているようだが、私は特に気にせず老人の前の席に腰掛けた。
「ぬう……何故このようなひどい真似を。いくらわしを独り占めしたいからと、あんまりではないか?」
「大魔導士アルベルト・バーゲン様ですね」
老人の愚痴は無視して私はぴしゃりと言う。老人が「ん?」と目を丸くして白い顎髭をポリポリと掻いた。
「はて……お主に自己紹介をしたかの?」
「メルルさんから伺いました。私は帝国騎士団所属のドロシー・ヒルトンと申します。まずは助けていただいたことお礼を言わせてい下さい。どうもありがとうございました」
「可愛い子ちゃんに優しくするのは紳士として当然のこと。じゃがどうしてもお礼がしたいと言うのであればほっぺにチュー……」
「それでは早速ですが本題に移らせていただきます」
「ほ、ほっぺに……」
「ただその前に二点だけ事前に伺いしたいことがあります。まず一点――」
なぜかほっぺを突き出している老人を無視して私は淡々と質問を口にする。
「今日は私たち騎士団のためにお時間を作ってくださっていると認識しておりました。しかしなぜその時間帯に一般人とお会いになっていたのでしょうか?」
「騎士団に時間を?」
老人が首を傾げる。するとメルルが老人の隣に立ちメモ帳をパラパラとめくった。
「今日の午後は騎士団と会合があるって昨夜にお話ししましたよお。おじいちゃん、忘れちゃったんですかあ?」
「そうだったかのう……どうも年を取ると物忘れが多くてな」
「……分かりました。そのことについてはもう結構です。それともう一点。貴方は本当にあの大魔導士アルベルト・バーゲン様で間違いありませんか?」
「どういう意味じゃ?」
眉をひそめる老人に私は思ったままを口にする。
「大魔導士アルベルト・バーゲン。約五十年前に世界に溢れていた異界生物を一掃した人類の英雄。その卓越した魔術は他の者を圧倒し、当時はおろか歴史上においても彼の右に出るものはいないとまで言わしめた」
「わあ、おじいちゃんカッコいいですねえ」
「ひょっひょっひょ。おじいちゃんのこと見直したかえ? メルルよ」
ぱちぱちと拍手するメルルと上機嫌に笑う老人。二人の反応に構わず私は話を続けた。
「その偉大な功績に反して彼について知る者は少ない。彼は普段から人を遠ざけるような言動を好んでいた。当時の彼については噂レベルの話しか現代に伝えられていない」
「おじいちゃんミステリアスですねえ」
「おじいちゃんはクールじゃろう。これが若い女子から好かれるコツじゃてえのう」
「貴方があの大魔導士アルベルト・バーゲン様だとはとても信じられません!」
私はつい口調を強くした。二人キャッキャと話していたメルルと老人がぽかんと目を丸くする。
「おじいちゃんって、おじいちゃんじゃなかったんですう?」
「馬鹿な。おじいちゃんはおじいちゃんだぞ。メルルのことが大好きなおじいちゃんじゃ」
「あたしもおじいちゃんのこと大好きですう」
「メルルはええ子じゃのう。どれどれ、お小遣いをやろうかのう」
「私が想像している大魔導士アルベルト・バーゲン様はもっと威厳のあるお方でした。申し訳ありませんが貴方にはそれを感じられない。貴方が大魔導士アルベルト・バーゲン様であるというのなら証拠を見せてください」
「証拠を出せと言われてものう……」
「そもそも大魔導士アルベルト・バーゲン様は『死の大地』にいるはずです」
老人を見据えながら私は大魔導士アルベルト・バーゲンの知識を口にする。
「異界生物は今なお『死の大地』より出現している。そして大魔導士アルベルト・バーゲン様は人類を守るために『死の大地』において『守人』となり異界生物と戦い続けていると聞いています。本日は騎士団との会談のために街に出向いてくださっていると私は認識していますが、貴方は見たところこの屋敷での生活に慣れているように感じる」
「ゆえにわしは大魔導士アルベルト・バーゲンではないと?」
「気分を害されたのなら申し訳ありません。しかし私は騎士団よりとても大切な任務を預かっております。万が一にも人違いなどあってはならない。ご理解ください」
「もとより騎士団との会談はそちらが望んだこと。それが流れたところでワシは一向に構わんのだがな」
老人がニヤリと笑う。
「しかしそれでは可愛い子ちゃんを騙すようで少々忍びない。証拠か……ではこのようなものはどうじゃ?」
老人がぱちんと指を鳴らす。
直後――周囲が一変した。
「……へ?」
私は咄嗟に立ち上がり周囲を見回した。高価な調度品により飾られたリビング。それがいつの間にか殺風景な山岳地帯に変わっている。否。ただの山岳地帯ではない。植物や動物の気配が一切感じられず、その代わりに濃厚な死の気配が充満していた。
「初めてかね? 死の大地に降り立つのは」
岩に腰掛けた老人が面白おかしそうにクツクツと肩を揺らしている。
「お主はとうに死の大地におったのだよ。ただ位相の異なる世界におったゆえ気づくことができなかったようだがな」
「位相の異なる世界……い、一体何の話をしているのですか?」
「お主が欲していた証拠の話じゃよ。これでも足りぬというのなら上空を見ると良い。何とも都合の良い来客が現れたようじゃからな」
混乱しながらも頭上を見上げる。分厚い雲に覆われた上空。そこに無数の影がある。一瞬鳥かと思うも違う。その影は鳥よりも圧倒的に巨大であり、何よりも――
生物としてあまりに歪な形をしていた。
「異界生物――わしがこの五十年間と始末し続けてきた怪物じゃ」
老人の淡々とした言葉に私は呆然とするよりほかなかった。