1話_大魔導士はご老体2
「……ん?」
私はベッドの上で目を覚ました。ぼんやりしたまま周囲を見回す。見知らぬ部屋だ。どうしてこんなところで寝ているのか。どうも眠る前の記憶が判然としない。
「あ……目を覚ましたんですねえ」
声が聞こえて視線を移動させる。部屋の出入口に一人の女の子がいた。見た目の年齢は十代前半。ツインテールにされた黒髪。フリルのついたエプロンドレス。どことなく小動物を彷彿とさせる可愛らしい子だ。女の子がベッドに近づいてちょこんと首を傾げる。
「気分はどうですう? 道端で倒れていたところをウチに運んだんですよお」
「道端で?」
そうだ。私は確か道を歩いていた時に突然気分が悪くなりそのまま気を失ったのだった。
「貧血ですかねえ? 薬とかありますけど飲みますかあ?」
「あ、ありがとう。でも大丈夫だ。えっと……君はここの家の人かな?」
「そうですよお。あたしはメルルって言いまして、ここの使用人風ですう」
「使用人……風?」
「あたし、この屋敷の家事全般を任されているんですう。そういう人って世間一般的に使用人って呼ばれているんですよねえ? 本で勉強しましたあ」
「まあ……そうかもしれないな」
「でもあたしまだまだ半人前でしてえ、だから使用人風なんですよお」
分かるような分からないような。まあどうでもいいことか。
「な、なんにせよ、助けてくれてありがとう。メルルさん」
私は気を取り直して女の子――メルルに自己紹介する。
「私はドロシー・ヒルトン。このお礼は必ずさせてもらうよ」
「ん? ああ、違いますよお。あたしがお姉さんを運んだわけじゃありません。お姉さんをここに運んだのはおじいちゃんですう」
「おじいちゃん?」
「はいぃ。散歩の途中で見つけたとかで。アタシは少し看病していただけですう」
「そ、そうだったのか」
気を失う直前に見た若い男性。一瞬その姿が過るも『おじいちゃん』と呼ばれるような年齢でもない。そもそもその男性の存在自体、夢か現実か曖昧だ。
「であれば、そのおじい様にも是非お礼が言いたい。その方はいまどこに?」
「え? ああ……えっと。一応屋敷にいるんですけどお……会っていきますかあ?」
「何か不味いことでも?」
「んん、まずいわけじゃないんですけどお……じゃあ一つだけ約束ですう」
メルルがにこりと笑う。
「もしおじいちゃんに変なことされそうになったら、容赦なくぶん殴っちゃってくださいねえ」
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「きゃあああ! おじいちゃん、良い飲みっぷり! かっこいい!」
「おじいちゃん! ほらほら! 美味しいデザートよ! あーんして!」
「おじいちゃんホントに可愛い! こっちのケーキも食べて食べて!」
「うひょひょひょひょ! 極楽じゃあああ! 極楽じゃあああ!」
広々としたリビングに三人の女性と一人の老人が何やら話をしている。胸元がざっくりと空いたドレスを着用した二十代と思しき三人の女性。煌びやかな彼女たちに対して白髭を蓄えた老人は地味なローブを着用していた。
「ねえねえ、おじいちゃん。あたしの両親がね。今度手術することになってまとまったお金が必要なの。でもあたし頼れる人がいなくてすごく困っているの」
「なんと親想いの優しい子じゃ。よしよし、わしに任せい。金ならわしが払ってやるぞ」
「いやあん! おじいちゃんありがとう!」
一人の女性が老人の頬にチュッとキスをする。老人が締まりのない笑顔で「うひょおおおおおお!」と高笑いした。
「ねえ、おじいちゃん。あたしも将来のことを考えて学校に行こうと思っているの。でもあたしじゃ高い学費が払えなくて。おじいちゃん何とかしてくれない?」
「ほうほう、勉学に励むとは感心じゃ。いくらでも払うてやるぞい」
「きゃあああ! おじいちゃん最高!」
「あたしもあたしも。あたしもね、なんかこう世界平和のためにお金が欲しいの」
「世界平和のためにか。それは見過ごせんのう。是非とも援助させてくれまいか」
「それとあたし、新しいバッグが欲しいの。おじいちゃんお願い」
「ええぞええぞ」
「あたしも靴が欲しいな」
「あたしはネックレス」
「分かった分かった! 何でも買ってやるわい! 全くもって仕方のない子たちじゃ!」
「「きゃああ! おじいちゃん大好き!」」
「うひょひょひょ! 気分がええのう! 今日はたらふく食べて飲んでやるぞい! さあさあ! 一番高い酒を持ってきてくれんか!」
「……これは一体何だろうか?」
理解不能な光景。それを前にして私はどうにかその言葉だけを呟いた。メルルがちょこんと首を傾げて口を開く。
「おじいちゃんが言うには……情報収集らしいですう」
「情報収集?」
「あたしたちは外に出られないので、外の情報を得るためにあの人たちを呼んでいるんだって、前におじいちゃんが全身から脂汗を浮かべながらそう話していました」
「えっと……情報を得るということは彼女たちは探偵とかそういう人なのか?」
「キャバクラの人ですよ。おじいちゃんがキャバクラの人をデリバリーしているんですう」
キャバクラ。確か女性が男性を接待するいかがわしい店だと記憶している。まあ実態は知らないが。私は困惑しながら高笑いする老人に視線を戻す。
「念のため確認したいんだが……私を助けてくれたおじい様とは……あのお方か?」
「はいぃ、あたしのおじいちゃんですう」
「そ、そうか……ならばそう……お、お礼を言わなければならない……な」
だがなんでだろうか。ものすごくお礼を言いたくない。
「ドロシーさんが感謝していたことはあたしのほうからおじいちゃんに伝えておきますう。ドロシーさんは体調が治ったのならもう帰っても大丈夫ですよお」
「い、いや、人として礼節を怠ってはならない。だがそうだな……今は立て込んでいるようだし後日改めてご挨拶に伺った方が良いかも知れないな。ああそれに、私のほうも今は時間がないんだった。人と会う約束をしていたのでな」
我ながら言い訳がましいが事実は事実だ。約束の時間はとうに過ぎている。少しでも早く目的の人物と会う必要があるだろう。
「人と会う約束? このあたりの人ってことですよね? それは変ですねえ……あのお、その会う人って誰ですか?」
メルルの問い。これは騎士の任務だ。内容を一般人に公開すべきではない。だがこの場所がどこか分からない以上、どちらにせよ誰かに道を尋ねる必要はある。
「そうだな……もしかしたらこの辺りでは有名な人かもしれない。なにせ歴史に名を残すような偉人だからな。私が会いたいのは大魔導士アルベルト・バーゲンだ」
「アルベルト・バーゲン?」
「もしその人のことを知っているのなら、どこにいるのか教えてほしいのだが」
「どこというより……そこにいますけど?」
メルルがピッと前を指さす。少女の指の先には女性たちに囲まれて上機嫌の老人が一人……え? つまりそれって……
「あそこにいるご老人が……大魔導士アルベルト・バーゲン?」
「はいぃ!」
元気よく手を上げるメルルに私はなぜだか大きな脱力感を覚えていた。