プロローグ
「ここはどこ?」
背後から少女の声。その口調にはひと欠片の不安も滲んでいない。大したものだ。それとも彼らとはそういうものなのか。
「ここは境界だ」
そう答えながら俺は周囲を見回す。岩肌が剥き出しの山岳が連なる冷たい景色。動植物の気配はまるでなく周囲には息苦しいまでの静寂が鎮座している。頭上には分厚い雲。話によるとこの雲は一年中この場から動かないらしい。通称「死の大地」。なるほど確かに的を射ているようだ。
「境界?」
背中に感じる少女の重み。思い返せば人を背負うのは初めての経験かも知れない。単純にその機会がなかっただけの話だが、そこに何かしらの意味があるようにも感じる。
「この世界と――ここではない世界とのだ」
少女の見た目はおおよそ4、5歳。少女がその見た目通りの年齢でないことは把握している。だがどうやら知能に関してはその見た目通りのものらしい。こちらの言葉の意味が理解できないのか少女が首を傾げる。
「分からないなら分からないでいい。今日から俺たちはここで生活をする」
「おじさんと?」
「おじさんではない――お兄さんだ」
今年で21歳。まだおじさんと呼ばれるのは抵抗がある。
「住居は俺が何とかする。このクソみたいな環境も改善する。後は生活に必要な食料や日用品の調達だが――とにかくお前は何も心配しなくていい」
一呼吸の間を空けて俺は自身に言い聞かせるように言う。
「お前のことは俺が守る。少なくとも俺が生きている間はな」
ここで頭上に気配。無駄話を辞めて俺は気配に視線を向けた。上空に浮かぶ翼を広げた巨大な影。鳥か。否。この大地に野生動物はない。この大地にいるのは自分と背中の少女――そして異界から迷い込んだ怪物だけだ。
目の前に巨大な影が着地する。熊のような胴体。蛇のように長い首。ワニのような頭部。蝙蝠のような羽。複数の動物を粗雑に組み合わせたような歪な生き物。いい加減に見慣れてもよさそうなものだが、未だこの異界の怪物には生理的な嫌悪感を覚える。
「おおきいね」
背中の少女があっけらかんと言う。確かに大きい。全長7、8メートルほどか。どうでもいいことだが。俺は背中から少女を下ろしてしっしっと手を振った。
「少しのあいだ俺から離れていろ」
「何をするの?」
「ご近所さんにこんな奴がいても困るだろ」
俺はそう適当に答えつつ――
ニヤリと笑った。
「大魔導士アルベルト・バーゲンの新生活はスローライフなものにしたいんでね。こいつのような無粋な輩は邪魔者ってことだ」
俺は眼前の怪物を睨みつけながら――
瞬間的に巨大な魔術を組み上げた。