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第四十六話 全ての心は闇の糧となり、しかし晴明の叡智は闇を退ける

 月が静かに輝く平安京の夜――。死者の群れによる襲撃を受けた源満仲の屋敷前には二人の術師が対峙していた。

 一人は、平安京で知らぬ者のない安倍晴明。もう一人は、藤原満成の、ただの客人と見なされていた謎多き牟妙法師。二人の間には、言葉では言い尽くせない緊張感が漂っていた。

 牟妙法師はその薄暗い影の中で静かに立ち、口元には不敵な笑みを浮かべている。彼の周りには漆黒の妖気が渦巻いており、彼の目はまるで全てを見透かすかのように冷ややかであった。

 一方、晴明は落ち着き払っていたが、その眼差しには鋭い光が宿っている。晴明はその近くに眠る道満を一瞬見つめると、自身の懐に手を入れて一枚の呪符を取り出した。


「急々如律令――」


 静かに呪を唱えた晴明が、その指で呪符を軽く弾く。すると、呪符は、意志を持つかのように空を奔って牟妙法師を目指し飛んだ。


「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ――」


 呪符が空中で風の塊と化し――、牟妙法師の胸を穿とうとしたその瞬間、牟妙法師自身はいつものように呪を唱える。

 その呪文が響いた瞬間、空を奔る風撃弾は――、巻かれた糸がほつれるように崩壊し、そしてそのまま牟妙法師が纏う闇へと取り込まれていった。


「――これは……」


 その異様な光景に、晴明は眼を見開いて驚きの顔を作る。それを笑顔で見つめながら牟妙法師は言った。


「無駄ですゾ? ――これぞ、我ガ死怨院呪殺道……、その秘術ノ二番目――」


 ――死怨鳴呪(しおんめいじゅ)――。


「死怨鳴呪? それは――」


 その問いに牟妙法師は楽し気な表情で答える。


「原理は死怨奉呪とほボ同じ――、人の感情を我が力とスるモノ。しかし、この死怨鳴呪はヒトの感情から生まレる(ちから)――、呪法をソレとして霊力へト逆変換して取り込むこトが出来るのです」

「それはすなわち――」

「感情から生まれル呪はすべからく我がモのとなる。要するに――、この私に何カしらの感情を向けレば、貴方のすべての呪は私の糧となるノです」


 その牟妙法師の言葉を聞いて目を細めて晴明は言う。


「――それは……、あまりにも出鱈目な術ではないですか。まさか……、貴方に対して少しでも感情を向ければ……?」

「そうですナ――、貴方の術は霊力へトほつれて我がモノです」


 彼の操る死怨鳴呪の効果に――、さすがの晴明も驚きを隠せない。もし彼の話が本当ならば――、


(――感情を持つヒトの身では、呪法を以て彼に傷をつけることは、絶対不可能であるという事になる)


 それは、陰陽師である安倍晴明では、牟妙法師に勝つ術は存在しないという事であり――。


「いくら何でも信じられません――。そのような出鱈目極まりない呪法が、正しく成立するとは到底思えません」

「ほう? ――何かしらノ制約があると?」

「無論ですとも――、ならば、私のすることは決まっています」


 そういうが早いか、安倍晴明は懐からヒトガタを取り出す。しかし、そのヒトガタは道満のものとは明確な違いがあった。


「そレは――?」


 牟妙法師がここにきて初めて困惑の表情を浮かべる。そのヒトガタには細かな呪が描かれていた。

 そのヒトガタを手に晴明は牟妙法師へと走る。そして――、独特の呪が月下の闇に響いた。


「木神吉将――寅の方角より来りて風迅奔り――、断ち切れ――【青龍】!」


 その瞬間、晴明の身に青い鱗の龍神の姿が重なる。そして空を牟妙法師めがけて”かまいたち”が奔った。


「――」


 だが――、その効果は一瞬で消滅した。牟妙法師の身に傷をつける事もなく、消えてなくなったのである。

 晴明はただ黙って崩れ逝くヒトガタを見つめた。


「フフフ――、なるホど……、それガ安倍晴明の十二天将――」

「その通り――、なんですがね」


 笑う牟妙法師に、晴明は苦し気な表情を向ける。――また呪は闇に取り込まれてしまった。


「まさか……我が式神の力すら取り込むとは――、本当に出鱈目としか言いようがありませんね」

「お褒めにあずかリ光栄でスな――」


 ここまで――、目の前の牟妙法師は傷一つ負ってはいない。全くその場を動いていないにもかかわらず――である。

 ここにきて晴明は一つの疑問を口に出した。


「――これほどの呪法は……、何かしらの反動があると考えるのが常識――」

「ならバどうします?」


 再び晴明はヒトガタを取り出す。そして――、


「木神凶将――卯の方角より来りて雷となり――、空を裂け――【大衝】!」


 晴明の身に黒兎の姿が重なり、凄まじい轟音とともに空を雷が走り抜ける。それは牟妙法師を取り込んで――、


「――」


 やはりそのまま何事もなく消滅した。


「これでも――」


 あまりの事実に晴明は言葉を失う。

 その呪は雷の帯によって敵を焼き尽くすものであり、本来ならその一撃で牟妙法師は灰となっていたはずだが――。


「効きマせんでしたな?」

「――」


 その嘲笑を受けて晴明は苦い顔をする。その段になってやっと牟妙法師はその指で印を結んだ。


「お返ししましょうかね?」


 三日月のように口の裂けた笑いを浮かべる牟妙法師、――その身から凄まじい放電が発せられて空を奔る。


「――!!」


 それを見た晴明はすぐさま、剣印を結んで呪を唱えた。


「凶事を防げ――、バンウンタラクキリクアク――、ウン!」


 ドン!!


 放電が晴明を打ち据えるのと、五芒星の結界が展開されるのは同時であった。

 晴明は懐に手を入れて、一枚の呪符を取り出し”急々如律令”と唱える。


「む?」


 その瞬間、呪符は長く伸びて一振りの両刃剣へと姿を変えた。

 晴明が地面を幾度も踏んで、空に格子模様を描く。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女――」


 その瞬間、晴明の身体能力が極限まで跳ね上がった。


「ほウ――、あえて苦手ナ近接戦を挑むつモりですか?」

「――」


 それに答えず牟妙法師との間合いを詰める晴明。その剣の軌道が空を奔る。


 ガキン!!


 いつの間にか錫杖を手にしていた牟妙法師が、それを盾に晴明の剣を受け流す。

 剣を防がれれた晴明は、それでもひるまず返す刀で剣を振り払い、もう片手でヒトガタを目前にかざす。


「木神吉将――寅の方角より来りて神降ろし――、神気を宿せ――【功曹】!」


 その瞬間、晴明の刀身に黒い虎の姿が映り込み、そして光明が宿る。それは剣の刃を極限まで鋭く変えて、牟妙法師の錫杖に小さくない傷をつけた。


「は――」


 だがそれでもなお牟妙法師は笑う。――それもそのハズ。


「――?!」


 晴明の剣に宿っていた力が消えてなくなる。これはまさしく――、


「また、死怨鳴呪ですか?!」


 あまりに貪欲に呪の精を喰らうその呪法に、さすがの安倍晴明も驚愕の表情を見せた。


「はは――」


 その顔を笑いながら牟妙法師が錫杖を振り抜く。その錫杖には電光が宿っており、晴明を打撃と雷で砕こうとした。


「凶事を防げ――、バンウンタラクキリクアク――、ウン!」


 五芒星の結界が晴明を守るが、その手にしていた剣は宙を舞う。牟妙法師は振り抜いた錫杖を両手で支えて、再び晴明にめがけて振り――打撃しようとした。


「く――」


 錫杖の先端が晴明の腹の前を通り過ぎる。晴明は何とか後方に飛び退いて、荒い息を吐いた。


「はあ――はあ……、これは何とも」

「ククク――、疲れテきましたかな?」


 呪を行使し続けて疲労が濃い晴明に対し、全く疲労した様子の欠片もない牟妙法師。

 さすがの晴明も顔を歪めて後退る。


「これは――参りました。何とも最悪ですね」

「クク――、貴方の呪力ハ……とても美味しイですな――」


 その嘲笑を苦々しい顔で受け止める晴明。晴明は少し考えた後、牟妙法師に向かって言った。


「貴方の死怨鳴呪――、一つの呪には対応できるようですが」

「む?」

「同時ならどうです?」


 その瞬間、晴明の両の手に二枚のヒトガタが現れる。それを手に連続で晴明は呪を唱えた。


「木神吉将――卯の方角より来りて暴風を呼び――、押しとどめよ――【六合】! ……木神凶将――卯の方角より来りて雷となり――、空を裂け――【大衝】!」


 雷を纏った凄まじい暴風が牟妙法師を飲み込んでゆく。そしてそれをめがけて極太の電光の帯が空を奔った。


「――」


 ――でも、次の瞬間には二つの呪の痕跡は消えうせていた。牟妙法師は傷一つない姿で、晴明に対して嘲笑を向けていた。


「――ああ、これは――」


 ここにきてさすがの晴明も、地面に膝をつく。息が上がって額から汗が落ちていた。


「最悪で――、まさに出鱈目としか言いようのない話ですね」

「はは――、もはヤお終いといったトころですかな?」


 牟妙法師は笑いながら晴明の下へと歩いてくる。それを心底疲れた表情で見つめながらため息をつく晴明。


「牟妙法師殿――、貴方のその呪の恐ろしさは、身をもって理解いたしましたよ」

「ほう? ならば、もはヤ抵抗は諦めるト?」

「いいえ――、あと一回だけ……抵抗させていただきたい」


 そういう晴明は懐から一枚の呪符を取り出す。そしてそれを指で弾いて――、


「急々如律令――」


 そう唱えたのである。


「ほ? それは――」


 空を風の塊である不可視の弾丸が飛翔する。それは一番最初に打ち込んできた風撃弾であり――。


「なんのつもりですかな――」


 それは、無論、牟妙法師に命中することもなく消え失せてしまう。

 その無為ともいえる晴明の行動に首をかしげる牟妙法師であったが……。


「まあいい――、これで抵抗も終わりだと……」


 ――と、不意に牟妙法師は、激しいめまいを得て膝を地に着けた。


「く――あ?」


 さらに――その腹から昇ってくる濃い血の味に、口を手で押さえる牟妙法師。


「げ――は……」


 その口から血が溢れて地面を濡らした。


「なに? これは――。天命が切れた? ――いや、それはまだのハズ」


 しこたま反吐を吐いた牟妙法師は――、苦し気な表情を晴明に向けた。


「これは――、何をした……安倍晴明」


 その視線の先に、小さく笑う晴明が立っていた。


「ほう――、天命ですか? やはりその呪には大きな反動があるようで」

「――我が問いに答えろ晴明」

「ふむ、――何をした……ですか? そのような事、私が今まで扱った呪を思い出せば理解できるのでは?」

「なに?!」

「貴方は――、あらゆる呪を取り込めると過信しすぎて、うわばみのごとく”呑み過ぎた”のですよ」

「――」



”呪符・風撃弾――”


”木神吉将――寅の方角より来りて風迅奔り――、断ち切れ――【青龍】!”


”木神凶将――卯の方角より来りて雷となり――、空を裂け――【大衝】!”


”木神吉将――寅の方角より来りて神降ろし――、神気を宿せ――【功曹】!”


”木神吉将――卯の方角より来りて暴風を呼び――、押しとどめよ――【六合】!”


”木神凶将――卯の方角より来りて雷となり――、空を裂け――【大衝】!”


そして……”呪符・風撃弾――”



「あ――」


 その瞬間、牟妙法師は理解する。そしてその心のままに言葉を吐き出した。


「安倍晴明――、貴様……、初めから? 初めからだと?!」


 その言葉に晴明は薄く笑いを浮かべる。


「まさか――、木行? 全て木行に関する呪で――」

「その通りですよ。――全て木行です。その呪を全て取り込んだことによって――、貴方の身は木気の許容を越えたのです」

「あ――ぐ」

「一つの属性の気を――ある程度取り込むだけなら、貴方の力になったでしょう。でも――、一つの気を取り込み過ぎると、人は内臓をやられてしまう」


 その晴明の言葉に――、反吐を吐きながら牟妙法師は笑う。


「は――、これは、したり――。まさに……」

「調子に乗って飲み込みすぎでしたね? 牟妙法師どの」

「か――はは……、こレは――、これが安倍晴明――。我ガ呪をこうもあっサり攻略して見せるとは――」


 牟妙法師は楽しそうに――、反吐を吐きながら笑う。

 それを晴明は静かに見下ろして言った。


「さて――覚悟をしてください。このまま貴方を――」

「は――」


 その時、牟妙法師の瞳が妖しく輝く。晴明は何かを感じてその場から飛び退いた。


 ドン!!


 衝撃と爆音が響き、牟妙法師のいる場所に無数の死人が溢れる。牟妙法師はその波に飲み込まれて消えてゆく。


「か――はは……」

「逃げるか――」


 それでも追いかけようとする晴明であったが。


「よいのか? 弟子の事は――」


 不意に牟妙法師がそう言って晴明を留める。晴明ははっとして道満の眠る方を見た。


「道満!!」


 気絶して意識を失っている道満が、死者の波に飲み込まれようとしていた。晴明は一瞬も躊躇わずに道満の下へと走る。


「――ああ、それでよい――晴明。今宵の宴は、これまでにするとしよう」


 薄く笑う牟妙法師は死者の波に埋もれてゆき――、その言葉だけがその場に残った。


 こうして、安倍晴明と死怨院呪殺道の使い手の――、その初めての邂逅は終わりを告げた。

 それは――千年後にまで続く宿命の出会いでもあったのである。

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