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第三十九話 道満と梨花は高倉と相対し、その果てなき狂気を知る

 道満が晴明宅より逃走して二日が経った。検非違使は全力を以てそれを追跡し――、その追跡には陰陽師すら参加する事態となっていた。

 しかし――、


「陰陽師を使ってスら捕まえられヌとは、検非違使どもも無能ばかりカ――困ったものヨ」


 平安京のはずれにあるとある屋敷――、

 妙に奥歯にものが挟まったような言葉遣いをするのは法蔵姿の背の低い男である。

 その男に対してにやけ顔をした青年が言う。


「そういう師も、道満とかいう術者の行方が分かっていないようですが?」

「はは――これは、シたり――。最モあの連中の見つけられヌと――、吾輩の見つけヌとは大きく違いますガな――」

「――はは、やはり師は……、わざと見つけなかったと――。私は本当にただの実力不足でしたが――」

「はは――、満忠様ハまだまだ修行ガ必要でございますナ――」


 そう言って朗らかに笑う法師。それを見て青年――、藤原満忠は笑って答えた。


「無論ですよ――、まだまだ私は勉強いたしますよ」

「ふふ――、満仲様ガ……、不意に村々を訪れテ、呪で病気を癒して回ルのも勉強の一環ですカな?」

「そうですね――、下賤の者の感謝など呪文書ほどの価値もないですが――。彼らは良い実験体ですから、それが素直に私に従うに越したことはありませんからね」

「良いですナ――、まさしくその通りデす。いちいち悲鳴デもあげられたラ、気分が悪くなっテ殺したくなる――」

「はは――、さすがは牟妙法師様――、わが師匠だけに分かっていらしゃる」


 そう言ってお互いに笑いあう。――そう、この妙なしゃべり方の法師こそ、かの満成の客人である在野の術者――、牟妙法師と呼ばれる男であった。

 この男――、最近、満成の客人として名を売り、貴族向けの加持祈祷をいくつも行っている、その道では有名な人物である。

 同時に、この満忠の術師としての師匠でもあり――、その本性の悪辣さは満忠はおろか――、満成や満顕すら足下にも及ばない者であった。


 正直な所――、昔の満忠はそれほどの邪悪さを持ってはいなかった。

 彼はただ貴族として生まれたゆえに、下の者を下賤とみなしてはいたが――、それはどの貴族にしても同じ。そして――、傷に泣く者の傷を無償で癒してやる事すらする素直な人物であった。

 だが――、彼はかかわった人物――、そして兄や父――、師匠に恵まれなかった。その悪辣な性格を当たり前として受け入れてしまったがゆえに、その心は当然のように歪み切ってしまったのである。

 元々、彼が術師を志した理由――、病気の母を癒したい……、その穢れのない想いも今は昔。治療法を確立するために実験体として、多くの下層民を殺害した今ではもはや彼の純粋さは完全に失われていた。

 ――いや、環境が生み出した”純粋な邪悪”と言ってもいいかもしれない。


「さて――、最近東方で流行り始めたという噂の伝染病、その治療法を確立すべく実験体を集めてみたわけですが――」

「少々痩せテ元気のないもノばかりですな――」

「食事は与えたのですが――、せき込むばかりで何とも」

「ほう――、食事をまともにとっていない者に食事を?」

「いけませんでしたか?」


 その素直そうな満忠に笑顔で牟妙法師は答える。


「量にもよりますガ――、まあいいノでは?」

「そうですよね?」


 その満忠の言葉に静かに牟妙法師はため息をついた。


(――まあいいでスか……、とりあえずハここらでお暇しましょウ。面倒に巻き込まれなイうちに――)


 そう考えつつ牟妙法師はそそくさと帰り支度をし始める。それを見て満忠は言った。


「おや? 師よ――、もう帰るのですか?」

「はい――、これカら少々用事がありますノで――」

「はあ――」


 そう言ってほおけた顔をする弟子に笑いかけながら、牟妙法師は立ち上がりその場から去っていく。満忠はそれを不思議そうに見つめるだけであった。



◆◇◆



 夜の帳が下りた後、月明かりだけが頼りの闇の中を、道満と梨花は静かに歩いていく。二人は、安倍晴明が調べ上げた情報に基づき、満忠の呪法実験場を探して平安京のはずれへと足を運んでいた。

 周囲には、虫の鳴き声と風の音だけが響き、人影は全く見当たらない。街灯りもまばらな薄暗い道を、二人は肩を寄せ合いながら進んで行った。


「それで――、師が見つけた満忠の実験場とは――?」


 道満のその言葉に、梨花は少々不安げな表情で答えた。。


「ええ――道満様。この先にある屋敷がそれだそうで……」


 道満も梨花も、未知の領域に足を踏み入れることに不安を感じていた。しかし、現状を打開するためには、この呪法実験場を調査するしかない。

 二人は、足音を忍ばせながら、月明かりだけが照らす薄暗い路地を進んでいく。――突然、道満が足を止めた。


「……誰かいる。」


 道満の言葉に、梨花は息を呑んだ。路地の先、暗闇の中から人影がゆっくりと現れた。


「む――」


 道満は背を低くして、道端にはえる樹木の木陰に隠れる。梨花もそれに倣って、道満の背後に身を隠した。

 すると――、そのすぐ側を見知らぬ男が通り過ぎてゆく。


「――」


 その男は、黙ってそれを覗き見る道満達に気づいた様子もなく、ゆっくりと道満達に背を向けてちょうど道満達がやってきた方向へと去っていった。

 その男こそ先ほどまで満忠と会話していた牟妙法師であったが――、今の道満達はそれを知ることはない。


「今の御仁――」


 その男から何かを感じ取ったのか、道満は一人静かに呟いた。


「どうしました? 道満様――」


 不安そうに尋ねる梨花に、道満は小さく笑って答える。


「いや――、おそらく気のせいだ」


 しかし、その時の道満の表情には、どこか影がさしていた。

 未来視にすら匹敵する道満のカンが、未知の脅威の存在を感じ取っていたのである。

 でも――、今目指すべきは満忠の呪法実験場である。とりあえずの不安は脇へと置くことにして、それでも十分警戒しつつ二人は屋敷への道を進んで行った。


「あれか――」


 しばらく進むと、目前に目的地である古びた屋敷が見えてくる。

 道満は、古びて朽ち果て――、所々に穴すら開いた屋敷の門扉をじっと見つめた。その醜く歪んだ木製の扉は、まるで異形のモノのように彼の視界を遮っている。

 しかし、その時の道満の霊視覚には、その屋敷が全く別の姿として映っていた。


(――あの屋敷……、見た目はああだが――、明確に呪で補強がなされている――、そして――)


 道満は、屋敷全体を覆う巨大な”方陣”を見上げ眉をひそめた。それは、複雑な模様が描かれた巨大な結界であり、屋敷全体を覆い尽くすように広がっていた。


「あれは――、人払いか……」

「人払い?」


 その道満の呟きに梨花が問いを発する。――道満は頷いて答えた。


「ひとを寄せ付けないようにする結界の事だ――、しかしそれならば――」


 道満は何やら納得した風で頷く。それを見て梨花が再び問うた。


「その結界に――何か?」

「ああ――、俗にいう人払い結界とは、基本的に術者ではない一般人を遠ざけるためのものだ。なぜなら、術者はたいてい霊視覚を持ち、それで常に魔力を感知している。人払い結界のような呪力の高い方陣は、術者にとっては太陽のような存在で、どんなに欺瞞してもその存在に気付いてしまう」

「え? ソレって――」


 道満は静かに笑って話を続ける。


「だから、――あの屋敷の持ち主は、それをわかった上で使用している大胆な人物か――、或いはそれを理解せず馬鹿を晒している勉強不足の人物か――、そのどちらかということになる」

「それは――、どちらでしょうね?」

「ふん――、間違いなく後者だろうさ。もし前者なら隠し陣の一つぐらいあるはずだからな」

「隠し陣?」


 そう言って首をかしげる梨花に、道満は笑って答えた。


「人払い結界で誘い出された術者を罠にかける――、隠した結界の事だ。もっとも、拙僧(おれ)の目を欺ける隠し陣を敷けるのは、平安京では師しかおらぬ」

「あの屋敷の結界にはそれがないと?」

「――どこにも見当たらん」

「では――」

「うむ――、結界自体も少々雑な様子だから――、術師としては三流の者が作ったのだろうな」


 道満の小さな笑いに、梨花は微笑みながら頷いた。それから二人は、意を決して屋敷へと近づいていく。

 屋敷は静寂に包まれ、木々の葉が風に揺れる音だけが聞こえる。道満達は、一歩一歩、ゆっくりと屋敷に近づいていく。屋敷の門扉は壊れかけており、隙間から中庭が見える。中庭には枯れ木や雑草が生い茂り、荒れ果てた様子だ。

 道満は、門扉に手をかけゆっくりと開けた。門扉が音を立てて開き、二人を屋敷へと招き入れる。


 その時――、


「ここに現れましたか――、蘆屋道満殿」


 不意に背後からそう声がかけられる。道満はすぐさま振り返って、梨花をその身で隠した。


「む――貴様は」


 月光の下に佇む一人の男がいる。それは、道満にとっては憎むべき人物の一人であった。


「――高倉恒浩」


 その道満の呟きに、男はその顔に笑顔を浮かべる。


「その通りですよ――、ちょうど満忠様に会わなければならぬ用事があったのですが――、何とも幸運ですね……」


 その男――高倉恒浩の薄い笑いを見つめながら、道満は顔を歪めて舌打ちする。


「ち――。こっちにしては不運極まりない話だ――が、貴様……本当に我らを待ち構えていたわけではないのか?」

「無論違いますとも――、全くの偶然で……、まさかそれを疑いますか?」

「――……。いまさらそのような嘘を付く意味もない――か」


 道満は身構えながら恒浩に対して言葉を返す。それに反応するように恒浩は腰の刀を抜いた。


「ふふ――」


 不意に楽しそうに恒浩が笑い始める。それを気味の悪いものを見た――という風で道満は身を引いた。

「――何を笑う恒浩」

「無論、楽しいから笑うのですよ――、これから素晴らしい命のやり取りが行われるのですから」

「――」


 その言葉に道満の目が細められる。それを、恒浩はまさしく狂気の宿った目で見つめた。


「――私は、戦えぬそこらのゴミを切るのは――、ほとほと嫌気がさしているのです。満成様――、満顕様の命令とはいえ――」


 顔を邪悪に歪めながら言う――、その瞳の奥に輝く陽光が見える。

 それが何か理解した道満は、恒浩に対して短い言葉で問う。


「お前――、その目――」

「ふふふ――、わかりますか? 私の目は特別製でして――、ほんの直近ではありますが戦いの先が見えるのです」


 その恒浩の言葉に、道満は苦い顔をする。


(まさか戦闘未来視というヤツか? 戦い限定――一息未来に過ぎないが、未来が見えてそれを元に未来を自由に変えられるという……)


 そう考える道満に向けて、恒浩が妖しく不気味に笑った。


「さあ――、道満殿――、貴方が死ぬ未来を私に見せてください――」

「はん――、それは無駄な話だな……、ここでは貴様が負けるからな」

「ふふふ――、やっと使える――、久しぶりに使える――、ヒトの死を――見ることが出来る」


 そのあまりに狂気じみたセリフに梨花は怯えて後退る。道満は狂気の恒浩を見てため息をついた。


「――貴様は、かの満顕の行為を止めておったという話だから、多少はマトモだと思っておったが――コレか」

「ふふ――、そこいらのゴミが死ぬのを見るのは嫌いなのでね――、だから満顕様にはなるべく自重していただきたかっただけです」

「それならそれでいい……、気にせずぶっ飛ばせるというものだ」


 そう言って道満は拳を握る。

 ――かくして夜の闇に紛れて――、狂気に満ちた剣士との、道満の一騎打ちが始まる。

 ――果たしてその勝者は?

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