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第三十八話 道満は激情に迷い、梨花は希望を以て叱咤する

「そうか――かの安倍晴明……首の皮一枚で何とか地位を保ったと?」

「はい――、あの蘆屋道満が、土蜘蛛娘を攫って逃げたとかで――。結局、晴明はすべてを知らず、道満が勝手にやっていたことだと見なされた様子で……」

「ふん――、まあそれならそうでもいいさ……、まだこれからやりようはあるし――な」


 それは平安京の一角にある藤原満顕の屋敷。そこで当の満顕は供である高倉恒浩と酒を酌み交わしていた。


「それで――、かの道満がどこに逃げたかはわからぬのか?」

「それは、さすがにかの者は優れた術者である様子――、満忠様や、牟妙法師殿の術でもわからぬようで――」

「ふん――、まあ検非違使が走り回っておるのだ――、そう無茶もせずどこか姿を隠しておるのだろうな」


 そうつまらぬ――と言うふうで満顕は呟く。それを無表情で見つめながら高倉恒浩は答えた。


「ただ――、その事より……満忠様が――」

「む? またぞろ何やら初めたのか?」

「はい――、都の端に住む浮浪者を、食料で釣って集めているらしく――」

「はあ――、このような時期に……、満忠にも困ったものだ――」


 そういって満顕はため息をつく。満忠の――その行いの証拠隠滅も、そうそう簡単なものではないからである。


「――とりあえず……、恒浩――。今は下手な行動は慎むように満忠に言ってきてくれ」

「了解いたしました――。では……」


 そう言って恒浩は、主である満顕に頭を下げると、屋敷を静かに出ていった.


「――ふう、別に満忠のやることを咎めるつもりは毛頭ないが――、この時期は、少々面倒なことになりかねんからな」


 満顕はそう呟きつつ横になって酒を飲む。すぐに眠気が襲い――そして目を瞑ったのである。



◆◇◆



「――く」


 ドン!!


 その時、蘆屋道満は梨花と隠れる無人の屋敷で――、その壁を拳で殴りつけ憤っていた。


「道満様――」


 その様子を心配そうに梨花が見つめる。


「なんでだ――、藤原兼家――。あいつらの策で命を狙われたというのに」


 その憤りも理解できると心の中で梨花は思う。


(まさか――、あの兼家という公家が、こともあろうに満成に手を貸すなんて――)


「おい! 梨花――」


 不意に道満が梨花に向き直る。そして強い口調で問うてきた。


「晴明は――、師は確かに……、兼家に事情を話しているのだな?!」

「ええ――、そのハズです……。だから兼家様は、かの満成の策謀を抑え込む為に動いていると――」

「そう考えている――、考えていた?」

「――」


 それは見事に裏切られている。まさしく現在進行形で道満は満顕――、そしてその親である満成の策にはまり、逃亡生活を余儀なくされているのだ。

 何より――梨花が土蜘蛛であるという事実は、誰も知らないはずの事――。無論、晴明は兼家にすらそれを話してはおらず――、


(――何がどうなっておる? まさか……術師の端くれである満忠が?)


 梨花を土蜘蛛であると見抜くには、それなりの呪法の心得を必要とする。特に晴明が探査妨害を梨花にかけている現在は――、


(よほどの術者でないかぎり――、師の妨害をかいくぐるなど無理のはずだ――! それがなぜ?!)


 この時に道満は一つの事実を知らずにいた。かの満成に――呪法に関するブレインがいることを。

 道満は憎々し気に唇を噛み。――そして憤る。


「くそ――、知ってはいた……、知ってはいたのだ――! 貴族どもが――、これほど私欲にまみれた屑ばかりであることを!!」

「道満様――、それは――」

拙僧(おれ)は――、このままでいいのか?! このまま奴らのいいようにされて――」


 その怒りは道満の表情を歪ませる。そしてそれは――、平安京に巣くう愚かな貴族――、そう道満が考えるものすべてに向かい始めていた。

 それを見て――梨花は、


「道満様!! しっかりしてください!!」

「――!」


 不意に大きな声を出して道満を叱咤した。その声に驚きそして狼狽える道満。

 ――それに対し梨花は毅然とした口調で言った。


「道満様――、一体何を考えておいでですか?!」

「何だと――それは……」

「まさか――、陥れられたと怒りのままに――、兼家様などを襲う算段でも考えておいでですか?!」

「む――」


 その梨花の言葉に道満は口ごもる。まさに――そのように考え始めていたからである。


「貴方は――、一体誰ですか?!」

「誰――だと?」


 その梨花の言葉に困惑の表情を浮かべる道満。それに対し梨花は心のままに叫んだ。


「平安京を――、ヒトの世の平安を守護する陰陽師の――、その端くれでしょうに!!」

「端くれ――」


 その辛辣な答えに道満は少々落ち込む。そのような様子を気にも止めず梨花は叫ぶ。


「本当に忌々しい話ですが――。平安京の守護者たる貴方が――、平安京を荒らす算段を考えるなど――何を考えているのですか!!」

「いや――しかし……」


 事はそれほど簡単な話ではない――、かの兼家こそが平安京の政治を腐敗させているなら――。

 しかし梨花ははっきりと言う。


「貴方は安倍晴明様の弟子なのでしょう?! 晴明様が――一所懸命に捜査を進めているその時に、それを黙阿弥に返すようなことを考えないでください!!」

「むう――」

「なにより――、悲しいです」


 そう言って梨花は涙をためて道満を見つめる。


「道満様は、妖魔である私を偏見の目で見ず――、受け入れてくれた……。それがまるで、あの時の静枝のような――、あの静枝と同じ目を、今道満様はしています」

「あ――」

「確かにこの事態は――、怒りを得るには当然です。でも――、だからと言って、すべてを”もはやどうでもいい”と放棄して、兼家や貴族を襲うのは間違っているはずです!」

「梨花――」


 その梨花の言葉に道満は、それまでの怒りを消した。


「――腐敗しているならそれを正す――、暴力に簡単に訴えるよりそれは難しい。でも――」

「――晴明は……」

「そうです――。晴明様は地道な捜査によって、それを今も行っています。おそらく――道満様を救うためにも――」


 今、自分が怒りに任せて動けば――、それは晴明にどの様な事態を招くのか。その時になって道満ははっきりと気付いたのであった。

 ――道満は俯き唇をかむ。


(――拙僧(おれ)としたことが、また激情にかられて間違いを犯す所であった――)


 その後悔する様子に――梨花は微笑んで言った。


「道満様――、大丈夫です。晴明様はきっと何かいい手立てを考えてくれます。そして――」

拙僧(おれ)たちが今すべきことは――」

「はい――、こうなった以上は直接彼らの悪事を――、その証拠を集めましょう!」

「うむ――、晴明にそれをどうにかして届けて――。奴らの陰謀を暴く――」


 その時になってやっと道満は元の不遜な表情を取り戻す。それを見て梨花は嬉しそうに笑った。


「その意気です! 道満様!! 私も僅かですが力を貸しますから!」


 そういう梨花に、やっと笑顔を向ける道満。――その瞳には強い意志が宿っていた。


(大丈夫だ――、拙僧(おれ)は見失わない――! この逆境を跳ね返し……、必ず平安京の闇に光を当てて見せる!!)


 かくして道満は――再びその目に光を取り戻す。そのすすむ先は――、


「ならばまずは――、今も何かしら悪事をしているであろう満忠の身辺を探る――」

「はい――、行きましょう!」


 道満と梨花はそう言ってその手を握り合った。


 ――道満と梨花は、今闇のまっただ中にいる――、しかしその目には……、確かに微かな光が見えていたのである。

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