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第三十七話 梨花の秘密は暴かれ、道満は晴明を守るために影に消える

 月夜の闇に藤原満顕の微笑がある。


「――という事で、安倍晴明の弟子……とやらは見事罠にはまったぞ、父上――」

「ふふ――、そうか、よくやった――、こちらも万事順調である」


 そう言って笑い返すは藤原満成である。満顕は父の言葉に酒を傾けながら答える。


「ほう――、父上……あの兼家が――、動いたのですか?」

「ふふ――その通りですよ。彼は復権がなされて久しいですが――、それでも敵は多いという事――」

「ならば――」

「ええ――、このまま安倍晴明を失職にまで追い込むことは十分可能でしょう」


 その満成の不気味な笑いは、まるで血に飢えた悪鬼そのものであり――、


「安倍晴明は――、陰陽師としては優秀だが……、政治事に関しては疎い様子だ――。はかりごと――政治的利害という事をいまいち理解してはおらん」

「――ならば、そこは父上の領分――。弟子の失態をもとに晴明をつつけば――」

「ふふ――、私を甘く見るな? 安倍晴明――」


 ――そう、決して安倍晴明の地道な捜査は進んでいなかったわけではなかった。その障害となっていたのは――。


「それで――父上? トドメとなるアレはもう?」

「ああ――、牟妙法師に晴明の身辺を探らせていて――、まさかあのような事が……とは思っておったが――。十分利用させていただいた――」

「ならば――、検非違使も動いていると?」

「――当然」


 闇に笑う満成――。果たしてその次の一手は?



◆◇◆



「それは――、どういう事なんです? 晴明様――」

「ふむ――、どうも藤原兼家様の動きが芳しくないという事ですよ」

「――」


 その時、安倍晴明は梨花と捜査の今後について話し合っていた。


「なぜです? ――これだけの証言・証拠があってなぜ動かないのですか?」

「おそらくは――、満成がなにか兼家様に吹き込んでいるのでしょう」

「そんな――」


 晴明のこれまでに集めたものはかなりの数に及ぶ。

 藤原満顕がこれまで行ってきた悪事に始まり――、それを満成がもみ消したという証言。

 藤原満忠が裏で行っているらしき非道な人体実験とその証言。

 その目撃者等を満顕が始末して――、さらにそれを満成がもみ消したという証言。

 そして――、満忠が事もあろうに土蜘蛛一族と術具取引を行い――、それに関連して起こった証拠隠滅の数々。


 それは証言が中心で、明確な証拠と呼べるものはなかったが――、それでも満成を追い落とすには充分であったはず――なのだが。


「やはり――、明確な証拠を探すしかないのか?」

「晴明様――」


 梨花は心配そうに晴明を見つめる――、しかし、ふと表情を変えて言った。


「――しかし、晴明様がこうして悩んでおられるときに道満様はいったい何をしておられるのでしょうね?」

「道満――?」

「ええ――、何か今日は遅い様子――、このように月が昇っても帰ってこないなんて……」

「――……む?」


 不意に晴明の表情が険しく変化する。突然の変化に梨花は困惑した。


「どうしました? 晴明様?」

「――この屋敷の周囲に……」

「え?」


 晴明はすくっと立ち上がると屋敷の門扉へと進んでいく。それを困惑の表情で梨花は追った。


「――?」


 晴明が屋敷の表へと出ると――、その門扉の向こうは、何やら明るく火の光が見えた。


「晴明様? 表に何者かが?」

「――下がっていなさい梨花」


 梨花を下がらせると静かに門扉を開く晴明――、そこには……。


「――!!」

「ふむ――、さすがの陰陽師……我々の動きに気づいて出てきたか?!」


 そこには完全武装した検非違使の群れが屋敷の周囲を固めていたのである。


「これは――、何事ですかな?」


 至極冷静にそう検非違使の長らしき者に問いかける晴明。それを――、静かにに睨んで検非違使は答えた。


「お前が――、土蜘蛛を匿っているという知らせがあった……、そして――」

「……なんですと? ――土蜘蛛? そのようなでたらめを事を誰が――」

「あわてるな晴明――、それだけの事ではない」


 静かな口調で言い返す晴明を検非違使の長は止めた。


「――それだけではない? 一体――、あ……」


 その時、いまだに屋敷に帰らぬ道満の存在を頭に浮かべる。その様子を見て検非違使の長は妖しく笑った。


「お前の弟子である蘆屋道満――。その者に藤原兼家様への呪詛……並びに、それを行うための生贄とするべく、女を殺したという容疑がかけられておる。それも――」

「まさか――!!」

「――それを主導したのは……師匠である貴様であると――」


 あまりの言葉にさすがの晴明も驚愕に変わる。さすがの事態に、屋敷の中に隠れていた梨花も顔を出す。


「その娘か――、捕らえよ」

「あ――」


 検非違使の群れが、晴明を横目に屋敷内へと押し入っていく。それを怯えた目で梨花は見つめた。


「梨花――! ――待ちなさい……この娘は――」

「何かあれば検非違使庁でじっくり聞かせていただく」


 そう言って検非違使の長は強い力で晴明の肩を掴んだ。


(まさか――これは……、藤原満成の策?! ――でも)


 晴明は検非違使の長を睨むと――、強い口調で叫んだ。


「この事は――藤原兼家様は……知っておられるのですか?!」

「――うむ?」


 その言葉に検非違使の長は、少し笑って言った。


「――これは兼家様直々の命令であるが?」

「な――」


 その事実にさすがの晴明も驚きを隠せなかった。なぜなら――、


(まさか――なぜ?! 兼家様には……事のあらまし――、藤原満成とその息子たちの所業を伝え――、そして捜査中であると伝えてあるはず!)


 ――ならば、兼家公が満成の策に与するとは到底思えない――が、


(今、このような手段を行ってくる者は――満成以外ありえぬはず――どういうことだ?!)


 さすがの晴明もこの状況に困惑が隠せなかった。――と、その時――、


「愚かな師よ――、愚かだからこそ、そうして拙僧(おれ)の罠にはまったのだ――」

「む?」


 何処からか響く声に検非違使達は周囲を見回す。すると――、


 シュー……。


 どこからか白い煙が周囲に漂い始めたのである。それを吸い込んだ検非違使達は――、


「う――、げほげほ……」


 せき込み、苦しみ、涙を流してその場にうずくまる。その状況をなしたのは――、


「道満――、貴方は!!」

「ふふ――、師よ……いや晴明――、まんまと騙されたようだな」

「――!!」


 その視線の先には静かに歩む道満が写っている。


(――道満?! ――その肩は……)


 道満の肩には布がまかれ――、赤黒く血がしみ込んでいた。――、道満は静かに晴明の下へと歩いていく。そして――、


「すまん――、師よ――、ここは拙僧(おれ)に合わせてくれ――」

「?!」


 そう言って晴明の耳元で呟く。それを聞いてすぐに察した晴明は――、


「げほげほ……、道……満――、貴様裏切って――」

「はは――その通りよ……」


 道満は笑いながら――、そして自分自身を見て身構える検非違使――、梨花を捕らえようとした者達――、の下へと歩いていく。


「貴様!! とま――」

「遅いな――」


 ドン!!


 その道満の腕が横凪にされた瞬間――、検非違使達は後方へと吹き飛び、その場に転がった。

 その光景を困惑の表情で見つめる梨花。道満はその場にやってくると――、


「梨花――この場は逃げるぞ――」

「でも――」

「大丈夫だ――晴明は……な」


 ひそひそ語り合う道満と梨花に追いすがるべく検非違使達は立ち上がるが。


「ははは!! こうなったからには逃げさせていただく!!」

「待て!!」

「馬鹿め――、待てと言って待つ者はおらんわ!!」


 再び道満がその手を横凪にする――、その瞬間再び検非違使達は地面に転がったのである。

 梨花は道満にだけ聞こえる言葉で話す。


「――何がどうなって?」

「まんまと藤原満成親子に嵌められた――」

「しかし、先ほど兼家様の命だと――」

「ああ――おそらくは――」


 道満はかつてないほどに顔を歪める。それを心配そうに見つめる梨花。


「――我らは……、嵌められたのだ――、おそらくは藤原兼家すら、今は連中の側にいるのだろう――」

「な――?!」


 あまりの事に絶句する梨花。それを語る道満の顔には、明らかな憎悪と失望が見て取れた。


「――ここは逃げる他はない――行くぞ」

「道満様――」


 道満は梨花を腕に抱えると高速で検非違使達の間を奔り抜ける。そして――、


「――晴明よ――、これで理解できたか?」


 そう晴明に向かって一言叫んでその身を闇へと躍らせたのである。


「――道満……」


 あまりの事態にただ静かに立ち尽くす晴明。全ては――最悪な方へと進んでいたのである。

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