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第三十一話 陰謀の糸は紡がれ、都の闇はその片鱗を表す

「父上――、またあの者達と会っていたのですか?」


 そう言って屋敷へ帰還した外套の人物を出迎えたのは、齢二十代前半であろう青年であった。


「おお――満顕(みつあき)参っておったのか?」

「ええ――計画が滞りないかと……少し心配になりまして」


 その言葉を聞いて、外套の人物は小さく笑って顔を隠す外套を脱ぐ。


「心配いらぬ――、この父に任せておけばよい」


 そう言って笑う男は――、現在正四位下・参議の地位にある藤原満成(ふじわらのみつなり)であった。


「無論、父の事は信じておりますとも――。しかし、父上の後ろ盾であった藤原兼通(ふじわらのかねみち)様が薨去なさってから――、その政敵であった兼家が復権……そのあおりで父の出世も滞り――」

「ふん――、お前の言いたいことはわかっておる……。兼通様亡き今、無茶なことも出来なくなったからな――。”あの事実”が兼家に知られていたら――私も……」

「本当に危ないところで――、まあ弟も反省をしているようなので。父上もこれ以上満忠(みつただ)を責めるのは――」


 そういう満顕に満成はため息をついて言った。


「まあ――わかっておるさ。責めるつもりなど毛頭ない。そもそも――、妖魔など利用できるなら利用すればいい木っ端に過ぎぬ存在。それをどうしたところでとやかく言われる筋合いなどないのだが」

「――まあ、それを利用して父上を、追い落とそうとする者がいるのも事実です」

「今は我慢の時だ――、兼家が消えれば……芽もあろう。そうでなくても――、あまりやりたくはないが、奴に取り入ればよいだけの事」

「――でも、そうであっても過去のアレがついて回る」


 その息子の言葉に満成は頷く。


「――息子が……あずかり知らぬとはいえ、土蜘蛛と通じていたなど、さすがに広めるわけにはいかぬ」

「――満忠は……」

「うむ――、また妙な術にかぶれて――、もはや土蜘蛛のことなど忘れておるようだ」


 満成はもう一人の息子である満忠の事を考える。彼は幼いころより学術方面に才を発揮し、呪法――陰陽道や大陸の仙道にすら手を出して、非公式ながら並の陰陽師すらしのぐ術を扱えた。


「あの子は、興味のある事は徹底的に調べねば気が済まぬタチ――、それゆえに一時期は土蜘蛛の術具技術にこだわっていたが――」

「――同時に、冷めるときはすぐに冷めますからな――。もはやかの技術の事など弟の頭の端にもないでしょうな」


 二人は”困ったものだ”と彼を想う。そもそもこの事態を生んだのは彼のせいである。


「――かかわった土蜘蛛の集落は滅ぼしておる。もはやそれを覚えている者は満忠と――、滅ぼした集落の土蜘蛛しかおらん」

「そして――、その土蜘蛛も――」

「ああ……、少なくともこれから起こる兼家襲撃で――、そのまま死ぬか……あるいは後で始末してしまえばよい」


 満成はそう言ってほくそ笑む。そう――彼にとっては兼家襲撃が成功しようがどうでもいい事なのだ。どうせ生き証人は消えるのだから。


「ついでに兼家を始末してくれたなら喜ばしい話だが――、まあ無理か?」

「ええ――、さすがの妖魔とはいえ、戦闘能力などない土蜘蛛にすぎませんからな」


 ふと満成は笑顔を消して満顕を見る。


「満顕――、かの兼家襲撃の際、私も連中のもとに顔を出さねばならん。護衛を引き受けてはくれぬか?」

「いいですとも――、成功した暁には……わが剣で土蜘蛛を皆殺しにすればよいのでしょう?」

「そうだ――、お前ならば可能であろう?」


 そう言って笑う満成に――満顕は笑って答えた。


「惜しい娘がいるなら手足を捥いで我がモノとするのもよいですな」

「ふ――、お前の悪癖も極まっておるな……。正直、妖魔に手を出すなど信じられぬ話だが」

「アレはアレで玩具としては良いものですぞ?」


 そういやらしく笑う満顕に、少し苦笑いしつつ満成は頷いた。


「まあ――、好みの娘が居たら好きにするがよい。どうするもお前の自由だ……」

「それはありがたい――父上」


 二人はそう顔を見合わせて笑いあう。あまりに悪辣なその会話を、側で聞く者は一人もいない。

 ――ただ夜が更け、空に昇った月だけがそれを聞いていたのである。



◆◇◆



「――」


 羅城門の近くの誰も住まぬ古びた屋敷――。その夜、静枝は一人寝付けず月夜を眺めていた。

 襲撃が間近に迫った今――、準備はすべて整っている。もはや心配することなどない――そのハズだが。


「――私は……」


 静枝は自分の胸を掴んで顔を歪ませる。今でも鮮明に思い出せる。


(――ああ、あの赤い炎……、友の家族の遺骸――)


 それはかつて生き抜いた地獄の光景。


(――復讐する――。思い知らせる――、絶対に)


 それはあの日から胸に秘める強い決意。


(あの男――、人間の言葉は信用できない――)


 あの外套の人物――、彼とは復讐をするために情報を集めていた数年前からの付き合いであり。


(いつもアイツは言っていた――、兼家こそが件の首謀者であると)


 静枝は――でも……と考える。


(正直、それが事実である確証など私にはない――。騙されている可能性も無論ある――)


 でももう自分にとってはそんなことはどうでもいい事である。

 あの日――、地獄を生き延びてから――、寝ても覚めても心をあの地獄が苛んでいる。


(私は忘れることが出来ない――、嫌でも思い出す――)


 それはまさに心に突き刺さった大きな棘であり――、事実彼女の精神はすでに壊れていた。

 ――そう、もはや彼女には後戻りするという手段が残されてはいなかった。

 復讐を遂げなければ――彼女の心は今以上に壊れ――砕けてしまうのだから。


「――梨花」


 静枝は、自分を心配して、いつもそばに居てくれた優しい幼馴染を想う。

 彼女には――、一緒に復讐することを断られ――、そしてそれが理由で喧嘩別れになっている。


「ごめんね――梨花」


 彼女は常に――、第一に自分の事を想ってくれていた。それはわかっていた――、


「でもこれだけは――」


 梨花の悲しげな瞳を想って静枝は空を見上げる。そこに美しい月が輝いている。


(復讐が成功する可能性は高くない――、返り討ちになる可能性の方が高い……)


 でも――、静枝にとっては、心が砕けるか、その身か砕けるかの違いでしかなく――。


「どちらにしろ砕けるのなら――進むしかないのよ」


 それこそが――、不確かな情報すら信じて復讐を実行しようとする真意であった。


 ――ふと、何か物音が静枝の耳に届いてくる。それは、この屋敷の門扉が開かれる音であり――。


「――」


 静枝は黙って闇へと身を隠す。そして――、


「静枝――」


 その声を確かに聴いた。


「え? 梨花?」


 それは確かに大切な幼馴染の声であり――。その声に屋敷内で休んでいた仲間たちが目覚め始める。


「静枝!!」


 仲間の一人が静枝に声をかける。


「待って――、この声は……」


 そういう静枝の目の前に――数人の人物が現れた。


「貴方――」


 それは確かに梨花と――、二人の男。


「貴方が――静枝さんですね?」


 そう言って静に佇む男の一人は――、


「安倍晴明――」


 それは確かに都の守護を司る名の知れた陰陽師であった。

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