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第二十八話 道満は梨花と邂逅し、静枝は闇に潜み闇を抱く

 誰も住む者がいなかった屋敷より梨花を連れ出した安倍晴明は、黙って梨花を導い言いて自身の屋敷への帰路についた。


「――」


 梨花は晴明の屋敷へと向かう間もただ押し黙るばかりであり、しかし晴明はそれを気にする様子もなく優しく笑いながら彼女の先を歩いていった。


「お、やっと帰ったか、師よ――」


 晴明が屋敷につくとその門前に、弟子である蘆屋道満が立っていた。


「最近、妙に出歩くと思ったら――、ふむ……なるほど」


 道満は、晴明とその後ろの梨花を交互に見つめて、何かを悟ったような表情を作った。


「ただいま――、道満、この娘は……」


 そう言って、後ろに隠れる梨花の肩に触れて、彼女を道満の前に示そうとする晴明。しかし、とうの梨花は、少しおびえた様子で道満を見つめた。


「――あ」

「ふん……」


 自分を冷たい目で睨む道満を、おびえた表情で見返す梨花。その様子に道満は鼻で笑って言葉を放った。


「師よ――、見た目はアレだがもう歳であろう……、女遊びとは自分の年齢を考えたほうがいいぞ」

「え……」


 その道満の言葉に梨花はあっけにとられる。そして――、


「そもそも――、その娘……というか子は、なんとも”ちんちくりん”で――、師の趣味は悪すぎるな」

「――!」


 その道満の言い草に、さすがの梨花も怒りの表情をつくる。そういう道満に対して晴明は笑って答える。


「ははは――、何を言っているのです道満? 私のような(じじい)の相手など、いくら何でも彼女に失礼でしょう?」

「そうか? 師にはそれ相応の娘が似合っておろう? そこの子は――」


 その言い草にさすがに頭に来た梨花は、声を荒げて道満に言い返した。


「なんですか!! いきなり”ちんちくりん”などと!! わ――、私のどこが――」

「はは――、お前はまさか、自分がそれ相応の娘に見えておるのか? 少しは慎みを考えたほうが良いぞ」

「く――、貴方のような”馬の尻”に言われたくないです!!」

「む――?」


 道満は梨花に”馬の尻”と呼ばれて少し首をかしげる。その様子に、傍らの晴明は笑いを堪えて横を向いた。


「馬の尻? それはどういう――」

「貴方のその髪の毛――、後ろに雑に束ねる髪は馬の尻尾に見えます!!」

「――なるほど、馬の尻――。ほほう……」


 道満は口元をヒクつかせ、怒りを押し殺す様子で梨花を睨む。それを強い視線で睨み返しながら梨花は言った。


「馬の尻のような頭で、私を”ちんちくりん”など――、よく言えたものですね?」

「よく言った貴様――、そこに直れ……」


 その一触即発の雰囲気の中にあっても、晴明はただ一人”馬の尻――”などと呟きながら笑いを堪えている。

 それを一瞬横目で見た道満は――、すぐに真面目な表情に変わって言った。


「――と、まあ冗談はこれくらいに……。そこの娘――」

「え?」


 その表情の変わりように驚く梨花。それを見つめながら道満は驚きの言葉を発した。


「――お前、土蜘蛛だな? この平安京がどの様な場所なのか、理解して上ってきたのか?」

「あ――」


 梨花はその言葉に、目の前の道満という男がただ者ではないことにいまさら気づいた。


「あなた――、私の事を知ってて……」

「ああ――、当然だ……、そこの晴明はすぐにお前の事を見抜いたのだろう? ならば――、それ以上の”目”を持つ拙僧(おれ)ならば当然」

「それ以上の”目”?」


 その言葉に驚きを隠せない梨花。その様子に傍らの晴明が答えた。


「そうです――、彼の”認識眼”は明確に師である私を越えています。私が見抜けるのなら、彼はもっと正確に見抜くことが出来るのです」

「――晴明様の……上……」


 その驚きの言葉を聞いて梨花は、初めて目前の道満を畏怖の眼差しで見た。


「――で、娘、拙僧(おれ)の疑問に答えろ」

「あ――、あの」


 その強い口調に口ごもる梨花。晴明は優しく笑って道満に言った。


「そんなに強い口調で聞かずとも、すぐに話してくれますよ――。そのために私についてきたのでしょう?」

「ふん――、ならいいが……、都に土蜘蛛では、妙な事態を招くのは必死であろうな」


 道満は冷たくそう言い放って屋敷の中へと入って行った。それを困った表情で見送る晴明。――そして当の梨花は……。


「いいのですよ――。さあ、屋敷の中にお入りください」

「は――はい」


 梨花は暗い表情で、晴明に促されるまま屋敷へと入って行く――。晴明は優しく頷いてその後を進んでいった。



◆◇◆



「――それは、本当だな?」

「ああ――」


 平安京にも闇はある。その人通りのない道の片隅で、一人の少女が深く外套をかぶった人物と会話をしている。


「本当に――その日、あの藤原兼家が羅城門を通るのだな?」

「そうだ――、私が一度でも君を騙したかね?」

「――人間は……信用できない」

「ふむ――、ならば辞めますか?」


 その外套の人物の言い方に、少し顔を歪めて少女は言う。


「――無論、このまま進めるとも……。我々はもう後戻りが出来ない」

「ならば――、少なくとも私の言葉だけは信じてください」

「――わかった……。我らが恨みを――、その悲しみを知らしめるために」


 そういう少女の顔には、あまりに深い憎悪が宿っている。


「――その通りです。我々人間の中にも、あの男のやり方を支持しない者がいることを、貴方には知っていただきたい」

「ふん――」


 その外套の人物の言葉に少女は小さく頷いた。


(――ああ、とうとう復讐の時は来た……。藤原兼家――、お前が指示し行った非道の――その恨みをその身でしっかり受けるがいい)


 そう考えながら――少女は……、静枝はただ暗い微笑みを浮かべたのである。



◆◇◆



 道満と晴明は屋敷に入ると、一室にて梨花を前に静かに座った。その様子に少し怯えながら相対する梨花。


「さて――、もう事情を話していただけますか?」

「はい――」


 梨花は静かに小さく頷く。それを見て優し気な表情で晴明は言った。


「――わが友、博雅が……、貴方の事を匿っていたのには、それ相応の事情があるのでしょう?」

「博雅――様」


 その晴明の言葉に悲しみの表情をつくる梨花。しかし、梨花は小さく頷いた後に意を決した様子で言葉を発した。


「――博雅様は――、私の言葉を信じて……、私のお願いを聞いてくださったのです」

「願い?」

「はい――、幼馴染を――、静枝を救いたいと……」


 その新たな名前に晴明は少し考えて言葉を返す。


「幼馴染……静枝さん? その娘を救うために平安京に来たのですか?」

「はい――、静枝は今――」


 その後の梨花の言葉は、晴明だけでなく、側で黙って聞く道満すら驚かせた。


「復讐をしようとしています――。そのために都のとある貴族の命を奪おうと考えているのです」

「――それは、また大それた」

「はい――、今静枝は、数人の仲間とともに都に潜伏しています。そして、機会を狙っているのです」


 その言葉に黙っていた道満が口を開く。


「――それはわかったが、その狙われている貴族とは?」

「――静枝の言では、藤原兼家――だと」

「――ほう」


 その梨花の言葉に、晴明は静かに考える。道満は首をかしげて言った。


「兼家様? ――それがどのような事を、その幼馴染に?」

「静枝の村を――、滅ぼすように命じた……と」

「ふむ――」


 それを聞いて道満も考え込み始めた。その様子に梨花は少し首をかしげて言った。


「なにか――疑問が?」

「その話――、その村は都の手の者によって滅びた? ――だから、その復讐をするべくその静枝という人は都に潜んでいる?」


 晴明の疑問に頷く梨花。それを見つめながら再び晴明は考え込み始めた。

 少し不安な様子で晴明を見つめる梨花、それに対し言葉を発したのは道満であった。


「――なるほどな、通りで源博雅殿がお前を匿うわけだ――」


 一人納得した表情で頷く道満。


「だから――、お前は……その復讐を止めたいんだな?」

「――」


 梨花は驚きの表情で小さく頷く。


「源博雅殿が匿っている以上――、藤原兼家様への復讐を、その幼馴染に遂げさせたいという話ではない事はすぐに分かる。そして――」


 道満のその言葉に晴明が言葉を続ける。


「その静枝さんは――、復讐心に捕らわれるあまり、大きな間違いをしている――。だから止めたいのですね?」

「――はい」


 晴明と道満の言葉にハッキリと頷く梨花。晴明たちはその様子に納得の目を向けた。


(――なるほど、梨花さんの言が確かなら……、その幼馴染の娘は誰かに騙されて――。或いはどうでもよくなって自暴自棄になっていると――)


 晴明は心の中で考える。


(藤原兼家様は――、……それを知らない土蜘蛛を騙して、従わせている者がいる可能性もありますね)


 土蜘蛛・梨花より知った、藤原兼家が命を狙われているという事実。

 後に歴史的事件にも繋がるその復讐を止めるべく――、晴明と道満はこれから奔ることになる。

 ――そして、その先に――……。


 晴明達の目前には――、平安京を包む巨大な闇が立ちはだかっていたのである。

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