第一章 ~『夜会でのひととき』~
(つまらない夜ですね)
シャンデリアが吊るされた大理石の広間で、シンシアは壁に背を預けていた。この場は上流貴族の交流の場。夜会会場である。
夜会に年頃の女性が参加する目的は、主に異性探しだ。既にレオパルドという婚約者のいるシンシアにとっては退屈なだけだが、ルドルフの付き添いで参加しないわけにはいかなかったのだ。
(お父様が帰るまで途中退場できないのが悩ましいですね)
シンシアにとって益のないイベントだが、同伴するルドルフからすれば別だ。同じように同伴している上流貴族の親族と交流を深めるチャンスであるからだ。
(早速、クルメンツ公爵家との繋がりを有効活用していますね)
王国の爵位は公爵、侯爵、伯爵までを上流と呼び、子爵、男爵を下流貴族と称する。
シンシアの生まれたダーナル子爵家は下流貴族であるため、本来なら、この夜会に参加する資格を持たない。
だがクルメンツ公爵家との縁者となったことで、参加資格を得るに至った。上流貴族だけでなく、王族まで参加する夜会は、ルドルフにとって待ち望んだチャンスだったのだ。
「そこのあなた、もしかしてクラリスさんじゃない?」
三人組の令嬢たちが声をかけてくる。派手な化粧とドレスのせいで、一目で分からなかったが、彼女たちは同じクラスの級友たちだった。
ただ級友といっても会話をしたことは一度もない。中央に立つ女性が、リゼという名であることだけは思い出せるが、残り二人は名前さえ知らない。揃えたように金髪をウェーブさせているので、三人は親類関係なのかもしれない。
「私に何か用ですか?」
「子爵家のあなたがどうして夜会にいるのよ」
「私がレオパルド様と婚約を結びましたから。公爵家の縁者として私も誘われたのです」
「ふ~ん、公爵といっても金で買った地位でしょうに」
喧嘩腰な態度に、シンシアはムッとする。生意気な子供には躾が必要だ。鋭い視線を向けると、リゼは鼻を鳴らす。
「生意気な目付きね」
「生まれつき、このような顔ですので」
「ふん、ならあなたのようなブスはレオパルド様に相応しくないわ。婚約を破棄しなさい」
「嫌ですけど」
「なんでよ⁉」
断られると思っていなかったのか、リゼが強い反応を示す。叫びたいのはこちらだ。
「あのね、レオパルド様にはシャリアンテ様こそが相応しいの。美男は美女と結ばれるべきなの!」
「それは変ですね」
「なにがよ⁉」
「顔が美しい者同士で結ばれる定めなら、リゼ様はどうなのでしょう? あなたの顔は並。劣っても優れてもいません。ですがあなたの婚約者は美男で有名なハスワルド様ですよね。美男が美女と結ばれるべきなら、あなたは身を引くべきでは?」
「なっ……なっ――なんて失礼な! 私がブスだって言うの⁉」
「もしかしてコミュニケーションが苦手なのでしょうか? 私は並だと評したのですよ。それとも自分の顔を醜いと自覚されているが故に誤解したのでしょうか?」
「ぐっ……この――ッ」
リゼは怒りに任せて、ビンタを放つ。だが既にサラでビンタは経験済みだ。ワザと受け入れ、大袈裟に地面に倒れ込む。
(上流貴族が集まる夜会で暴力はタブーです。ここは被害者に徹するのが得策ですね)
夜会には大勢の人がいる。育ちの良い貴族の中には心優しい者も多いため、殴られて倒れた女性を無視できない。
シンシアの目論見は当たり、一人の青年が釣れる。
黄金を溶かしたような金髪と、澄んだ青い瞳、身長は見上げるほどに高いのに柔和な顔立ちの青年だ。見惚れるほどの美しさに、一瞬時が止まったかのように感じる。
「頬を殴られたようだけど無事かな?」
「はい……」
差し伸べられた手を取り、立ち上がる。近くで見れば見るほど、欠点のない完璧な顔立ちだった。
「アレン殿下、これは違うんです。その根暗女がレオパルド様をお金で買って生意気だから!」
アレンと呼ばれた青年は王族だった。王子の評価は貴族社会の評価に直結するため、リゼは震えながらも必死に弁明する。
(それにしても王族ですか……)
生前、シンシアは国王と仲が良かったため、息子がいることも知っていた。ただ病弱で、床に伏せていると聞かされていたため、会ったのはこれが初めてだった。
「なるほど、ということは、殴られた君がクラリスか」
「私の事を知っているのですか?」
「ダーナル子爵家の商会は王国の流通の柱だからね。そこの一人娘を王族の僕が知らないはずないさ」
爵位は子爵だが、経済力なら王国一だ。その重要性を若いながらも理解していたことに好感を抱く。
「さて話を戻そうか。ダーミナル子爵家とクルメンツ公爵家の縁談なら僕も知っている。でもこれは両家の問題だ。君たちに何か関係があるのかな?」
「そ、それは……」
「あるはずないよね。つまり君たちは罪のないクラリスに暴力を振るった加害者ということになる」
罪を犯せば、罰が下る。慰謝料か、それとも懲役刑か。どちらにしても前科持ちになれば、二度と夜会に参加できず、令嬢としての価値も暴落する。まともな縁談は望めなくなり、最悪、ハスワルドとの婚約も白紙に戻る可能性さえあった。
(貴族の令嬢は良縁を成立させて、家同士の関係性を強くすることが仕事のようなもの。事実上、その役目を果たせなくなるのは死刑宣告に等しいですからね)
これからリゼたちの運命は悲惨なものになる。運が良くて実家で謹慎、悪ければ家を追放される。貴族として生きてきた彼女らが平民と同じ立場となるのだ。
「ねぇ、あの娘たち……」
「王子の不評を買ったのかしら」
「馬鹿な人たちね」
クスクスと夜会に笑い声が満ちていく。彼女らは嘲笑の的になっていた。
「……ぐすっ……っ……」
破滅の未来が見えたのか、リゼたちはポロポロと涙を零し始める。ドレスをギュッと握りしめる彼女らにできることは、絶望に肩を揺らすことだけだった。
「アレン殿下、お願いがあります」
「何かな?」
「リゼ様たちの罪を許してあげられないでしょうか」
その一言にリゼたちは顔をあげる。まるで地獄で仏に会ったかのように、縋るような目をしていた。
「いいのかい? 彼女は君を殴ったんだよ」
「私が子爵家の一員でありながら公爵家と結ばれるのは事実。気に食わないのも理解できますから」
「しかし……いや、被害者の君がそう言うなら僕はなにも言えないね。優しいクラリスに感謝するといい」
リゼたちはドレスの袖で涙を拭うと、クラリスの手をギュッと掴む。
「ごめんなさい、私が愚かだったわ……」
「人は誰もが間違えるものです」
「ふふ、優しいのね。あなたのことを勘違いしていたわ。この恩は絶対に返すから」
(もちろんですとも。返してもらわないと困りますから)
手を震わせるリゼの言葉は本心だ。砂漠で水を与えられたら、生涯をかけて感謝するように、破滅から救われた彼女はきっと今後もクラリスの味方であり続ける。
(私が成仏した後に周囲が敵ばかりでは孫娘に苦労させますからね。生涯の友を百人は作ってあげましょう)
感謝しながらリゼたちは、夜会の喧噪の中に消えていく。二人だけが残されたところで、アレンが笑う。
「面白い人だね、君は。僕の初恋の人にそっくりだ」
「それは光栄ですね。ただ私に似ていると思われることに、その人が不快感を覚えるかもしれませんよ」
「それなら心配いらないさ。なにせ、もうこの世にいないからね。惜しい命を失くしたよ」
「……事故にでもあったのですか?」
「いいや、老衰さ。大往生だったそうだよ」
(年上趣味にも限度があるでしょう!)
王族相手に不敬になるため口には出さないが、表情には表れていたらしい。アレンは笑みを浮かべて、話を続ける。
「その初恋の人はね、君の祖母のシンシアさんだ」
「そ、祖母のことが……」
暗に告白されたようなものだ。驚きで硬直してしまうが、すぐに冷静さを取り戻す。
「祖母と面識があったのですか?」
「ないよ。僕の片思いだからね。でもシンシアさんがいたから、今の僕があるんだ。その恩は孫娘の君に返したい。何か困ったことがあれば、いつでも力になるから相談して欲しい」
「それは心強いですね」
孫娘の味方になってくれる存在に心から感謝しながら、彼との歓談を楽しむ。存外、夜会を楽しむことができたのだった。