第二章 ~『結末』~
夜会に参加したシンシアは、壁に背を預けながら、ワイングラスを手にしていた。
ルドルフは上流貴族との交流を深めるのに忙しく、傍には居ない。静寂の中で唯一人、葡萄酒の甘味と酸味を楽しみながら物思いに耽っていた。
(ナザリー様は幸せになりましたね)
騒動の後、ルークは良き夫となるべく、ナザリーに尽くしていた。シャリアンテとも手を切り、彼女一筋で生きている。
(浮気した男を許すなんて、ナザリー様は心が広いですね)
シンシアが彼女の立場なら絶対に許さない。地の果てまで追い詰めてでも、責任を取らせるし、婚約の継続もありえない。
だが他人の価値観に口出しするほど、シンシアは無粋ではない。葡萄酒と一緒にモヤモヤとした気持ちを胃に流し込んでいると、人影が近づいてきた。
「やぁ、また会ったね」
「アレン殿下……」
声をかけてきたアレンは手にワイングラスを携えている。一緒にお酒を楽しもうと近づいてきたのだ。
「その年で飲酒とは随分と大人だね」
「王国には飲酒の年齢制限はないはずですよ。そしてそれは殿下が証明されています」
「ふふ、そうだね」
アレンは葡萄酒を口に含む。王国は葡萄の産地でもあるため、その味の違いを知ることは貴族の嗜みとされていた。貴族の頂点に立つ王子だからこそ、誰よりも葡萄酒には精通していた。
「今年の葡萄酒は良品だね。高く売れそうだ」
「帝国なら倍の値段で買うでしょうね」
「あの国は美食のためなら金を惜しまないからね……それにしても、帝国についての知識も豊富だなんてさすがだね」
「私も子爵とはいえ貴族の令嬢ですから」
教養なら負けないと主張するように、葡萄酒に口をつける。生前、数々の葡萄酒を扱ってきたシンシアだが、歴代でも上位に位置する味だった。
「それにしても君のような素敵な人が一人だなんて意外だね」
「私には婚約者がいますから。それにシャリアンテ様の土下座騒動のせいで、私は恐怖の対象として認識されてしまいましたから」
「他の男たちは見る目がないね」
「……アレン殿下は私が恐ろしくないのですか?」
「ははは、僕は一度死んでいるからね。恐怖を感じなくなっているのさ」
死んだ人間は生き返らない。何かの比喩表現かと思い、アレンの言葉を待つ。
「僕はね、心臓病だったんだ。医者からは三年の命だと伝えられていたんだ。もう六年も前の話さ」
「なら病は克服したのですね」
「ああ。君の祖母のシンシアさんが商路を駆使して、遥か遠方にある小国から薬を運んできてくれたんだ。おかげで病は完治した。この命は彼女に救われたんだ」
(そういうこともありましたね……)
国王に頼まれて、息子の薬を探しだしたことがあった。その後、すぐにシンシアの体調が悪化したため、息子であるアレン本人と面会することはなかったが、知らず知らずのうちに彼の命を救っていたのだ。
「病室で天寿を全うするはずだった僕は命を救われた。でも恩を返すべき人は、この世を去っていた。だから、少しでも生前の彼女を知りたくて、著書をボロボロになるまで読み返したんだ。本を通しての交流しかなかったが、僕は彼女に恋をした。初恋だったよ」
「アレン殿下……」
「この世を去ったシンシアさんには夢があった。王国を裕福な国にして、病気や貧困で苦しむ人をなくしてみせるというね。その夢はいつしか僕の夢にもなっていた」
アレンの表情は将来の希望に満ちていた。その瞳がシンシアを見据える。
「君のように優秀なら夢を叶えることも不可能ではない。だから僕は君の強さに憧れを覚えたんだ」
「女性への褒め言葉ではないですね……ふふ、可愛いよりも嬉しいですが」
「君にもし婚約者がいなければ、僕が伴侶に立候補したいくらいだよ」
「ご冗談を」
「本気なんだけどね」
アレンの顔は耳まで赤くなっていた。それが酒のせいだと誤魔化すように、残った葡萄酒をワイングラスが空になるまで飲み干した。
「殿下、酔ってきましたし、夜風にでも当たりませんか?」
「僕も酔いが回っていたからね。助かるよ」
二人は内庭に顔を出す。美しい花が咲き乱れているが、暗闇ではっきりとは視認できない。ただ月灯りでぼんやりと浮かび上がる花々には風情があった。
「アレン殿下には付き添ってもらって感謝しなければなりませんね」
シンシアが足を止める。同時にアレンも異変に気付く。
「……どうやら君の傍に居たのは正解だったようだ」
アレンは腰に提げていた剣を鞘から抜くと、上段に構える。向けられた視線は茂みを見据えていた。
「そこの茂みに隠れている者。姿を現せ」
アレンの呼びかけに応じて、茂みから覆面を被った男女が現れる。男は剣を構え、女は背後で待機している。
「僕が戦うよ。クラリスは背中に隠れていて欲しい」
二人の剣士が切先を向け合う。だが覆面を被った男は及び腰になっていた。その態度からアレンは正体を察する。
「僕を傷つけたくないということかな? なら狙いはクラリスだね」
「…………」
「無言を貫くのは、声で正体が露呈するからかな……クラリス、君の知り合いで、命を狙う人物に心当たりはあるかな?」
「はい。きっとレオパルド様とシャリアンテ様でしょうね」
覆面を被った男は動揺したのか、手を震わせる。今こそがチャンスだと、シンシアは手を鳴らす。
「いまです!」
シンシアの合図で動きだしたのは、アレンではない。覆面を被った男の背後で待機していた女性が、仲間を裏切り、彼の腰に抱き着いたのだ。
動けなくなった男の剣を、アレンが払い落として、拘束する。地面に叩きつけ、覆面を脱がすと、想定通り、レオパルドの顔がそこにあった。
「やはり、あなたでしたか……」
「クソッ、なぜだ⁉ なぜシャリアンテが裏切った?」
「ふふ、知りたいですか?」
覆面を外したシャリアンテは申し訳なさそうに眉根を落としている。苦悩の滲んだ表情から、すべてがクラリスの掌の上だったと知る。
「僕も知りたいな。なぜこんな事が起きたのか教えてもらえるかな」
「動機は簡単です。私の命を奪って、婚約破棄をするつもりだったんです」
「……君はその計画を事前に知っていたのかな?」
「はい、だからこそアレン殿下には一緒に来ていただきました」
王族であるアレンが証言すれば、それは絶対の証拠となる。言い逃れもできなくなるため、彼をこの場に連れてきたのだ。
「どうやって俺たちの計画を知ったんだ?」
「私はルーク様とシャリアンテ様の浮気の証拠を握っていましたから。浮気の罪は相手の女性にも適用されます。莫大な慰謝料を請求されたくなければと脅し、シャリアンテ様を味方に付けました」
「だ、だが、それだと順序がおかしい。俺はシャリアンテに提案されて、クラリスを殺そうと……まさか――ッ」
「ふふ、そうです。私が裏で手を引いて、シャリアンテ様に襲撃を提案させたんです。なにせ、浮気で有責にするより、殺人で有責にした方が、すんなりと婚約を破棄できますから」
「……っ――ッ」
「後は説明するまでもないですね。合図と共に、あなたを背後から拘束するようにシャリアンテ様に指示をしていました。この襲撃事件はすべて、あなたの人生を破滅させるために仕組まれていたのですよ」
レオパルドの喉が恐怖で震える。だが非業な現実をそのまま大人しく受け入れられるほど、彼は大人ではなかった。
「ひ、卑怯者……俺を罠に嵌めたな!」
「罠とは失礼ですね。私はあなたを信じていたのですよ……もしレオパルド様が良心の呵責を感じ、踏みとどまってくれていれば、こんな結末にはならなかったのですから。ですがそうはならなかった。あなたは私欲を優先し、私の命を奪おうとした。そんな人に私を責める資格はありませんよ」
「……っ……」
正論にレオパルドは泣き崩れる。可哀想なことをしたと思う反面、シンシアとしてもこれが最善手だった。
(私が成仏した後にクラリスの命を狙われるわけにはいきませんからね。リスクを早めに潰せてよかったと思いましょう)
孫娘に幸せな婚約をプレゼントできなかったのは残念だが、ダーナル子爵家は裕福だ。上流貴族との縁談は改めて探せばいい。
「無事解決かな」
「アレン殿下のおかげです」
「でもまさか僕を利用するとはね」
「レオパルド様が王族を傷つけるはずがないと確信していましたから。護衛として頼りにさせていただきました」
王族を殺せば、一家が連座で死刑になってもおかしくはない。そこまでの度胸がレオパルドにあるはずもないため、アレンが無事なことは保障されていた。
「でも利用したのは事実だ。だから僕を利用した対価を払ってもらう……僕と婚約して欲しい」
「……本気ですか?」
「本気だとも。信じられないかい?」
「先ほどまでの光景を見て、婚約を口にできる殿方がいるとは思いませんでしたから」
「ふふ、むしろ君の才覚を実感して惚れ直したよ。そして、僕は異性としても君を意識している。人生二度目の恋を成就させたいんだ。駄目かい?」
アレンは婚約者として文句なしで満点だ。孫娘に幸せな結婚をプレゼントできる機会を活かさない手はない。
「喜んで、受けさせていただきます」
「今後とも末永く、よろしくね」
二人は握手を交わして、婚約の契約を結ぶ。転生した大商人は、孫娘の幸せのためにこれからも活躍し続けるのだった。
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