いままでで3大つらかったこと 5/5
「もう、アカンわそれ」
父親は冷めた顔で言いました。
「どういうことや!」
僕は真実を知りたくて父親に迫りました。
「まあ、落ち着け」
「落ち着かれへんわ!」
「金や」
「え!?」
「お前、一ヶ月働いて給料もらったか?」
父親にそう言われて、僕は止まりました。
「もらってへん」
「若いオーナーはお前を雇ってみたものの、お前を雇う余裕なんて無かったことに今さら気づいたんや」
「は?」
「お前を教育したいんやったら、今日、市場でお前のことを殴っててもええ場面や。せやけど、無視しただけ」
「どういうことや、分からん」
「お前、若いオーナーに呼ばれて店の近くにアパートまで借りてるんやで。いま自分から辞めてほしいなんて言うたら、それこそアパートの金まで払わなアカンようになるかもしれん」
「だから?」
「だから、お前が前の店を逃げ出したこと聞いて、利用しようとしたんや。根性の無いお前にちょっとプレッシャーかけたらまた逃げ出すと思ったんやろ。せやけど、お前は前の店に謝りに行った。若いオーナーはビビったやろな。この調子で、向こうから辞めさせたいと言わせてこい。それで、金しっかりもらってこい」
「・・・・・・」
次の日は若きオーナーの家の前で待ち伏せしました。家から出てきませんでした。店にもいませんでした。また、次の日も家の前で待ち伏せしました。
自分は何をしているのだろうと思いました。高校や大学の友達たちはもう立派に社会人をやっていて、笑顔でダルいダルいと言って、夜に美味しくビールを飲んでいるのに、自分は捨てられた人に拒否された人にお金をせびりに行っている。そこにはいままでの働いてきたプライドとか一ヶ月程度の労働であるわけがなく、捨てられたことへの復讐でもなく、ただ、父親に言われたからそうしているだけでした。危険な感情はここでも僕を縛っていました。もう、とっくに心がついていっていないことを分かっていたのに。でもこれ以上、父親に呆れられたくなかったんだと思います。あの頃は気持ちがごちゃごちゃで整理ができない状態でしたが、今なら冷静に分析してみてそう思います。
とうとう若きオーナーもビビって家から出てきて、父親の言うとおり、
「お金がない。辞めてほしい」
と言わせるとこまでいきました。そして、僕は何か糸が切れたように、
「そうですか」
と言って、お金も受け取らずさっさと若きオーナーの元を去りました。
実家に帰り、誰もいない家で電話が鳴りました。
「はい、永瀬です」
僕は力なく電話を取りました。
「おお、永瀬か」
前の料理屋の店主からでした。
「お父さんはご在宅か?」
「いや、僕だけですが」
「そうか。まあ、ええわ。お前、うちに謝りに来たあと、若いオーナーとモメたらしいやんけ」
この業界は狭い。
「あ、はい」
「お前はほんまいらんことばっかするやつやな、嫌なことに俺を巻き込むなよ・・・たくっ」
「す、すみませんでした」
「ほんま、ええかげんにせえよ」
「はい・・・申しわけありませんでした」
「まあ、もうええわ。ほな、お父さんが帰ってきはったら、俺に電話してもらえるよう伝えといてくれ」
「わかりました」
「ほなな」
僕は震える手で静かに受話器を置きました。自分はいったいどんな犯罪を犯したのだろうかと思いました。なぜこんなにも辛いことばかりが自分に起きるんだろうと思いました。
僕の社会人スタートはそういう人間の闇を見るところからでした。社会に出たての若僧にいままで築いてきたものを一部でも崩されるのが気に食わない。上記の若きオーナーにも料理屋の店主にも、そういうものが大いにあったかと思います。僕の人生など、他人からしたらどうでもいい訳です。他人というのはそういうものだと思います。当たり前のことだと思います。当たり前のようにそれはほとんどの人がすることです。立場が違えば、僕だってやっていたかもしれません。
しばらく人間不信が続きました。何をやってもダメな自分に吐き気が止まりませんでした。そういう何日も腐っていた時間を過ごしていたときに、父親の紹介で一人目の視える人に会って救われるわけですが、もし、その一人目のひとがホンモノでは無かったら、僕はもっといびつな人間になっていたと思います。今でも十分いびつですけど。知ってます。
僕はテレビゲームが大好きなんですけど、そういうのは生活というか精神的な土台があってこそでした。二回目の無職の初期の頃は、真っ暗な将来しかなくて、何をしても楽しくありませんでした。嫌なことばかり思い出して、暗いことばかり考えていました。
一人目の視える人に会って、英語(TOEIC)の勉強を始め、パソコン教室に行って一番就職しやすい資格を教えてもらって、英語とその資格の勉強を三ヶ月ぐらいずっとやっていました。毎日毎日勉強して、TOEICはスコア700を取り、パソコンの資格も二つ取って、次は派遣会社に毎日毎日登録に行きました。第二新卒扱いの当時の僕は社会的にほとんどの人がまともに相手をしてくれません。でも、何の因果かひとつの会社の採用担当の方にすごく気に入っていただいて、会社に勤めることができるようになりました。僕が入ったときのIT業界は二重三重の派遣は当たり前で、僕もそういう契約で晴れてエンジニアとなりました。それから、僕はずっとエンジニアをやっています。途中、何度も辞めようと思いましたが、今は定年までずっと続けようと思っています。
私の3大辛かったことはいかがでしたでしょうか。皆さんにももしかしたら、同じようなことを経験された方やもっともっと辛いことを経験されたことのある方々がいらっしゃるかもしれません。
人として生きていくというのは、本当に嫌なことが何度も起きます。何度も何度も何度も。うがーってなります。僕はもう出来たらこの人生を最後にしたいと思いながら生きています。すべて糧だと分かっていても、やっぱり脳は苦しいと反応してしまう。そうです、やっぱり嫌なことは嫌です・・・まあ、人間をまたやりたいと言ったのはどうせ自分なので、やれるだけのことはやって生ききります。でも、やっぱり嫌なことは嫌ですけどね!




