宗教の必要性について 1/2
宗教家も食べていかないといけないので、ウソを言わなければいけません。例えば、ある宗教ではお金をがっつりお支払いすればあの世で立派に過ごしていけるありがたいお名前がもらえるそうです。前回までの話しを読んでくださった方なら、あの世で名前は要らないことはもうご存知だと思いますし、何よりあの世で差といえば魂レベルぐらいしかなくて、魂レベルはお金では買えません。
例えば、ある小学校において一番足が速い子がいたとします。それで“○○小最速王”という異名を得たとして、日本陸上競技連盟がそれに興味を持ってくれるでしょうか。あの世の住人はこの世が仮想世界であることを知っていますので、“偉い名前”なんて全然興味がありません。あの世から見ればこの世は人間が虫のアリの世界に抱いているレベルとそんなに変わりません。アリの世界で最速のアリの存在を知ったところで、人間側は「へー」で終わりです。いっときすごいなと思うだけ。これと同じであの世の魂たちはこの世で最速の人類が現れたことを知ったところで、「へー」で終わりです。才能は身体に付いているもので、魂レベルには関係がないからです。並外れたスペックの身体を得ればどの魂だってこの世で大活躍できますし、オリンピックで金メダルもがんがん取れてしまいます。
じゃあ、あらゆる宗教はいらないのかと言えば、そうではないと思います。この世で組織を継続していくためにはある程度のウソでお金を得ていくことも重要です。お金を払うことで、因果応報的に悪いことをしてたまっていた借金みたいなものを返せるケースもあると思うので、一概に悪とも言えないと思います。
それに、死人を送る側の人間として自分たちができる最大限のことをしてやりたいという気持ちを満たしてあげられるという点で、亡くなった人に偉い名前をお金で買ってあげるというシステムは意味のないことと言い切れるものでもないと思います。ただ、悟りを開いた人たちからすると、この教えがお金を稼ぐための教えだということがすぐに分かります。
宗教家の方々のほとんどは悟りを開いておられません。悟りを開いているひとは応用もききますし、筋さえズレなけれらありとあらゆる方法でクライアントにとって歩むべき良い道に導くと思います。例えばマザー・テレサのように。別宗派の教えを受け入れたり、使うこともなんのそのです。




