アイデンティティは敵なのか味方なのか 3/7
包丁は台所で料理を作るときに使われるから、人からすると感謝すべき対象になります。平時の教室で包丁を握っていたら、嫌な対象にしかなりません。僕の教えたがりアイデンティティもそうです。場所と状況によっては迷惑でしかない。楽しくワイワイしたい飲み会でおっさんが若者ひとりを捕まえてグチグチ自分の考えを「お前のために言ってやってんだよ」とか言いながら、若手にぶつけまくっていたら、最悪なやつでしかありません。自分の持つアイデンティティを知り、相応しい場所と状況で使うというのは、実はとても難しいことであり、人生でとても大切なことだと思います。
ちょっと深いところまでいきます。若手ひとりに迷惑をかけるぐらいなら大したことではありません。自分のなかに犯罪級のことがしたいアイデンティティを持っている場合というか、これはほとんどの人が持っているものだと思います。私が中学生ぐらいの頃でしょうか。母親がニュースを見ながらポロッとこぼした一言が未だに忘れられません。
「あのテレビの犯罪者がもしかしたら、明日の自分かもしれへんと思ったら、たまに恐くなるときがあるわ」
あの頃の私は母親のその一言を「あほか」と鼻で一蹴しましたが、今になって考えれば、いまも平和に暮らしている私の母親にでさえ、そういうちょっとした衝動というのか厄介アイデンティティがいるのかな思います。
厄介アイデンティティ。こいつがまあ文字通り厄介です。普段元気なときは冷静な判断ができるので、理性がそのアイデンティティを抑えてくれていると思います。それをやってしまうと、人生が終わるからやらない。これから他にいっぱいやりたいことがあるからやらない。そんな感じで理性が正常に動いてくれていて、厄介アイデンティティは表に出てこないようになっていると思います。
しかし、厄介アイデンティティはゼロにはなってくれません。いままで散々言ってきましたが神様はエグいんです。そんなことができるように人間を創ってはいません。必ず一生厄介アイデンティティと付き合って行かなきゃいけないようになっています。神様は僕らを鍛えたいんです。だから絶対に厄介アイデンティティと付き合わせて別れられないようにしています。ここはあきらめるしかない。脳を持っている限りは厄介アイデンティティも消えることはありません。
普段、厄介アイデンティティは表に出てこないと言いましたが、表に出てきやすいタイミングがどうしてもあります。それは極度の睡眠不足が長い間続き、脳の機能が著しく落ちている時や相当強いストレスが長い間かかっている時(例えばデスマーチという長時間労働を経験したことのあるひとは、何度か“走っている電車に飛び込んだら楽になれるのに”とか考えたことがあるとかまさにそういう時です)、人によってはお酒に酔っている時、あとは脳に病気を持ってしまった時です。脳に病気を持ってしまったときはお医者さんに行ってください。自分ではどうにもなりません。




