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六十にして六十と化す 3/3

 これは私の場合ですが、家庭では自分が積極的に首をつっこまないといけない場面か、あるいは見守っておくだけにしておくかはいつも考えながら、行動しています。しんどそうなやつ、例えば、娘が学校で先生とモメているとか友だちとモメているとかは、いったん数日様子を見ます。でも、深刻化したり長期化してきたら、娘と一緒に苦しむことを選び、一緒に悩む選択肢を取ります。深刻化もしていないし、長期化もしていないのに入ることはしません。それでは細かいことにもいちいち首をつっこんでくる面倒くさいヤツになってしまいます。ただし、娘が長い間苦しい思いをしているのに一緒に苦しんだり悩んだりしない親は子どもから親と思われなくなります。他人よりも他人扱いされ始めます。次に会社ですが、もし飲み会に呼ばれなくて自分がさみしい思いをしてしまった場合ですが、チームとして、あるいは会社としてそれが有益であれば、さみしくなったワガママな自分を叱責(しっせき)します。例えば、若い人たち同士で飲みたいと思っている飲み会なのに、アラフォーの自分も入れてほしいというのは完全に場違いです。でも、自分もその飲み会に入ったほうがおそらく場が盛り上がるとかちょっと若手だけでは解決しにくい業務の話や人間関係の話をしそうな飲み会には入れるように努力(メンバーと信頼関係を築いたり、頭を下げて下手に出てみたり)するようにしています。もちろん、自分がその場に入ってみて失敗してしまうケースも多々です。話がスベリまくるとか、誰かを怒らせてしまうとか。40歳になっても、そこは傷ついて、反省して、再トライの日々です。でも、不思議なもので回数をこなすと、自然とうまく立ち回れる場面が増えてきます。それは実感しています。

 “六十にして六十と化す”という言葉はめっちゃカッコいいですけど、中身は傷つく心や恥ずかしい思いをすることと友だちにならなければいけないという、なかなか厳しいものです。そんなものは誰でも遠ざけておきたいものですけど、傷つく心や恥ずかしい思いは自分を成長させるために存在してくれているものなので、ちゃんと受け止めて、ちゃんと反省することを繰り返していけば、自然と六十にして六十と化し、九十にして九十と化していけるんだと思います。そうなれば、最後に必ずお別れを告げなければいけない脳と身体が“最後まで自分たちの使命を果たさせてくれた”と喜んでくれると思いますし、こちらも感謝いっぱいでさよならを言えるのではないかと私は考えています。

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