私は“父親不在の世代”です 4/6
子どもは大きくなるにつれて、親の背中を見なくなるのかと思いきや、割りと横目で見ていますね。だから、こちらも子どもがすごいことをして褒めるときは直球を投げるのをやめました。そっぽ向いて、「すげぇな」とか「あの動きはレベチ」ってボソッと言う方法に変えました。合っているかは分からないです。いつも手探りの部分はどうしてもあるので。このやり方はうちでは正解かもしれないですし、他の家では不正解かもしれないです。人も家族のあり方も千差万別なので。ちなみに、うちの親子間の信頼関係は保てている自信がいまのところはありますので、大丈夫な気がします。私の場合は父親不在の頃って小学校五、六年生のときぶんには父親のことをもうバカにしていましたね。だから、褒められても嬉しくない。ていうか、手を抜いてこちらを見ているのが分かってしまう。だから、褒めているのも表面的な部分。そんな言葉では、こちらの渇望は満たされない。悩みましたよね、社会人になって数年経っても、渇望が消えない。ある時、気づきましたよ、あー、この父親に認めてほしいって欲望は一生続くのかなって。でも、向こうも精神的に幼い部分があって、自分の興味のあるものしか顔をこっちに向けないことが分かってきた。逆を言えば、その部分について詳しくなれば、父親は楽しそう話をしてくれる。僕は自分の承認欲求が満たされるのを感じて気持ちが潤う。だから、こちらから父親が好きな料理の世界の勉強をしました。作るほうは厳しかったので主に食べるほう。あとは業界の歴史。歴史は僕も好きな分野だったので、生き字引の父親の話も非常に面白くて勉強になりました。
相手も好きで自分も好き。この共通を努力して見つけることが家族にとってとても大切であることを身を持って知りました。お互い自然の笑顔を出し合えるのは最強です。まあ、できれば大人である父親ほうが頑張って探しに来てほしかったですけど。




