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あの世という場所について 2/3

 うーん、説明が難しいです。私の言語能力が低くてごめんなさい。もう少し、あの世での移動についてがんばって説明してみます。例えばいまあなたが自分の右手の指先に意識を向けるとそこの感覚が鋭くなると思います。次に左足の指先に意識を向けると、今度はそこの感覚が鋭くなると思います。そして、今いる建物や乗り物のちょっと外のほうへ意識を向けると、あたかも自分がそこにいるかのように想像して情報を得ようとすると思います。虫が鳴いているなら、それをしっかり聞こうとすると思います。普段から耳に入っているのに意識を向けずに聞くのと意識を向けて聞くのとでは全く別物であるということは誰でも分かると思います。あの世の移動はこの“意識をそこへ向ける”という行為に似ていると私は推測しています。そうなると、人は自分の身体のある場所に存在しているのではなく、意識を向けている場所に存在していると表現するのが正確なように思います。では、なぜあの世へ行ったらそこへ意識を向けるだけで渋谷でも三ノ宮でも一瞬で行けてしまえるのかと言うと、私たちは神様の一部、つまり神様なので自分の身体を失って魂だけになれば、神様の身体の中は自由にどこでも行けてしまえるというか、意識を向けていないだけでずっとそこにもいて、さっきの外で鳴いている虫の声を意識して聞くか聞かないかで全然違うと同じように、ただ意識を向けただけというのが一瞬で移動できるカラクリです。すみません、分かりましたでしょうか。難しい、このへんの説明めっちゃ難しいです。すみません、ここらへんが僕の限界のようです。

 もちろん、魂を光と表現される方は正確には別物であることは分かっていると思います。だけど、人の脳みその中にあるクオリアくんに実体をまず掴ませてあげないと魂が何かを理解させづらいからそう表現されているんだと思います。日本の八百万(やおろず)の神様たちや西洋の神々は色々な姿形をしていますが、あれも人間の脳が理解できるようにしているだけで、本来の神々には姿形も色も匂いもない、私たちの魂と同じだと思います。もう何回か伝えたかもしれないですけど、私がこの文章で神様と呼んでいるのはピラミッド型にランク付けされた八百万の神様の頂点にいる神様のことです。別に(てん)とかサムシンググレートとか呼び方は何でも構いません。

 死んだばかりの魂は生前の脳みその特性からなかなか抜け出せない気がしています。だから、死んだばかりのひとたちは自分たちの居心地の良い家、街を想像して創造し、自分を理想の人間の姿にし、好きな人たちと一緒に過ごしているんだと思います。前も説明しましたけど、魂は全知全能の神様の一部なので、想像して創造することぐらいは朝飯前にできてしまう。例えばこれをこの世とそっくりの生活をしている魂たちがいる場所をあの世の一層目とするとその上にいけばどうなっていくのかというと、思念しか存在しない世界に段階的になっていくんじゃないかなと思います。知らんけど。思念だけの世界に物理的な情報なんて全くいりません。

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