個にして全 1/7
“自分”って言葉ヤバくないですか? 自らを分けるって書いて自分自身のことを指し示す。ゲームとかアニメとかで神様をぶっ倒すとかよくありますけど、たぶんあれは自傷行為でもある。神様は他人じゃない。分けられない。何が言いたいかというと、僕らは神様の一部なんです。自らは神様。その分けられたものが私ということです、知らんけど。だから、神様っていう言葉の中には自分のことも入っています。神社によく置かれているご神体は鏡ですよね。知ってる方も多いと思いますけど、ご神体を拝むっていうのは自分自身も入っています。自分がお願いごとをしていたら、そのお願いごとは自分にもしています。家族の健康を願ったら何か自分とは関係ないすんごい霊的存在が「あいよ〜」って言うてくれるわけではありません。「こちらもやるけど、お前もなー」なんです。
ただ、イベントや問題が起きなければドラマやアニメが全くおもんないように、嫌なことも起きないと魂が何も勉強できないので、家族の健康の願いを自分の中の魂(神様の一部)が別のことを望んでいたら叶いません。たぶん。
私たちは神様の一部と言っても、ほんの一部です。ほんのほんの一部です。壮大な景色とか宇宙の大きさとか想像してみてください。それに比べて自分のちっぽけさと言ったら、ため息が出ちゃう人もいるのではないかと思いますし、深い悩み事を抱えている人たちは少し救われたりするんじゃないかなと思います。
さらにこの世という場所は不完全極まりないです。諸行無常の響きあり。その象徴である身体は病気になるし、死ぬし、消滅する。その身体を操っている魂もまだまだ未熟くん。完全体の神様に比べれば果てしなく天と地の差。出来ないこともめちゃくちゃ多い。
人間の脳には寂しいという感情と楽しいという感情がプログラミングされています。それぞれの脳によって何に対して寂しい気持ちがどれぐらい溢れるか、楽しい気持ちがどれぐらい溢れるかの反応に違いはあれど、人間であればほとんどの人が寂しいという気持ちと楽しいという気持ちを知っているはずです。
みなさんご存じの通りですが、人間ひとりはむちゃくちゃ弱いです。でも、隣の人と手を組めば強くなれる、完全体の神様にちょっとだけ近づけます。一部が繋がっていけば最終的には全部になります。さっきのような“寂しい”や“楽しい”という感情をうまく利活用してちっぽけな一部がいっぱい繋がれば出来ることも多くなる。これもみなさん、ご存知の通りだと思います。




