般若心経について 1/5
これまでのお話でこの世が仮想世界であることを伝えてきましたが、ブッダはやはりそのことに気がついていました。悟りを開くって、この世が仮想世界であることに気づくことがスタートラインっていう気もします。
般若心経と言えば玄上三蔵こと三蔵法師が有名ですね。玄上の上はもっと難しい漢字なんですけど、スマホの変換に出てこないので、あきらめました。弉とかちょっと似てるけどちがーう。三蔵法師は西暦600年台にマジで中国(いまの河南省洛陽市あたりなので、インドには比較的まだ近い)で生まれたお坊さんで、彼は老荘思想も勉強していたと言われていますから、仏教の知識だけでなく東洋哲学そのものからこの世界の理について勉強していたようです。というか、インド(天竺)までの旅を許しもなく(いまで言えばパスポート無しで)やっちゃっていますから、仏教、老荘思想などは彼の中で真実を知るための道具でしかないという認識だったのかもしれません。私の好きな考え方です。
三蔵法師と言えば、ゾロ、サンジ、ナミ、じゃなくて悟空、沙悟浄、猪八戒とインドまでの旅を描いた西遊記が有名ですけど、当時の役人たちの目を盗んで、パスポート無しでくっそ長い旅をしているわけですから、中国の庶民からすればインドまでの旅は魑魅魍魎から逃れ、退け、ぶっ倒し的なものを想像したんでしょうね。だから西遊記が生まれたのかも知れません。知らんけど。でも実際、役人の目を逃れ、自分の体力の限界、旅の途中の補給はどうするかとか、凶暴な動物からどう身を守るかとか考えたら、西遊記なんてかわいいものかも知れません。想像を絶しますね。カルロス・ゴーンが関空から逃げ出すとかとは訳が違います。明治維新前夜に、国禁を破って密航した人たちのほうが近いでしょうか。彼らは罪には問われず(というか江戸幕府がなくなった)、むしろ近代の日本を作り上げるのに貢献されました。三蔵法師も国禁を犯して27歳頃からインドに16年ぐらい滞在して、帰国した頃の中国(このときは唐という国)の時の権力者、皇帝である太宗に許されています。むしろ、業績を讃えられた。一説には三蔵法師が出国したときの唐とは情勢が変わっていたとも言われていますが、太宗は他国の情勢を知っている三蔵法師を利用しようとしたとも言われています。