本物と偽物について 1/2
あの世のほうが本物の世界なのかどうか。それについて考えたとき、まず本物って何かを定義させてください。国語辞典で調べると“にせものやつくりものではない、本当のもの”とあります。ここに私なりに加えたいのは“永遠のもの”ということです。この世のものは全部永遠ではありません。必ず形が変わります。必ずです。これは神様が創った絶対的ルールのひとつです。諸行無常です。沙羅双樹の花の色です。地球自体がまず永遠ではありませんので、地球が消えれば地球上のものはすべてと言っていいぐらい形が変わると思います。とりあえず、生物は全滅ですね。クマムシぐらいは生き残るんでしょうか。知らんけど。
そして、この世はつくりものの世界です。これも絶対的ルールのひとつです。原子、素粒子とかそういうちっちゃい世界がだんだん解明されていますけど、要はこの世のものみーんな同じ物(いまの最小単位は素粒子)からできているということですね。同じなんですけど、素粒子の配置とか繋がり方が違うだけであら不思議、石になったり、水になったりしているわけです。これをもう少し分かりやすく説明すると、映画のスクリーンです。映画館で映画を見るとします。僕らは巧みなストーリー展開や主人公たちの言動にいちいちエモくなっちゃうわけですけど、僕らの見ているものはずっとスクリーンです。実物の主人公を見ているわけではありません。主人公たちが映されたスクリーンを見てエモくなっている。これと同じですね。映画館でいうスクリーンがこの世でいう素粒子です。僕らはただ素粒子に触れて、匂って、聴いて、見ているだけに過ぎない。それは映画館のスクリーンをずっと見ている行為と同じです。私たちはこの世という“偽物”の世界で人間となって暮らしているに過ぎない。さっき本物なら永遠ということを言いましたが、その点がこの世が仮想世界であるという何よりの証拠です。