49 グレシャム伯爵
私は、言葉を探しましたが、デュランの表情に適う言葉は、出てきませんでした。
「君は、公爵家。彼は王家。
どちらも嫡子で、平行線。
だから、胸に収めているんだろうけれど、
……無事、彼を取り戻したら、
落ち着いたら、で、いい。
私も視界に入れて欲しい」
「殿下」「デュラン、だ」
「いいえ。殿下」
私はようやく、返しました。
「私の心は自由です。
そこに、貴方もジェイも、
誰も、入ってはいけません。
……愛は、恋と違います。
それを承知でお口にされたのでしたら、どうぞお構いなく」
それは、酷い拒絶ではありました。
しかし、殿下は、肩をすくめて、
「私の気持ちも、自由だが、悪かった。押し付けてはいけないね。
また、間違えたか……」
私はフランカを思い出していました。
心は教授に。でも、公爵令嬢の彼女は、完璧な婚約者。
そして、それを知った時のジェイを思い出していました。
『人には、触れてはいけない領域がある』
図書館でジェイは寂しそうに言ってました。
彼は、優しい。そして、人を尊重する意味をきちんと持っている。
(ひょっとしたら、ジェイって)
人が羨む身分だけど、凄く人の裏表を見てきた人なのかもしれないわ。
その意味からも、この兄殿下は、素直に正直に育ったのね……。
デュランは、気持ちを切り替えたのか、コンパートメントに侍従とジェイの影を招いて、地図を開かせました。
「……終着駅に着いたら、エミリオ領の入口で、馬を替える。
その時に、エミリオの領兵と家令と合流する。
フランカ嬢の領地までは……この道を行くね。
グレン大尉達は、武器の帯同が多いから、この街道になると思う。
ここを……領兵に押さえて貰って」
「……待って」
捕虜を隠しながら、ならば、荷馬車は替えないか、それに似た車で向かうのだろう。それであれば、車が往来出来る道を使うわ。
と、すれば……
「ね。私達が馬ならば、この山道は使えない?」
私は等高線が細かくなった所に書かれた細い線を指さしました。
「この、車道は、上流のこの橋辺りで、行き止まりでしょ。ジェイをここまで連れていなくても、この……山道を登って下れば、回り込めるのじゃ」
(季節柄、草丈と木々の繁が邪魔をしますが、可能かと)と、影。
「……成程。かなり強行軍となるが、ロゼッタ」
「並の男より馬の扱いが上手くてよ。従いて来れるかしら、殿下」
デュランは、ははっ!と笑って、額に手を当て、
「全く。たまらないね」
と、侍従に相槌を求めましたが、笑いを堪えた侍従にたしなめられてました。
襲撃から逃げ切った腕を見くびらないでね兄殿下。
荷台が軋んで止まった。
いよいよか。
「おい!降りろ、ほらっ」
乱暴に枷を引っ張って解錠した男たちは、私とリルを引きずり下ろした。
肩を強か打ったが、リルは守れたようだ。ありがとう、と腕の中でリルが囁く。
「旅で親交を深めたかな、ジェイ王子」
嗄れた声がしたので、身体を起こして、片膝を立てた。いつでもこい、だ。
そびえ立つ山々と木製の橋を背に、一群の男たちが、まるで橋を通せんぼするかのように立っていた。
その中央に、明らかに服装の違う中年の男。声の主は彼のようで、肩を上下して含み笑いをしていた。
「初めまして。グレシャム伯爵」
「貴方が赤子の時に、お目にかかっております、ジェイ殿下」
「おや、そうでしたか。
……ダンドン・グレシャム。
45歳。
家を継いでから、直ぐに、学校設立に着手。
二十年余りをかけて、グレシャムへの忠実な人材を育て上げた。
それはもう、洗脳に近い。
グレシャムに忠誠を誓い、王国の流儀に批判的なエリートの輩出。
伯爵家を神格化し、領民を統制。
民の往来は、エラント南方三領に限った。
曰く、
グレシャム、バズバード
そして、ヴェールダム。
……独立するのかな?」
「元気に喋るね。
そして、聞いていたより頭は回る」
「いえいえ、ボンクラなポンコツだ。
今のは、是と捉えていいの?」
「独立、ねえ……」
くつくつと、癇に障る嘲笑だ。
黒髪に金髪がマダラな髪で、髭はない。割といい男じゃないか。
顔はね。
「閣下は、そんなみみっちい器ではない!」
「民の上で、胡座をかいているお前が、偉そうに語るな!」
周りの男たちが、私を罵倒する。
結構若い奴らだ。
いわゆる『信者』かね。
独立がみみっちいなら……
そういうことか。
「……ダンドン」
隣のリルが、話しかける。
「私を捨てる利得は?」
蒼白ながらも、私の影に隠れるリルではなかった。
「貴方の思惑通り、王都の若者を平等主義に染めたわ。
組織にも忠実だった。
私を求める者達は、とても多い。
どうするの?」
ニタニタとその言葉を受けている若者達に腹が煮える。
こいつら、クズだ。
「平等主義。市民主義。
私達が求める理念は、それが最終地点ではない」
「……悪しき重税から民を解放するのでしょ?
身分を廃して、人は平等だと」
リルは、伯爵の両隣の男達を睨む。
「王宮で政治を我がもの顔にしているエミリオや腐敗した貴族を廃するのよね?」「愚かなだな」
銀縁眼鏡の男が声を被せた。
「貴族を倒すのが、我らの目標ではない。
この国を我々で統治する!
優れた者にのみ、その権利と義務がある!」
「……どういう事?」
「我々は、グレシャム伯爵を元首とした国家社会を創るんだよ」
男達が饒舌になった。
「我々の理念のみが、エラントを司るんだ。
エリートによる民の統治。優れた者のみが、国家を動かすんだ。愚かな民は、その手足として幸福となる」
「伯爵はその頂点で、思う存分手腕を発揮して頂く」
「既に、グレシャム領は、その手法で成功している。
この素晴らしい領国の志が、エラント全土に拡がる……そして、大陸へと!」
「何、ほざいてるんだ」
私は呆れた。
私より阿呆だ。
「結局、王家を倒して、グレシャムを王にするって話だろ?」
「低脳はこれだから」
いやー、お前も大概だが。
「阿呆でも王様という世襲が、この国は長かった。
我々が創る国は、そんな身分や世襲を許さない。
能力ある者を選抜し、
能力ある者が適所を司る……」
「そうやって、権力を求めて、他人を見下す人間は、一度握った権力を手放すはずがない」
私は、そう言い放った。
「王家が偉そうに。
お前も同じだろうが」
「そりゃそうだ。
世襲で数百年続いた家系だからな。それでも、代々、その時代に応じて、組織は変わってきた。
今じゃ、王太子の父より、会議閣僚の方が、力があるように思うよ」
「だから、腐った貴族が蔓延った!お前ら王家は、その責任を負うべきだ!」
「ダンドン」
リルが割って入った。
「で?貴方、私の質問に答えてないわ。
私を見つけて、父にあてがって、
王都で女神に奉って、
私を殺して、
何がしたかったの?」
グレシャムをダンドンと呼ぶリル。
リルは理想を聞きたいのではない。
自分の人生を何故振り回したかを問うている。
「君はもう理解しているね」
「貴方の気持ちが知りたいの」
「愛していた、と、言えば満足か?
私の人形」
その言葉にリルは、
「ええ。
……最後にもう一度、抱きしめて。
貴方に忠実な人形として、死んであげるから」
売女が、だのなんだの、周りの連中は嘲ったが、リルは動じない。
ニッコリと笑った。
そんなリルに、
「いいよ。おいで」
と、グレシャムは手を開いた。
リルは、静かに足を進め、恍惚とした表情をした。
互いに双方の真ん中あたりに近づく。
「……ダンドン。やっと……貴方の役に立てるのね……ああ」
グレシャムの胸に頬を当てたリルが、
素早くスカートの裾から取り出した鉄棒で、グレシャムの首を
「動かないで!」
羽交い締めにして、喉の急所に鉄棒をくい込ませた。
荷馬車の棒だ。縄を解いた梃子。
私は、荷馬車での紅を思い出していた。
女の服は、魔術だ。




