45 荷馬車
乗っているのは、あの荷馬車か。
目隠しと、口と、手首と、脚が拘束。
頭がガンガンする。
何か盛られたかな。
藁の匂いと、これは何かな……泥?
とにかくあんまり居心地は良くない。体も痛いし。
見えないながらも、空気の動きで察することは出来る。隣にいるのはリルだ。リルの花の香り。他にも呼吸の音。拉致した奴らもここに居るのか。
あの時。
レイモンドと駆けつけた。
彼も私も、練習用のなまくらを手にしていた。
男たちは、思ったより手強い。
(こいつら訓練された奴らだ)
例の襲撃の奴らに似ている。
こうなると学生を三々五々帰したのが裏目に出た。加勢できる学生が限られたからだ。
それでも、レイモンドは良くやった。
と、
(きゃああっ!)
甲高い悲鳴の次に、ぐっ、というくぐもった声。リル?
振り返ると、リルはぐったりとして男に担がれていた。荷馬車の男が引き入れる。
(え?)
私と影は、戸惑った。
ここは、リルがもみ合って、勇敢にも袖口を引き裂いて逃げ、難を逃れる算段だよね。
そんな戸惑いの隙をつかれて、後ろから頭に衝撃を受けた。あっという間に男達に取り巻かれて、何かを飲まさせられた。苦い。
(殿下!)
影の声を聞いたのが最後で、まるで糸を切られたように、全てが切れた。
(影やレイモンドは大丈夫かな)
命があるのが不思議だが、目的はどうやら私達の拉致誘拐にあったようだ。
計画はどうして変更された?
リルは、骨を折ってでも、レイモンド達に救われる、という筋書きではなかったか?
リルをも謀った、こいつらは何だ?
荷馬車の揺れがキツい。えらい速さでとばしている。
どの辺を走っているんだろう。
私は、どのくらい気を失っていたのだろう。
どこへ行くのだろう。
あれこれ、はてな、だったが、今出来ることは、ない。
命を今すぐとるつもりはないようだし。何と私を対価にするのか……
(後は、父と祖父次第だなあ)
死んだら、また、やり直しかなあ。
もう、やり直したくないなあ。今回は私は頑張ったんだ。
死ぬんだったら、カッコつけて兄上に、あんな偉そうなこと、言わなきゃ良かったかな。……弟は、まだ、11だし、甘えん坊だし。
フランカはどうするのかな。
ロゼッタは、兄上を受け入れるのかな。
いやいや。
まだ死ぬとは、限らない。
これは、今世の、正念場だぞ、ジェイ。
「こいつら起きないな」
「薬が多かったんじゃないか?
息はしてる」
そんな声で気がついた。
あー、寝てた。
私も、大概だな。
荷馬車の揺れがない。
少し目隠しに光を感じる。夜が明けたか。
着いたのか?それとも、馬を替えるのか?
私が拉致されたのが、夕刻。
朝なら、半日経っている。
馬は、そのくらいでバテる。馬駅で馬を休ませたのか、替えたのか、それで距離が変わる。
もし、馬を替えて、走り続けたのなら、かなりの距離を走ったことになる。半日なら、王都領はとっくに出て、何処かの領に入っている。
グレシャム領は、馬で二日かかる。まだだ。
ヴェールダムなら、馬で三日半。
王領なら、蒸気機関車の鉄道が巡っているが、諸侯領とつながるのは、まだ時間がかかる。
鉄と動力。
それを有する土地が、これから力を増す時代だ。
香ばしいかおりがする。
パンかな。腹が減った。
眠ったふりでも、腹は減る。
ここで食事ということは、まだ「旅」は、続くと言うことか。
急に口輪が外された。新鮮な空気が入る。
「……起きてたか。中々太いじゃないか」
そんな揶揄がおりてくる。
「……何処へ行く」
「さあね」
「リルは大丈夫か」
「あー、生きてるよ、色男」
けけけ、と下卑た笑いが起きる。
んー、三人位?
「水だ。何も盛っとらん。
干からびさせる訳にはいかんからな」
そう言われて、無理やり口に流し込まれた。むせたが、美味い。
「ここからは、飛ばす。
追っ手がないのが幸いだ。
せいぜい仲良くしてろよ」
そう言って、バタン!木戸が閉まる音がして、大きく身体が揺らいだ。
走り出した。
くそっ。
私は後頭部を壁に擦り付け、目隠しの結び目をこすった。さっき水を流し込まれた時、緩みが出来てたのを自覚したんだ。
しばらく頑張ると、はらり、と落ちた。
リル!
彼女は、ぐったりとうつ伏せに横たわっていた。足に枷が付いているが、それ以外は無さそうだ。
私は両足を伸ばして、リルを小突いた。ごめん土足で。
(起きろ、リル、起きろ!)
思念が届いたのか、彼女は、うう、と呻いた。良かった。これ以上、蹴らなくて済む。
ゆっくりとリルが動く。
五体満足か?怪我してないか?
「……ジェイ……ど、うし……」
リル。
あー、君、被害者な訳だね……
リルは、何とかその細い指で、口輪と後ろ手の縄を外してくれた。荷馬車の鉄の棒を梃子にする機転を効かせて。
「……ありがとう」
「……」
私は、自力で足の縄を外した。梃子って便利だ。でも、とても痛い。
板目からの薄明かりが強くなった。
完全に明けたな。
リルの足枷は、鉄につながっていて外れない。家畜用のようだ。緩みがあるから動かなければ、さほど痛くはないだろう。
それより。
(リル、君、この事態は織り込み済みな訳?)
リルは、びくっとして、頭を振った。
(そうだよね。
もみ合って、レイモンドか私に助けられる算段だったよね。
何が、あった?)
(……知って)
(偶。あんな教室でお話しちゃいけないね)
(……)
分厚いカーテンにくるまった王子なんて、思いもしなかっただろうな。
(で?これは、どういう事か分かる?)
(……知らないわ……
私は計画通りに動いただけ。
レイモンドの試合を応援して、出入口で待って、彼と貴方の目の前で不審者に拐かされそうになって、もみ合って、レイモンドに助けられる
……そのはずなのに、なのに)
リルは騙されたって訳。
うーん、また、未来が変わっているぞ。どうする。
リルは少し泣いていた。
怖いのではなく、悔しいらしい。
自分が兎になって主導するつもりが、駒の一つで、しかもこの事態だと、見限られたと、感じたのだろう。
(今の段階で、この状況をどう考える?)
私はリルの隣に座って、肩を抱いた。優しい花の香りがする。
(多分……貴方とまた恋仲だという設定ね。
貴方、殺されるわ、私と)
……心中かい。
(違うわ。誘拐されたのは、レイモンド達が見てたでしょ?
誘拐犯に殺される。
私と貴方が繋がっては困る相手に罪を擦り付けて)
でなければ、貴方を斬り捨てれば済む話。私までこんな風に閉じ込めたとすれば、私の利用価値は、貴方と共に亡骸にするつもりでしょう。
リルは、そっと頭を私に預けてきた。
「ごめんなさい。
貴方に言い寄ったのも、計画。
でも
私は結局、伯爵にとって、捨て駒だったのね」
伯爵。グレシャムか。
荷馬車は大きくカーブして、止まった。
馬の休憩か。
(何処だと思う?)
声をひそめた。
(……分からない。でも、私達を殺すなら)
濡れ衣を着せたい相手の土地だよな。
(エミリオ領)
(でしょうね)
外の賑やかな音がする。
人びとの声が行き交う。結構賑やかな場所だ。
(エミリオ公爵に罪をきせるとすれば、ここは、既に領に入っているはずだ。
……どこで)
殺すのかな。
(最も効果的な場所。
そうでなければ、エミリオ領に入った辺鄙な所で、やっちゃってるわ)
リルも中々落ち着いている。流石、改革の女神。
私は、脳裏に引っかかるものを探っていた。なんだっけ……記憶がこれだ、と言って
(あ)(何。)
マルベル教授の部屋の扉に貼ってあった地図。
あれは……
(リル、書くもの、ない?)
(待って……紅でも、いい?)
リルは制服の胸元から、小さな入れ物を取り出した。女の服って魔術だな。
私はハンカチに、紅をすくって指で書き付けた。それを引きちぎった釦を芯にして包む。
リルがそれを荷台がかしいて動くタイミングで、板目から、そっと落とした。
荷馬車が走り出す。
誰か気付いてくれ。
精霊、運を分けてくれ。
影、生きて、私を探せ。
父上。
動いてくれ。
ロゼッタ。
あれ、どうして彼女が出てくるんだ?




