44 兄上への宣告
兄の警護が、僅かに動いた。
私の影が、カチ、と音をさせる。
互いの警護が互いの主を守る為の最小の牽制を見せた。
「……民衆党がどんな奴らか、東宮会議でご承知でしょう」
あの頃には既に、取り込まれていたのかな。
「……民衆党?
違う。あれは」
馬脚を表しましたね。
「違う者から接触があったと?」
はっと兄は肩を揺らすが、もう遅い。
「それは、ヴェールダム公爵ですか?」
「……」
「それとも、マルベル教授?」
「え?何故、教授が」
じゃ、ヴェールダムの筋だね。
(殿下)
兄の警護が、小さくたしなめる。
そうだよ、私の一言ひとことに、反応してしまう主が悪い。
「兄上。これは私の与太話だと思って、聞いて頂けますか」
私は睡蓮宮で思い巡らせた兄の経緯の想像を話した。
頑張って兄は能面だった。
「恐らく、フランカに醜聞が起きればそれで良いと言われたのでしょう?
狙いは、エミリオ公爵が、これ以上王家と繋がることを阻止したかった。
つまり、私とフランカの婚約を破棄することが目的だった、と唆された」
私を亡きものにするつもりはなかったのですよね。
「予想以上の被害に、貴方は肝を冷やしたはずだ。
そして、相手の意図が私の殺害にあった場合、ご自分が疑われると察した。
私が居なければ、貴方が王太子ですからね」
兄は、ピクッと頬が動いたが、黙っていた。
「貴方にそんな気はない。
それはこれまでの貴方を振り返れば自明だ。私は貴方を信頼しています」
兄の目が和らいだ。
「けれど」
私は更に続ける。
「貴方が動いて、私やフランカ、ロゼッタが危うくなった事は、事実だ。
それに対して、貴方は何ら責任をとっていない。私は貴方を許さない」
私の言葉を兄は、じっと受け止めた。
「貴方の罪悪感は、ロゼッタに向けられた。
そして同時に、ロゼッタに言い寄る事で、自分は臣に下り、私と敵対する存在ではない事を示そうとした。
バルトーク家は、ネズミの指示には入っていなかったのでしょう?」
兄の返事など、待たない。
私は、自分が殺されかけた事より、あの子を翻弄するのが許せないんですよ。
「もちろん、貴方の事だ。
気がつけば、ロゼッタが、どれほど自分の好みに適う女性か、はっと思い当たったのでしょう?
私とのやり取りは、真面目な貴方の精一杯のパフォーマンスでした。
……まあ、お似合いですよ。
そして、ロゼッタに気を寄せるのは、いい目をしていると思いますよ」
それが、平時ならね。
兄ならロゼッタを大事に大事にするだろう。
「だから、貴方の恋路を妨げはしません。兄上」
私はすっと、立ち上がった。
向こうの影が揺らぐ。
「ネズミと、今一度繋がって下さい。
それが適ったら、兄上、直ぐにでも王籍離脱を祖父に請うて下さい」
兄は、切なげに私を見た。
「……それで、贖罪に、なるか?」
「私に頭を下げて下されば、不問にしましょう。
父が私に預けたということは、貴方を切り捨てないという意思表示ですよ。
……兄上、貴方は実務に優秀です。王家にはなくてはならない方です。
脅しくらいで、失えません。
黙って、そう遠くない将来を早めてお立場を去って頂けますか」
兄は、いまだ座ったまま、黙している。
「……ロゼッタの事は、手を貸しませんからね。何とかご自分で頑張って下さい」
私の物の言いに、少し笑った。
そして、兄は席から立ち、テーブルを回り、私の方に歩み寄った。
そして、
「貴方の忠実な臣となり、生涯お支え致します。ジェイ殿下」
と、跪いて、臣下の礼を行った。
(ご立派です)
私室に戻ると、影がまた褒めた。
「甘やかすな。
これからが正念場、だろ?」
私は戻ってきたもう一人の影の報告を聞いた。
「あの後、マルベルは、街に出ました」
行先は、例のレストランテ、ではなく。
「さる方の館です」
グレシャムか。
(話が違うじゃないか。
王子が直接来たのだぞ!
私たちがそんな仲ではないのに、あれは完全に疑っている!)
(まあまあ、教授。
どうしてそんな事に行き着いたのか、私の方でも探りましょう
……それはそうと、私の領でご講師頂く件は、どうお考えになりましたか)
(おまけに保管しておいた書簡が無いのだ!誰かが……グレシャム、貴方か?)
(何故そうなりますかね。
私はあくまでも、エミリオ領での調査研究をこちらの領で頂きたい、そして、私の学校で優秀な学生を教えて頂きたい、そうお願いしているだけではないですか)
(……あの封書は、大事なんだ)
(執事か書生を派遣しますか?
貴方は片付けが不得手ですからね)
(エミリオ嬢には、手を出さないでくれ)
(私が一度でも、彼女をどうこうした事なぞありませんよ
私の目的は、あくまでも良き学生を輩出し、この国の民を導くリーダーを育てることにありますからね)
(……私が諾とすれば、彼女の身分は保障してくれるのか?)
(そんな事、駆け引きの種にもなりませんよ。
今の倍、三倍、報酬は約束します。純粋に貴方の研究に賭けてみたい。それだけです)
ふうん。
「グレシャムは、中々の御仁だね。そして、マルベルって、完全にフランカに惚れてるんだな。
何があったか分からないけど、調査研究でフランカとは確実に、接点があった訳だな。それをネタに、グレシャムはマルベルに接近したって、こういう筋か」
ううむ。
フランカの片恋でもないって、訳?
いやー、勘弁してくれ。
「マルベル教授については、利用されているウサギですね。彼が何か画策できる器じゃない。
あれは学者馬鹿です」
影はさらりと斬った。
「彼に何の利用価値があるのかな……」
「思うに」
何時もの影が、口を開く。
「彼が生み出す発電機関は、国の財産です。
特許をとれば、国外からも、収益をもたらす。これからは、農業より工業の時代です。
その時代の寵児を押さえて置けば、エラントと対立する際のアドバンテージとなり得ます。
教授は、平民の出で、それも通りがいい」
成程ね。
そして、グレシャム領に囲ってしまえば、エラントには手が出せない、と。
「封書は、グレシャムがくすねたか。公爵の持ち物で、フランカの署名がある封筒は、それだけなんだよね」
「ひょっとしたら」
影は続ける。
「……兄上の可能性も」
いやー
それをやられちゃ、庇い切れないぞ、兄上。
「まあ、明後日だ。
明後日、上手くやれば、何とかなる
リルを助けて、リルが手にする封書を何としてでも破棄しよう」
「ネズミには、如何様に」
そうだなー。
「私がフランカとの婚約破棄を考えている、とでも流して貰おうかな
……敵は、エミリオ公爵の失脚を足がかりに、領主会議か閣僚会議を煽るつもりだろ?
フランカの失脚は、リルにとっても必要らしいし。
マルベル教授も、慌てるだろう」
そこまで指示して、影は動いた。
後は、近衛の中にいる民衆党と、
『南』とやらが、母の国の言葉を使った件だ。
「お前」
(グレシャムと外つ国の関係ですね)
こいつ本当、優秀だなあ。
(私達は、デボラ様が貴方をご出産された時から、国で選り抜かれて教育されました。
貴方を護り貴方を導く為に)
何だよ、初めて聞いたぞ。
(貴方が国を司るに価すると判じた時、明かせと、外つ国からのお達しでしたから)
「それは面映ゆいな。
伯母上には、頭が上がらない」
伯母上ー。
おまけに精霊と契約して。
どれだけ感謝してもしきれません。
この件が上手く片付いたら、貴女に直接お会いします!
「とにかく、明後日
明後日だ」
そう
誘拐事件を解決するぞ!
周囲は固めた。
私は出来る!出来るぞ!
の
はずだったのに。
何で私は、
リルと一緒に…
誘拐されたんだ?




