40 探り合いの王子達
私邸の4階に、デュランの居室がある。私は3階。そして、弟妹は2階。
このまま私が王太子になれば、デュランは別の館に移り住むこととなる。伯父上が住まわっていたハマナス邸が空いているから、多分そうなるのだろう。
「来たね。お小言かな」
デュランは、ゆったりとしたローブ姿で現れた。
うながされて座る。
「分かってるじゃないですか。
あの娘はまだ子供なんです。
貴方のような立場の人が、ふざけて手を出す子じゃない」
私のモノの言いが尖っていたので、兄は薄笑いをやめた。
「今まで浮名のひとつも流さず、誠実に傍系王子として努めてきたつもりだ。
初めての我儘が、好ましい女性を口説いたって事なんだが……私とロゼッタでは、そんなに不釣り合いかい?」
「……」
いや。
不釣り合いじゃない。
旧家バルトークの嫡子ロゼッタ、
第一王子デュラン。
デュランが婿に入れば、バルトーク家は安泰だ。伯父上がこれからも独身を貫けば、婿が公爵となる。
バルトークにしても、エラントにしても、これ程の縁はないだろう。
兄が王籍を捨てれば、の、話だが。
私が黙っているので、少し兄は寂しそうに肩をすぼめた。
「お前には、薄情かもしれないけど……昨夜は心臓が止まりそうになったよ。
ロゼッタが儚くなったのでは、と思った。お前を案じる先に、彼女が浮かんだ。
あー、私は、そういう事なんだな、
と、気がついたんだ」
「本気なんですか」
「私はいつでも、真面目だが」
私はため息をついて
「兄上。
白馬の王子様病、って、ご存知ですか」
兄は、目を丸くしてから、首を横に振った。
「女の子は」
私は続ける。
「いつか白馬に乗った王子様が、日常を破って、自分をさらってくれる。素晴らしい恋愛と永遠の愛、そして幸福な人生を約束してくれる王子様が、必ず来る……そんな事を夢見るんだそうですよ」
「……要求が高いな……」
「夢想ですから」
「……私の告白は、及第点では」
「ないでしょうね。
花束のひとつも、楽団の二つも、満月の三つも、何にも無い応接室での告白なんて」
兄は、口をへの字にして、はあ〜っと息をはいて、卓に突っ伏した。
早い話が、落ち込んだ。
少し可哀想になった私は、
「彼女は兄上を嫌っているのでは、ないですよ。
ロゼッタも夢見る乙女だった。そこがボタンのかけ違い。
怯えているんです。
仕切り直しましょう、兄上」
と、慰めた。
「お前は」
兄は卓にキスしたまま、言った。
「私の愚かな気持ちを応援してくれるか?」
「……」
どうだろう。
さっきロゼッタのベソを見て、事の次第を聞いて、
どこかで安堵する自分がいた。
ロゼッタは誰のものでもない。
ロゼッタの心に、デュランは居ない。
その事が、嬉しくもあり、優越感を煽る事でもあった。
「兄上」
私は助言をしておいた。
「私達の婚姻は、家の為です。
王の拝命であれば、逆らうことなど考えられません」
兄は顔を上げた。
「そうか。
そうだ。王の継承者に自由な恋愛などないね……」
「私とフランカは、互いに熱烈に想いあっている訳ではないですよ……でも、夫婦になる相手は、お互いしか居ないとも確信しています。
今の私は、フランカに気に入って貰おうと、綺麗な羽を立てる孔雀みたいなものですよ」
我ながら上手い表現だと思った。しかし、兄には違う捉えがあったらしい。
「お前は幸運だ。
でも、
欲張りだ」
「……何がですか?」
デュランは、真顔で言う。
「婚約者も、幼なじみも、どちらの手も離さない。
フランカに媚びて、ロゼッタを甘やかす。
私たちの父の様だ」
父。
デボラ妃殿下が懐妊した時期に、セリア妃殿下を見初めた父。
私は血が頭に上るのを感じた。
私がフランカとロゼッタをそんな風に扱っているとでも?
と、同時に、兄の心に、父への恨念があることを知った。
(セリア妃殿下)
私は打撃を受けていないフリで反論した。
「待って下さい。
ロゼッタは双子の妹のようなものです」
「……そうかな。
妹にしては、庇護欲も束縛も過ぎる気がするのは、私は彼女を見初めたせいで、目がくもっているのかな」
今夜の兄は挑戦的だな。
私に説教する時以外、この兄は穏やかで私を甘やかしたのに。
恋を自覚した男の焦りか。
「……あー、それはそうかもしれません。あの子が笑っていないと我慢がならないのは自覚しています。
多分……遠くない将来、
ロゼッタの花嫁衣装を見たら、私は伯父上と手を取りあって、嬉し泣きするでしょうよ。
……あの子の浮き沈みの人生を傍らで見ていたのですから」
デュランは、私のそんな『いいわけ』を素直に取ったようだ。まあ、半信半疑かな。
こういうお人好しな言動は、彼の好みのはずだ。
「そうだ、菓子」
私は話題を変えた。
「そのロゼッタがコリコリ食べてた、あの菓子は、兄上からですか?」
「あ、ああ。
ロゼッタが来ていると聞いて、持参したよ……食べるかい?」
話の方向が変わって、ちょっと兄は不満げだったが返してくれた。
「とても美味しかったと。
兄上の見舞いだったと。
私にもおすそ分け頂けたら、嬉しいかな。
……南方の菓子だと、兄上の好みだと、幾つも食べてましたよ」
デュランは微笑んだ。
彼女が喜んだ事が嬉しいらしい。
(惚れたってのは、本当らしい)
私は、しれっと続けた。
「どこの品です?」
「エラントの、南の地域だね」
「珍しい品でしたね」
「頂き物だよ」
どなたから?
それはわざと聞かなかった。
「兄上が頂き物ですか。
菓子なんて珍しいですね」
「いや」
デュランは
「母の頂き物だ」
南の地方
グレシャム?
それとも。
『南』の襲撃グループ
セリア妃殿下……
何となく繋がってきたかも。
さあ、今晩の核心、だ。
「時に兄上」
私は給仕が持ってきた小石のような見た目の菓子をつまんで、口に入れた。
「昨日、エミリオ閣下の棟からお出になって、どうして急いでいらしたのですか?」
と、もぐもぐして、呑気に言った。
見てないけど。
はったりだけど。
キョトン、というマヌケな顔は、得意技だ。少し目が垂れてるせいで、みんな、騙されてくれる。
他意はないと。
「何故そんなことを?」
兄の空気が、剣呑になった。
警戒モード。
「兄上がご退出されてから、フランカが、ああそう言えば、と、兄上に申し上げたいことがあったと。
代わりに直ぐに廊下に出たのですが」
あの廊下は一つだからね。
見通しはいいんです、兄上。
「どうだったかな?
……ああ。
部下が決済できないと怒っているのを思い出したんだ。
はしたないね。走ってしまった」
「一緒に居たのは、部下でしたか」
兄の顔が、僅かに強ばる。
「……どこで見たのか知らないけれど、多分」
私はもう一個、口に入れて、のんびりと
「……そうなんですね。
フランカが用事だと言うから、焦って出たんですけどね。
……実は」
「何?」
兄は明らかに動揺している。それを鉄面皮でおおっている。他の者は分からないだろうが、私には通用しない。
「フランカが兄上に、なんて、私としては嫌じゃないですか。
ロゼッタは、兄上がフランカに恥じらっていたなんて言うし。
用事なら私がさっさと伝えて、フランカにもう会わせない、なあんて思ってたんです。
人が居たから、まあ後で、となった次第で」
コリコリかじる菓子は美味しい。砂糖にコクがある。
兄は、私が真実を掴んでいるわけではないと思ったのだろう。
ニッコリ笑って
しかしやや青ざめて、
「心配無用だ。
フランカ嬢に二人で会うことはしないよ。
ロゼッタとなら、喜んで」
なんて戯言を言った。
「フランカはダメですからね」
私はポンコツ顔。
はらわたは、煮えているけれど。
兄上。
貴方の行為が、私や、愛しのロゼッタが命を狙われる元凶となっていること、まさか理解していない訳じゃないですよね。
「で、フランカ嬢は何の用事だった?」
「え、と、
あーそうです。
……兄上はマルベル教授と、どこにフィールドワークに行ったのか、と」
「ああ」
兄は、ほっとしたらしい。
「残念ながら、私はフィールドワークしていないんだ。
控えの間でもフランカ嬢は、卒論の話をしていた。
それで、なんだね」
ふむ。マルベルには、反応しない、と。
これ、美味しい。
「兄上、この菓子、少し持ち帰っていいですか」
「どうぞ、気に入って嬉しいよ」
給仕がナプキンに包んでくれたので、私は立ち上がった。おいとまだ。
「兄上」
再び兄は緊張する。
(そんなに分かりやすいと、政治は出来ませんよ?)
「ロゼッタを落としたいなら、彼女の淑やかな所を褒めて下さい。
刺繍なんかはとても美しいですよ。
あの子、お転婆を褒められると落ち込むんだ」
兄は
「……先に言ってくれ。
そこを押した私を叱ってくれ……」
と、呆然とするので、少し笑った。
笑って、手をヒラヒラして別れた。
さて。
ロゼッタへの思いは本物。
昨日の動きは、かなり黒。
民衆党との接点は不明。
デュランには、反逆の気持ちはなし……でも、襲撃の糸口を作ったことへ負い目はかんじられない。
で、隠し事を抱えている。
(正義を踏み越える、彼の理由があるということかな)
あながち、父の推理は的外れではないのか、も。
私は口の中の菓子が溶けたのに気づいて、呑み込んだ。
(セリア妃殿下にお会いするか)




