36 バルトーク家の朝
目覚めると、スッキリ爽やかに起きることができました。
私の神経は、藤ヅル並に強いのでしょう。まあ、幼い頃に、心も身体も虐めぬかれたので、あれしきのことでは、大して打撃とならないようです。
「お嬢様。お目覚めのお茶をお持ちしました。
お召し物は、ブルーに致しますか?」
侍女のララです。
一晩ここに居てくれたのでしょう。
私が身動ぎするなり、茶器を温めてくれました。
「ララ。フランカは如何かしら」
「エミリオ様は、まだお休みのようです。
あちらにもお湯をお持ちしましたら、看護師が受け取ってくださいました」
フランカ。
どんなに衝撃だったでしょう。
直接襲われてはいないけれど、地面に転がる死体や怪我人は、視界に入っただろうし。
何より、ジェイが剣を奮って闘っていたのですもの。
さて。
ララの話だと、お義父様はジェイと出仕なさったし、しばらくは王宮に詰められるのかしら。
昨日の事件が広まれば、お見舞いだの何だの、賑やかになりそう。私の判断で捌けるかしら。
晴れているからと、コンサバトリーに食卓をセッティングしてもらいました。
執事のエルダーに、昨夜からの成り行きを説明して貰って、追っ手の心配はないと言うことに安堵しました。
「早朝、エミリオ公爵家より、陣中見舞いと御礼を兼ねて、食材が届いております」
給仕に聞くと、料理長がホクホクしているそう。……余程の品ね。フランカが帰る時に、ご返礼をお持たせしなくちゃ、だわ。
エルダーは、
「それでしたら、秘蔵の茶葉がございます。バルトーク産の陶磁器一式と共に整えましょう」
と、いそいそと動き出しました。
マメな執事です。
私は、陽光が心地よく硝子を通り、テーブルに草花の影を作っているエッジを指で辿りながら、昨夕の事を反芻していました。
恐れは、今では少し遠のいて、必死の形相のジェイの姿ばかりが思い出されます。
……函が大きく傾げたとき、彼は真っ先にフランカを抱いたわ。私には、手のひらで受け止めようとしたけれど。
お転婆を熟知されてるものね。ご期待通り、上手く転げてジェイ達に飛びついたけど、体重はかけなかったつもりよ。
短剣!と言われた時だって、ちゃんとスコートの下から、すぐ出したし。
ジェイにすれば、私が出来るって、分かってくれているのよね。
(でも、いいなあ)
普通、淑女はフランカみたいに護って貰えるのよね。
私だって淑女なんだけどなあー。
制服のスカートは、マキシミディの丈で編み上げブーツの高さに合わせてあるから、立ち居振る舞いで肌が見えることはないけど。
あんな鞍じゃ、またがるしかなくて!太ももまでずり上がって!
(見られた、わよね)
生きるか死ぬかの非常時だから、仕方ないけど、仕方ないけど!
そうよ、私は乗馬は得意よ、でも、敵がいる中で、一人で乗せる?
馬を叩いて、先を行かせる?
……何だか、腹が立つわ。
ちょっと、泣けてきたわ。
(でも)
私が腹を立てたら、ジェイ、抱きとめてくれたの、よね……
柑橘の香りに包まれて、私。
分かってる。
ジェイにとって、私は双子の妹みたいなものだって事は。
それでも、初めて、だった。
(前の人生でも、私をそうして下さったのかしら)
私が罪を犯したのに、庇ってくれたという、ジェイ。
私、どうしたいのかしら。
どうなりたいのかしら……
「客間の兄上様は、程なく一度出仕し、閣下にお会いするとの事です」
客間担当の侍女が告げて、私は夢から起き上がりました。
「では、お食事をお出しして」
そう、私が給仕に告げるなり、
「ロゼッタ嬢。返ってお邪魔になったようで面目ない。ご迷惑おかけしました」
と、エミリオJrが現れました。
身支度もきちんとされていらっしゃいます。
フランカと同じ金髪は、夫人譲りなのでしょう。すっ、と、細身のなで肩ですが、フロックコートがとてもお似合い。
私が、当然のことでございます、と返し、お食事を勧めると、
「今後の方針を早く知りたいので失礼しますよ。フランカをどうかよろしくお願いします」
人懐こい笑顔で、そうおっしゃいました。そして、
お兄様は、突然跪いて、
「貴女がお独りで馬を駆けなさったお陰で、妹は殿下にお任せできたと聞きました。
貴女の勇気に感服いたします。
……後日改めて礼に参ります」
と、家臣の礼をお取りになりました。
立ったまま、ぼう然とする私を眩しそうに見て微笑んだエミリオJrは、踵を返して去りました。
(……っわあ……)
私の乙女心は、とくんと弾みました。
現金ね、ロゼッタ。
女扱いされなくて立てていた腹が、勇気を称えられて、帳消しなんて。
ちょっと持ち直した私が、居間で礼状を書いていると、フランカが現れました。
挨拶もそこそこに、私達は手を取り合って、互いを労りあいました。
気丈なフランカも、流石に涙ぐんで、良かったわ……と繰り返します。
改めて、フランカに遅い朝食を勧めました。食欲はない、との事でしたので、給仕につまめるものとお茶を用意させました。
「貴女が勇敢にも、一人で逃げて下さったから、私、のがれる事が出来たのだわ……足手まといで申し訳ないわ」
そんな弱気を言うのですが、私はクスッと笑ってしまいました。
「ロゼッタ?」
「ええ、ごめんなさい。先程、お兄様も同じことを仰って」
「兄が来ていたの?」
「貴女が心配で、それはもう、すっ飛んでいらしたみたい。
私も眠ってたから、良くは知らないのだけど。
お兄様は、お優しい方ね」
私がそう言って微笑むと、フランカは、ちょっと困った感じにはにかんで、
「兄は良くも悪くも善人なの。
もし、貴女に同じことを言ったのなら、それは、真、本心よ。
……貴女は、素晴らしいわ」
そんなふうに言うので、私は赤面してしまいました。
でも、その後の
「……ジェイの傍らには、貴女みたいな方こそが、相応しいのかもしれないわ……」
という呟きに、目を剥いてしまいました。
「なんて事おっしゃるの
ジェイが必死で貴女を庇って、必死で護ってくれたのよ?
貴女はジェイに、それだけの価値があると言うことだわ」
そうよ!私より貴女の方が、価値があるのよ……
「ええ。
感謝しています。
……彼は本当に変わられた。
今のジェイなら、近い将来、王太子の職をご立派にこなすことでしょう」
何か、引っかかる言い方に、私は先程の複雑な思いも相まって、日頃なら絶対言わない事を口にしてしまいました。
「その時、貴女は、王太子妃殿下よ。
どうしたの?嫌なの?
今のジェイと結ばれるのが」
私の口調に、察したのでしょう。
フランカは、少し慌てて、
「いいえ。いいえ。
私には勿体ない方だと思っているわ。
お人って、困難な時に、出るでしょう?あんな緊急の事態に、ジェイは敢然と立ち向かった。
そして、私達を守りきった。
本心から、ジェイを尊敬しているわ」
私の苛立ちは、消えませんでした。
「それならそうと、ジェイにお伝えすれば?
彼が貴女に惹かれているのは感じているでしょ?
いつまでも生殺しじゃ、ジェイが可哀想よ。リルとの火傷なんか、水に流して、向き合ってあげて欲しいわ」
図書館のフランカが蘇ります。
ジェイに大事にされているのに。
陰謀から守ろうとされているのに。
フランカは、悲しげな微笑みで、私のキツい言葉を受け止めました。
そして、思わぬことを言ったのです。
「貴女は、いいの?」
「えっ?……何が」
私はフランカの言葉が分からない訳ではありません。
それでも、そう口にしてしまったのです。
「ロゼッタの心は、それでいいの?
……ジェイ殿下をお慕いしてるのでしょう?」




