33 リルとの決別
結局、朝まで何事もなく、私は東宮に帰還した。
事後処理が多く、学院は欠席するつもりだったが、なにせポンコツの時代の負債がある為、必修の授業だけ出席する事にした。
眠い。
授業はアリバイ作りにしかならなかった。今日の分が試験に出たら、王家初の落第留年になるんだろうか。
午後は、亡くなった警護の家族に弔問する。
朝、その旨をグレンに伝えたら、
(……殿下。本当にお変わりになられて……ご成長されて
こんな時ですが、私は嬉しく存じます!)
と、まるで爺やのようなセリフを吐くので、早々に学院へ逃げた。
恥ずかしい。
死を経験したので、残された者の哀しみが想像出来るようになっただけだ。それと、私を守ってくれた以上、その死は私に責任がある。
私が生き延びて、代わりに人が死ぬ。
私が生き延びる限り、今回のような想いを幾度もするのだろう。
「ジェイ?」
弔問の後は、調査報告を受けよう。
当事者の権利として、近衛兵団長のザッカードに、全ての調査に関わらせていただこう。
それから父や伯父上達との〈会議〉だな……それぞれの進捗状況も知りたいし、今回の事件について、意見を聞きたいし。
「ジェイ」
しかし学院の通学に馬車は不味いんじゃないか?
新しモノ好きの外務大臣が乗っていた蒸気自動車なる乗り物は、馬より速いそうだが……
「……ったら!もうっ!」
ばっ、と、左の腕に何者かが取りつきそうになったので、私は即座に脇に跳び、脇の短剣を抜い……
「ひっ!」
「アボット嬢……」
リルだ。
前にもこんな場面あったよな。
どれだけぼんやりさんなんだ私。
「ひ、酷い。何度も呼んだのに、全然……だから、前みたいに手を……なのに、なのに、怖い……」
うるうるするリル。
うん。ポンコツの私は、ちょっと庇護欲湧いてるよ。
今の私は
(けっ。演技演技)
と、頭で言っている。
中々、辛辣だね。
「怯えさせたのは申し訳ない。
昨夕、襲われたのでね」
まあっ!と、リルの口がまあるくなる。いや、知ってるでしょ君。
周りの学生が、ザワっとする。
こんな講堂で、言うことじゃなかったか。失態。
「まあ、ピンピンしているからご心配なく。
でも、名前呼びもそうだが、男の腕を急に取るなんて、君も大概にした方がいい」
と、話をすり替えた。
ジェイ、どの口が言う?
(五月蝿い)
「それと、襲撃されてから、ずっと眠っていないんだ。君を思いやれる程の気分じゃないから、これ以上は関わらないでほしい」
「……苛立ってるのは仕方ないと思うわ。ご愁傷さま。
でも、前にも言ったけど、私は私の想いを曲げることはないわ」
リルは、申し訳なさそうな表情の後、さわやかに、本当に爽やかに、真っ直ぐ言ってきた。
周りの子達は、リル親派か。
距離を置いて、件のゼルス嬢が居る。
男達は……御身大切。私の前でリルに寄るのは悪手と判断したのか、座席から聞き耳を立てているね。
じゃ、爆弾投下。
「……いや、私は今、焼菓子を食べたくはないね」
そう言ったら、リルは一瞬仮面を外した。憤怒の歪みが起きた。
(うおう、怖い)
講堂の空気が膨らんだ。周りがギョッとして私を見る。
それでも、
リルはすかさず表情を立て直して、ニッコリした。
(凄い。目が笑ってないよ)
「……聡明なロゼッタさんと、ご婚約者は、今日いらしてないのね」
「私にそれを問うのは、何故?」
知ってるでしょ?私と一緒に襲われた事。ここで恥をかかせる気?
それとも脅しか。
つくづく、どうしてこんな、見た目は天使中身は……に、コロッといったかなあ。
「焼菓子なんて、仰るから、余程彼女とお話されてるんだなぁって」
「何か勘違いしているようだけど、バルトーク嬢は、私の義従姉妹であり、王妃の里の嫡子だよ。
言わば準王族のお立場だ。
この学年で、私を除けば、彼女が最も位が高い。
王宮で、私に会ったり、滞在したりするのは当然だし、私の知らない王家の行事もあるだろうさ」
「位なんて……学生には、無意味だわ」
「誰だって、家の都合はある。
彼女も私も、一学生だが、家が求める役割がある。
それは王家であろうが、木こりの家であろうが、変わらないんじゃないかな……もう、いい?」
リルには、最後の言葉が、着火点だったようだ。寝不足で思わず苛立ちが出たな。
「人は、自由よ!
人は、個人としての人をまず尊重されるべきだわ!
個人の尊重のない社会に、未来はない。私達は、一人の人間として出会った筈……」
始まった。私はロゼッタみたいな鮮やかな論破はできないから、これで失礼するよ(言ってろ)
「待って!
この社会に縛られているなら、私を愛したことを無しには出来なくてよ!」
私の背中に冷水が浴びせられた。
足を止めて、背後の悪女の言葉を待つ。
「あ、あんなに私と……
乙女の心をもてあそんで、貴方、お家の都合で、棄てるというの?
愛してるわジェイっ!」
講堂の空気が凍った
……王子の公開処刑かい……
既成事実を皆の前で造るのかい……
振り向いた私の顔は、
冷酷な表情で
視線だけで人を刺すような目をしていたそうだ。
「私を愛するひとが、私を満座の中で蔑ろにする筈がない。
君は、何事も、自分の主張ばかり通そうとする。まさに『禁忌の焼菓子』だ。
では、そのルールにのっとって、私も応えよう」
ひ、と言う声が、どこからか上がった。
リルすら、怯えが見えた。
「私は君に責任はない。
淑女の立場を蔑ろにもしていない。
だから、人前で偽りを主張するのは止めろ。
次はない」
そのまま、私はずんずんと、退室した。傍らに近づいて同行するレイモンドが、何か言いたげだけど、知るか。
寝不足の私は理性を放棄していた。早い話、頭に来ていた。
(ま、いいさ。
ロゼッタもフランカも、当分学院には来ないだろうし)
その後、私は知らなかったのだが、
王子がリルに絶縁を突き付けたことで、完全に高位貴族とリル親派との溝は深くなった。
そして、いつからか、相手を冷たく拒否する時に、
『今は、焼菓子の時ではない』
との言い回しが流行ったそうだ。
ロゼッタのせいだと思うよ?
私の、では、ないよね。
……この一件が未来を変えるとは、私は思わない。既に襲撃で見るように、未来は変わってしまっている。
今更、リルとの未来はないし、ロゼッタとフランカの為に、どっちつかずに居なくても良くなった。
昨夜の襲撃の利得は、その位かな。
……けど、私は甘かったことを後で知ることになるんだ。




