29 エミリオ公爵の告白(後編)
私は、えっ、と、意外な表情……を作った。
図書室のフランカ。
一気に開花し露をはらんだ白百合は、ほんのりと色づいて……
「私は、そうそう色恋に向き合った事はないんだ、が、この歳だからね。
今まで、乙女が変化する様を傍らで観たのは、1度や2度ではない……その方達に、娘が似てきたと」
私は内心ドキドキしてきた。
フランカの恋。
知っているけど、知らない。
知らないけど、閣下の言いたい事は分かる。
「あれの変化は、貴方がまだ、あれに冷たい時に気付いた。
学院の創立記念パーティの娘は、慎ましいドレスなのに、遠くを見つめる横顔と姿が艶めかしくて……親ながら、はっとした。いや、お恥ずかしい」
創立記念日か。2年生の秋だ。
私は……いや不毛な思い出は巡るまい。
「フランカの視線の先を探した」
うっ。公爵、お相手ご存知なのか?
(……デュラン)
柔らかな髪と少し下がった目じりの兄。
「そこには……特にこれという殿方は居なかった。
しかしあの夜会は、学院の関係者か、パトロンである王家と閣僚の家族に限られるはずなんだが……」
公爵は、ううむ、と唸って顔を撫でた。
私はほっとした。
(お気づきにならない方が、皆の幸せですよ、閣下)
「私には分からなかったのですよ……未だに、あれを変えたのが誰なのか。
親が言うのもなんだが、あれは、淑女の中でも最高級に育った。
今更悪い虫を付ける訳にはいかない。本人に、慕う男がいるのかと、問い詰めた日もありました」
うわあ。
私がフランカなら、嫌だなあ。
「あれは、きょとんとして、コロコロ笑いおった。
『私は王家に嫁ぐのですよ?
そのつもりでお父様は、警護という名の監視役をお付けになってますでしょ?
いまだ、お父様以上に親しくしている殿方はおいでません。
残念ながら、ジェイ、と告げたいところですが、それも未だ。
不甲斐ない娘で申し訳ございません』
と、あしらいおった」
そうだろうなぁ。
もし、もしも、
お相手もフランカの気持ちに応えたら
王家は割れるぞ。
「いや、我が娘を阿婆擦れ扱いするつもりは毛頭ないのです」
「勿論です。
彼女ほど、清廉潔白な方は居ません。それは重々承知しています」
私は、胸を張って、将来の舅に宣言した。
今、思うと、少しのぼせていたかもしれない。
「閣下。
フランカが今どんな想いを抱えていても、それは全て、過去の私の責任です。
私はやっとで取り直した手を離すことは致しません。
閣下以上の存在になるには、時間がかかるでしょうが、よい夫となれるよう努めます。
と、言うより、今の私は、彼女と添える身である事がとても嬉しいとおもいます」
エミリオ公爵は、少し顎を引いて言葉を受け止めた後、つむじが見える程に頭を下げた。
……宜しくお願い致します……
私は申し訳ないやら、嬉しいやらで、少し涙ぐんでしまった。
「閣下……ご尊顔を……」
上げた公爵も鼻を啜った。
「まだ、お時間ありますか、殿下」
「勿論です」
公爵は、もう一杯酒を注いで、私にも勝手についだ。
公爵は、少し目がとろんとしてきた。
んー、そろそろお帰りにならないと、フランカも待ってるし……
「殿下」「はい」
「先程の殿下の言葉、ここに」
と、自分の胸をトンと叩き、
「来ました。済ましたあれの可愛らしさなど、見出す男は居ないと思っておりました……いやぁ、安堵しました」
私はむず痒い心持ちと同時に、こんな悠長な時間を過ごして良いものかと思案していた。
随行は、上手く潜入出来たかな……
「殿下」「はい」
「息子の貴方から見て、デボラ妃殿下は、お可愛らしいですか」
(へ?)
公爵は、何処に話を持っていきたいのだろう。
「かつて、彼国よりいらしたデボラ様は、勝気で生意気で、仕方ないから嫁いでやる、という高慢ちきな姫でした。
それがですな、デレクに会い、会う回数を重ねるに連れ、
姫は、輝くばかりの瑞々しい色香を発するようになった。
私は……」
公爵は、誰に聞かすともなく、語り続ける。
「デレクの言動に、振り回されて、一人でも立てるあの方が、悦んだり憂いたりする様は、微笑ましかった。
紛れもなくデボラ妃殿下は、デレクに恋して嫁がれた」
ああ、フランカのように変化した方というのは、母の事か。
まあ、あの母がお可愛らしいなんて、百の男が居たら百人とも首を横にふるだろう。
「……かつて、私は、三人の淑女が蝶のように変化する様を見守ったのですわ……デボラ様がその一人」
語りは続く。
……セリア妃も、そうだった。
彼女は、始め、怒っていた。
若しくは、蔑んでいた。
それが。
苦悩の表情が多くなり、憂いをまとう頃に
「私は、はっ、と気付いたのです。彼女の瞳が濡れて光り、切なげにデレクを遠くから見ている事に。
……フランカの表情は、そう、セリア妃に似ておりますな」
そのうち、彼女は、ご承知の通り側室になられた。
デボラ様もセリア妃も、
あいつを愛し、苦しみ、しかし
「おんなとしての、幸せは、確かに掴んだのだと、今は思いますよ。
……お二人の苦しみは、人を愛したから、もたらされたのですから」
(そうかな)
私は、父の腐った性根が母と義母を不幸にしたとしか、思えないけど。
「私はね、殿下。
……妻を愛おしいと、思います。
けれど、ね。
心奪われる、という経験は、1枚の絵画のように、私の脳裏に焼き付いて離れないのですよ。
とある淑女のお姿が、若い頃から忘れることができないのです。
妻へは、罪悪感など、ありません。
焼き付いた絵は、生身の女ではないのですから。
それでも、私はその絵を誰かと共有する事はない。生涯、私は目を閉じてその女性を愛おしむのです。
何万回も、何億回も」
「それは、奥方への裏切りではありませんか?」
恍惚としてきた公爵に、私は思わず咎めてしまった。
公爵は、薄く目を開け、
「……貴方が私やデレクのような運命とならない事を祈ります……
私は妻に誠実な男です
デレクは王家に誠実な男です。
それだけは、ご承知下さい」
そう告げた後、公爵は
「……あれが、私と、同じ道を辿るのやも、しれませんな……
いや、こんな、事を……殿下に……
殿下、どうか、フランカを」
次第に言葉が切れ切れとなり、エミリオ公爵は、たっぷりしたソファの背にもたれかかって、寝息を立て始めた。
あちゃー
フランカは私が送ろう。
そっと合図を出して、侍従に後を任せようとした。
「………ット」
公爵が何か呟いたけれど、私には分からなかった。
あ。
『三人』と仰ったよね。
母、セリア妃、
後、どなただったのかな。
次回はデュラン殿下登場。
本日20時に、更新します。




