25 過去の未来
ポロポロと泣くロゼッタを座らせて、私は対角線に座った。
吃驚したんだな。
この子は、ひたすら私とフランカの仲が深まるように、と、願っていたから。
いやあ、私だって心穏やかじゃないけど、他の人が感情を出しちゃうと、後出し出来ない。ましてや私は男だし。
あんなに愛おしそうな、切なそうなフランカを見ちゃったら、納得するしかないだろう。
彼女はいつから兄を慕っているんだろう。二人が実際にどうこう、と言うことは絶対ない、と言える。学年が三つも違っていては、学院では接点がない。東宮で進講を受けても、彼女は公爵令嬢で私の婚約者なのだから、面会の相手は限定される。特に男性は。
エミリオ公爵は、伯父上程ではないが、ただ一人の娘であるフランカが自慢で自慢で、お堅いフランカを更に貞淑たるよう求めている。だから、公爵子息以外、館で彼女に会える未婚の男は、私とロゼッタの猫くらいだ。
だから、片恋なんだろう。
恋を覚える前に、婚約が決まり、妃となる人生が定まったフランカには、生身の男との恋なぞ、ありえない。
いつから、誰にも言わず、漏らさず、フランカは芽生えた恋心を抱えていたのか。
(ざまぁないなあ)
前世と今と、ようやく彼女の魅力にころころ心が転がって浮かれたのに。ようやくリルの魔力から解き放たれて、本心からフランカをずっと大事にするぞ、と決めたのに。
整った怜悧な顔に、ふわっと浮かぶ恥じらいや少女らしさが、
それが私に向けられたものだと思って、独り占めしていると思って、舞い上がってたのに。
……そうか。
デュランに惹かれたのか……
そりゃロゼッタにも言えないよね。世間は私と兄はライバルだとなしているし。
私は男でフランカは女。
男の私がリルを侍らせてお花畑に浸かっていても、人は顔をしかめて諌めるくらいだ。でも、
フランカが他の男に心惹かれているなんて、醜聞中の大醜聞。
噂が立つだけでも、公爵は修道院へ送るだろうな。
(でも、さ)
……綺麗だったなぁ、さっきのフランカ。
愛しい男の手書きの署名をそっとなぞって、指のキス。
白百合が芳香を放つような、それでいて静謐な空間を形どって。
人って、あんなに幸福そうに想いに浸れるものなんだなあ。そして、恋する女性って、あんなに美しくって、神々しいんだなぁ……
馬鹿だなぁジェイ。傍らにあんなど真ん中の美女がいたのに、ドクバナに惹かれちまってさ。
「そうだ、毒花!」
急に私が立ち上がったので、えぐえぐしていたロゼッタが、ぴょん、と跳ねた。
「フランカを護るんだ!……エミリオ公爵にお会いしなきゃ」
「護る、って、何?
何か危険があるの?」
「リルが誘拐される」
「はあっ?」
司書が剣呑な顔で私の言葉に反応したので、私達は生徒会室に移動した。
「ねえっ、リルの誘拐とフランカの危険と、何の関係があるの?
……階段事件と同じなの?
まさかフランカがリルを誘拐したって捕まっちゃうの?」
ロゼッタはやっぱり賢い。
あれだけの情報でよく頭が回るなあ。
私は昼の教室で、リルが誰かと密談していた事を告げた。
王子がカーテンにかくれんぼしてた絵面に、ロゼッタはウプっと吹いた。まあ、マヌケだね。
「……それで詳細は」
「それは、これから計画を練るらしい。リルの下宿の一階は、リストランテだろう?そこで」
「それは……潜入が必要ね。影を」
(それなら私が)
小さな、それでも耳元で囁くように届く声が、会話に割って入った。戸口で警護している私の随行だ。
黒い髪と黒い瞳の彼は、時には私の影武者もこなす。武芸も語学も堪能。気配を消す達人。
空気のような存在でいてくれるので
、今のように時折居ることを忘れてしまう。
(畏れながら。成り行きは把握しておりますので)
彼もかくれんぼしてたんだった……私より巧妙に潜んでいただろう。
「……ああ。そうだね。……頼めるか」
(御意。しばらく離れます)
「許す」
これでリルの計画は掴めるだろう。
きょと、とするロゼッタだが、危険に身を投じる者がいると呑むと、モードが変わった。
私はロゼッタに続けた。
「……リルを亡き者にせんと、下校時に彼女を襲う者達が現れる。直前にその事を察した私が、レイモンドに助けに遣る。
男たちはかなりの抵抗をするが、レイモンドと私の手の者が、何とかリルを取り戻すんだ。
その揉み合いで、リルは男のマントを掴んで引きちぎるんだ。
男たちは、撤収!と、逃げる。
レイモンド達がかろうじて、彼女の奪回に成功する。幸いリルは軽傷。レイモンド達の中には銃による負傷者も出たが、死者は出なかった」
「……っと、ちょっと待って、ジェイ」
「学院は非常に深刻な状況となる。院の敷地内での狼藉そして銃撃と乱闘。警備の不備に多くの貴族が非難し混乱した。王家は私やロゼッタが在学中である事から、重大に捉え、宮廷警察を派遣した」
「だ、だから、ジェイ……」………
「けど、それも世論を二分したんだ。何と言ってもリルは、庶民や下級貴族のぐ偶像……女神だ。
地元の警察や学院の権限が弱まった事に不満を持った。
中には、陰謀論を叫ぶ者も現れた。学生も対立関係が顕になった」
「……」
「治療が終わり精神的にも回復したリルが、更なる混乱をもたらした……事情聴取の場で、証拠物件を差し出したんだ」
長い話に乾きを覚え、私はそこで喉を潤す。冷めたお茶だが、美味い。
「ジェイ」
「ん?」
カップの縁越しに、ロゼッタを見る。
「……貴方、どうして、そんなに詳細を知っているの?
もう……まるでもう事が終わってしまったみたいに。
だって、だって、まだ事件は……」
あっ!
しまった、つい調子に乗って……
「事件は、起きていないんでしょ?何故過去形なの?ジェイ、まるで貴方……預言者の、様だわ……」
私はカップを持ったまま固まった。
ロゼッタは、少し怯えたような眼差しを私に向けていた。




