22 デレク王太子
父の居室は、マホガニーの書斎机よりも会議や応接の為の卓と椅子の方が存在感があった。
「お座り。お前がこの部屋に入るのは久しぶりかな」
久しぶりも何も、幼い時以来ではないかな。用事は子供達の棟に来てくれていたし、父と公用でご一緒しても、居室に招かれたことはない。
父の前に、葡萄酒が置かれた。グラスが二つ。サーブされたグラスを受け取って、くん、と香りを楽しんだ後、味を確かめて、
「お前も」
と、勧めてきた。
給仕が高くから注ぐロゼの色を黙って見つめて、受け取ると、
「エラントに」
と、父がグラスを掲げた。
「……」
私にはこの父の腹が読めない。
「情報は武器だ、ジェイ」
(えっ)
父の温和な表情は変わらない。
「……けれど諸刃の刃だよ……こちらが一つ得ると、向こうは三つ程得ていると思っていい」
手酌で二杯目を注いで、父がそんな事を言うので、口の酒を吹き出しそうになった。
「むせたか。慣れなさい」
いえいえ、酒ではなく貴方にです父上。
「お前は武器の使い方を学ばねばね」
……あれ?どこかで。
ああ、お祖母様だ。
……私は、父が私の行動のほぼ全てを把握しているのだと悟った。
「……すみませんでした」
私は、はあ、とため息共に頭を下げた。
「謝るのかい?敏い子だねえ」
「伯父上にもたっぷり脅されました……」
あー、やっぱり兄弟だよ、父上も怖い。静かに怖い。
父は、ふっふと笑った。
「公爵の長饒舌は、矢張りお前が出元だね。この辺で、釘を刺しておかないと、お前は潜入捜査しかねないからね」
「……申し訳ありません」
図星かい。熱いねえー。
父はそんな風にからかってくれたが、その内実は重い。
なぜなら、私は何とかもう一度変装して集会に潜れないものかと思っていた。
お花畑の記憶が曖昧だったから、今ならもっと精度の高い捜査ができるはずだと、この間の奴に金を握らせて……と、考えを巡らせていたら、父のお呼び出しだった。慧眼恐れ入る。
首チョンパにはならないようだけど。
「ジェイ。お前は王子だ。王子の、エラントの男の役目は何だと考えている?」
ううむ。
父の説教なんて、初めてだぞ。
「……国、の、安寧のために……王を補佐すること、ですか」
父は、かぶりを振った。
いつの間にか卓上には、鹿肉や鶏卵の燻製が並んでいて、父はもぐもぐ食べて、一言。
「生きて、血を継ぐこと」
私の脳裏に、あの風景が蘇る。
……1度目の処刑場
2度目の毒杯
3度目の凶刃
死の間際に、私は何を感じていたかな……
「お前には、命を大切にしてもらわねばならない。私の血を継ぐ者なのだから」
父の、兄と同じく榛色の柔らかな髪と、立派にたくわえた榛色の髭は、祖父と同じだ。
私は、母譲りの黒髪と父譲りの碧い目。
王族の男並ぶと、私は異質だった。一人、外つ国の資質を有する者。見た目も、兄とは違った。
それが私の劣等感の元なのかもしれない。どうせ兄には敵わないと思い込んだのも、祖父と父と兄が、同じ風貌で言葉を交わす姿を見たからかもしれない。
血。
ロゼッタ同様、血が私を追い詰めるのかな……。
「王子のお役目はね、ジェイ。血統を繋ぐことだよ……王太子も王も同じだ。エラントの男は、次代が確実に来るように計らなければならない」
「畏れながら」
私の中の何かが暗い塊に揺らぐ。
「王は国のためにあるのです。自分の家の存続を一義とするような王なら、民衆党の言う通り民に国を譲ってもよいかと」
「大きく出たね。理屈は通っているが、ならエラントは何故四百余年続いた?」
父は私が浅慮だと言いたいらしい。
「この国は、そのエラント家が統治している。統治者が危うければ、国が揺らぐ。単純な事だよ。エラントが四百余年存続したのは、歴代の王がまずそれを尊重したからだ」
……だから祖母は我慢したと?
だから貴方は…
「不満げだね。私が二人の妃を持った言い訳だと怒ってるのかな」
私の食器が音を立てた。
何言ってんだ。
母の、セリア妃の、心根を貴様が揶揄していいと?
私の、兄への苦さを……何だと思ってるんだ。
「……悪かった、ちょっとからかいが過ぎたね」
強ばる私に、父は、もうちょっと感情を表に出さない訓練が必要だよ、と言った。
五月蝿い。黙れ。
私の呼吸が整うのを父は待った。
給仕や侍女がそわそわとしたが、程なく私は、両手を肘置きに乗せて座り直した。
父も姿勢を直して、話を続けた。
「問い直そう。王とは、何だ?」
「国の統治者です」
私は不貞腐れを隠しもしないで応えた。
「統治とは?」
私は少し考えて、
「国民の秩序を守り、土地と財産と家を守ることです」
「優等生だね。では、何故護る?」
何故って……領地だから……?
「国は施政者のものだ。
エラントはエラント王が頂点に立つ。だから国は王のものだ。
国はそのままでは財を産まない。耕すもの掘るもの作るもの流すもの……そういった産業を担う者が生み出す。
それらの民が安全に財を成すために王は護る。統治とは、契約だ。
民は安定的な安全と財が欲しい。となれば、統治者に安定した政治をおこなって貰わねばならない……王家は常に求められるんだ。信頼に値する家かどうかを」
だんだん分かってきた。
だから、血、か。
「王とはね、ジェイ。人ではない。王という実体を伴ったシンボルなんだ。
王の座に座る者には、国民が思い描く振る舞いが求められる。そこには王の人としての欲など後回しだ。一挙手一投足、言動の全てが国を動かす起点となる。
独楽の中心の傾きは、端へいくほど大きい。だから、恒久的に独楽がたち続けるように、独楽本体の要求に叶う存在でなくてはならない。……だから、実体があってない存在なのさ」
ううん。
私は思うところはあったけれど、父がそういう覚悟で王太子となっているのは理解した。
「だからね、ジェイ。
お前が覚醒したと言うのが本当なら、これからが大変だよ。
ただの馬鹿なら、病にしてデュランにつかせるつもりだったんだが、真っ当なら、今の時代は舵取りが難しい」
「……」
今、サラッと凄い事言われた、気がする。
(もしかして1度目の人生、断罪してなくても同じだったのかも……)
私は、ふと、聞いてみたくなったので考え無しに訊ねた。
「父上」
「何?」
「貴方は王太子に成られて後、ずっと人ではないのですか?」
父は、グラスを置いた。
柔らかな瞳が、さっと曇る。
感情の読めないその顔から、父の何かに触れたのだと感じた。
ちょっと、意地悪だったかな……
父は姿勢を崩さず淡々と、
「幼き頃から王太子になったばかりの間、私は母の里のアルマイル姓を名乗っていた。枢密院の合議により、父のエラントを許された……
それからかな、私は称号であってそれ以外のものではない、と理解したのは」
そして、帳が閉まっている窓へ顔を向けた。少し声音を落とし、
「ただ、ね…三ヶ月……僅か12週間、私は一人の男に戻った事があるよ……デボラとの結婚の前に」
そう言って、目を閉じた。
「相愛と伺った母との出会いですか?」
私は、そう訊ねたが、父は聞いてはいなかった。
沈黙。
父が窓を向き目を閉じたままだったので、私は父が、これで話は終わった、と成したのだと思った。
そっと、礼をして、席を立ち、部屋を辞した。
父は向こうをむいたままだった。




