14 別れ
「本日はランド歴456年4月10日です」
棒読みの下女の声は3度目。
うん。
今の私は高等部3年生。この春夏で学業を全て修了させなくてはならない。
(試練だな、ジェイ)
どこからやり直したらいいのかな。
この時期まで生き延びたのは、初めの生だけだから、
⑴リルとの仲は親密でフランカを疎んでいる
⑵都合のいい平等主義の俺様の阿呆である
⑶学業をおろそかにしている怠け者で、王宮での評判は悪い
……これ以上数えまい。めまいがしてきた。
(やり直しというより、尻拭いだな)
自分の歪みと周囲の者の歪み、更には国の歪みを正す任務が私にはある。……自分だけでも結構やっかいだと、途方にくれる。
いやいや、悲観してどうする。
もう少し視野を広げて、情勢を整理しよう。
1度目。断罪のあの人生で、私を糾弾したのは兄だった。
兄が民衆党を探り危険分子として一掃したのは確実だ。兄は誰と組んで?エミリオ公爵は無論、だろう。他には……兄を擁立したい貴族。
(エミリオ閣下が兄と手を取ったのは、娘の婿としての私を見切ったからかな)
さて、兄とエミリオとその他の貴族。どう接するか。どう懐柔するか。
第2の人生では、王宮に民衆党の手のものが入り込んでいる事実を掴んだ。3度目でも私を斬ったのは近衛だ。思ったより向こうの人間が多い。諜報によって王宮内部がガラス張りになっている可能性が高い。
(結構、役職の高い人間がいるんじゃないかな。そうでないと、実働の部下を泳がせられない)
……どうやって炙り出すか。
私は学生で未成年。
私の荒唐無稽な話を信頼し、動いてくれる人は誰か。
そして、ロゼッタ。
前世でリルに脅された可哀想なロゼッタ。
あのそばかすの笑顔と、1度目の時の世話焼きな苦笑いがずっと脳裏に張り付いている。
3度目のおかげで、リルの呪い(失礼かな)は溶けた。洗脳、というべきかな。
その反動なのか、餌食になったロゼッタを今世では幸せにするぞ!という気負いは強い。
(待て待て。早計に動いたから2回目失敗したんだ。焦るなジェイ)
さて、朝食の準備が整ったようだ。
ジェイ・マール・エラント、出陣だ。
「あらお珍しい。朝からきちんといるじゃない」
朝の挨拶もせずにロゼッタが声をかけてくる。
プラチナブロンドの髪を後ろで束ね、大きなウエーブを垂らしているロゼッタは、ちゃんと18歳の女らしさを纏っている。ソバカスは消えてしまって、シミひとつない。
10人に美人かと問えば、7人が好みだ、と言うだろう。美人ではないが好ましい。人の良さがにじみ出る笑顔だ。
「今学期は忙しいからね。御機嫌ようフランカ。君もこの講座をとるんだね」
ロゼッタに返答して、その後ろにいるフランカに気がついたので挨拶した。
周りがザワッとする。
(この頃私はフランカを無視し続けていたからな)
ということは、今世はやはりリルに入れ込んでいるってことか……クソっ。
「御機嫌よう殿下。いよいよ最後の学期ですわね。殿下とご一緒で心強いですわ」
フランカは満点の返しをするが、本心はどうなのかは分からない。
18のフランカも可愛い。
ちょっと見には、つん、とした気位の高さが見受けられるだろうが、3度目で見つけた彼女の可愛らしさは健在だ。しかも、体つきも顔つきも、15の時より成熟して、見事な美人である。
その完璧な美しさと可愛いらしさのミスマッチに、4度目の私は
ころっ
と陥落していた。
「こちらこそ。今期は一新して、十二分に学ぶつもりだ。才女の誉高い君に援助求めることもあると思うが宜しく頼む」
そう私が言うと、周囲のザワッ、が
ガヤガヤになった。
……ふん。手のひら返しの自覚はあるぞ。
「……ジェイ、お熱でも」
「ない!とにかく座れロゼッタ!
……フランカ、貴女も」
その時のフランカに、2度目に射抜かれた。
フランカは柔らかな春の陽光と同じ微笑みを私に向けていたから。
この一日を思う通りに過ごしてみると、いかに自分が怠けていたかを思い知らされる。
学業は勿論だが(家庭教師を雇うぞ)身体がなまくらだ。前世の中等部上がりより酷い。筋肉はそれなりに発達し背も高い。けれど得手勝手流で、剣術も棒術も体術も、酷い癖がついていた。
そして
「ジェイ!貴方と講義が全然被らないって、どういう事かしらねえ!」
……リル・アボットだ。
周囲の目が冷たい。
王子を呼び捨て。しかもファーストネームだもんな。
1度目の私が蘇る。
リルのほの赤いブロンドを指に絡めた。
リルのサンドイッチを頬張った。
木登りして降り損ねたリルを抱いて下ろした。
二人で一つの本を読んだ。
美しい大きな瞳。肉感的な身体。蜂の様な腰。そして、無垢な笑顔。
(こらこらジェイ!)
思い出せ。前世のロゼッタの泣き顔を。リル・アボットはロゼッタに近づいて脅した悪魔だぞ!
そして民衆党の聖母。
王制を倒す、エラントの敵の一人。
「……何を考えてるの?」
「ごめん。ちょっと疲れていて」
まあ、風邪かしら、とリルが額に手を伸ばしてきた。
思わずその手をパシッ、と払った。
「……ジェイ?」
「熱は、ない」
リルは払われた手の甲を撫でて、大きな瞳を哀しそうに潤ませた。
堕ちるなジェイ!
「……今学期、私は学業と帝王学に忙しくなる。もう、子供では居られないんだよ、リル」
「私を棄てるの?
私とご一緒していたのは、子供だったから?大人は、身分を大事にお立場尊重って事?」
リルの頬に美しい水滴が落ちる。
私は懸命に、前世の蒼白なロゼッタを思い浮かべて耐えた。
「……どんな人も手を取り合うのが平和への一歩。階級を捨て、万民の幸福を望むために、まずは旧態の諸悪を断つ。それが私たちの成すべき事よ、ジェイ。そして……私たちは幸せになるの」
貴方はできるわ、貴方こそができることだわ
そんな呪文は甘露だったな……
「リル。君から教わった思想を否定はしない。私も共感している。
でも、全てではない。
そして、未だ私は全貌が見えていない。
だから、私は先ず自身を高め、知識を肥やす事からはじめたいんだ」
「だったら!」
リルは叫んだ。
しまったな。こんな場所では放課後とはいえ、人目がないわけでもないのに。
「今までの私たちでどうしていけないの?」
そう言ってリルは顔を伏せて泣いた。完全に恋人同士の愁嘆場だ。
待て待て。1度目だって、本当に『親密』になったのは、3年の初夏だった。まだ、手を繋ぐ程度しか進展してないはず。前の生の記憶に振り回されるな!
「……それは私が王太子候補だからだよ。リルを尊重すれば、王太子への道は遠のく。それは私のこれ迄を全否定する事になる。君は王子であろうとなかろうと、ジェイとして好きだと言ってくれたね。
でも、私はジェイそのものとして生きる術をまだ持っていない。だから、まずは力を持ちたい。その為には、自分を律し精進する事だと理解したんだ」
「王太子になりたいから男爵家の私を棄てるの?王太子なら周りを黙らせて私と相愛になっても可笑しくないでしょう?……王子なんだから!」
「リル。おかしなことを。家柄に囚われない生き方がしたいと言ったのは君じゃないか。位を傘にきて、欲望を満たすなんて最低だと、言ったじゃないか。
私は今、王子としての研鑽を積みたいと言った。
それに対して、王子の権限を使って自分を守れ、と、キミは言う」
そんな詭弁!と、リルは悲鳴に近い声で喚く。
「愛し合ったでしょ?私たちは!」
「……手を取った。髪を撫ぜた。近くに居た。
でも、そこまでの筈だよ。
恋人というには稚いお付き合いだったね。君の話はとても有意義だったけれど、甘い語らいではなかったと記憶している」
「訴えるわ!学長や先生に」
「権力を否定する者が権力を利用するなんて……おかしいよね。それに、私が君を棄てるって?違うだろ?成すべき事が多すぎて、君と語らう時間が減る、と言っている。
それから、王子に相応しい態度が求められるから、君と二人だけ、とあう会い方はできない。スキンシップも同様。王子としてなら、君が私に触れるのは、了解をとらないとできない。貞淑さを求められるのは淑女だけではないんだよ」
そこまで言うと、リルは既に泣き止んで私の長饒舌に聞き入った。こんな私、リルは初めてだったろうな。
「私とは、会わないわけでは、ないって、言う事?」
「そうだね。君からしか学べない事もあるから、今まで通りの友人でいて欲しい。それ以上の付き合いは、……ごめん、この立場では、できない」
完全に切るなよジェイ。
民衆党の内部を探るには、リルとの糸は繋いでおけ。かわりに、細く。
「……分かったわ。貴方を愛しているけれど、今の貴方では私を愛する事は出来ないのね……もっと強い力を持てば、私の貴方になって下さるのね」
ううん、どこをどう切り取るとそうなるのか分からないが、リルは取り敢えず待つ女になるらしい。
それも、怖いけど。
「ご理解ありがとう。今まで思わせぶりに君に甘えた私に非がある。すまなかった」
「いいの。頑張って、ね」
うわあ。
ハートが押し寄せてくる。
豊満な胸の丸み!手を組み上目遣いの威力!
「では、御機嫌よう」
あの魅力によく1度目の私は初夏まで陥落しなかったもんだ。
そこだけ、褒めるぞジェイ。
ブックマークありがとうございます。




