11 新たな悲劇
今日は東宮会議の聴講。
成人している兄ディランは既に末席にいる。エミリオ公爵が父の脇に位置し、議長、大臣、枢密顧問官らが円座に座った。
私は未成年の王族と言うことで、末席の兄の更に後ろ、議場が見渡せる場所に席を設けられた。
兄は新入りとは思えない落ち着きぶりで、近くの大臣達と短いやり取りをしている。
議題は隣国との流通の展望と治安問題らしい。官吏からのメモを手繰りながら外務が説明したり、エミリオ閣下が総括したりしている。
提案はまるきりエミリオ閣下への説得のように聞こえる。父は黙って聞き入り、誰がどう答えるか訊ねるか、を待っているようだ。
成程。この二人って……。
前前世の知識だと、不満分子達は、エミリオ公爵が王宮を牛耳っていると思ってるんだよな。まあ、ちょっと見には、そう見えるし、思い込んでいる貴族は多いだろう。
で、今の私には、違う角度で見えてくる。実は……。
閉会。
「どうだった?参考になったかい?」
ふう。と息をして腕を伸ばした私に、苦笑しながら兄が声をかけてきた。
「ええ。議論より会自体が興味深くて、つい見入ってしまいました」
「ははっ。初めてはそうだよね……後で議事録の写しを回してあげる。今日の提案は大事な国策だから、承知しておいた方がいいですよ」
素直に応えた私に、兄は快活に笑って、気を回してくれた。
現世は、兄とも良好だ、と、思う。
周りじゅうから、高等部に上がって人が変わったようだと噂される私だが、生まれ変わっているんだから当然だよ。生徒総会以来、手のひら返しで
「流石賢王のお孫さん」
「あの聡明な妃殿下に似ておいでる」
と、持ち上げられて、何をしても言っても、良いように受け取られるのだから面白いものだ。
まあ、自分も謙虚に、丁寧に、考え日々を過ごしてきた。
やり直し人生3回目。前回みたいに速攻で死にたくはない。悲惨な未来を産む元になりたくもない。
大丈夫。
前回の3年前に当たる母の生誕祭はつつがなく通り過ぎた。フランカをエスコートして席に着かせたり、伯父と学院の話をしたりする私に、母はすこぶる上機嫌だった。
まだリルに手紙なんか出してないし、そもそも付き合いがない。
だから女官が毒を仕込むこともなかった。当たり前だけど、料理は美味しくフランカは美しく、いい気分だった。
3年後もこうありたい。私は一段落して肩の力を抜いた。今のところ、〈小さな選択〉を間違えているとは感じていない。
そんな時に起きた……先週の出来事は悩ましい。
先週。
放課後、ロゼッタの随行が私を探し回って鍛錬室に駆け込んできた。その子(学生だからね)は、ロゼッタがリルと二人きりで密談している、と訴えた。
やはり今世のリルは、私ではなくロゼッタを取り込みたいらしい。私は急ぎ一年教室に向かった。
既に日は暮れて、空は濃紺に染まり、緑光が校舎の地面すれすれに太陽の名残を残していた。
(……ジェイ)
教室には、戸口の警護とロゼッタしか居なかった。最悪ではない状態に安堵した。
(リル・アボットに、何かされたのか?)
(危害は無いわ。ありがとう、来てくれて)
何があったのか、説明を待った。
けれど、彼女は詳しくは言わなかった。蒼白な顔色は、何もなかったなんて示してはいない。
(ジェイ。アボットには、絶対近づかないで……フランカを守って)
そう言って、わあっ、とロゼッタは泣き出した。小さな頃に、両親を亡くした時のように、わんわんと泣きじゃくる。
フランカ、許せ。
私は正面からロゼッタを抱いて、その姿を覆った。鍛錬中で、伸縮性のある服は汗が染み込んで、男臭いだろうに、ロゼッタはしがみついてきた。
……今世のリルは、どんな奴なんだ?ロゼッタに何をしたんだ?
翌日のロゼッタは、
(ごめんなさい。混乱していたの……恥ずかしいから、フランカやお父様には言わないで)
と、実際顔を赤くして、ひそ、と言った。
いつものロゼッタだ。
ロゼッタはけっして美人ではない。
でも、銀に近い金髪はきちんと手入れされているし、家格に相応しい品がある。
何時でも私に味方してくれる義従姉妹だ。いや、妹以上に好ましい。
今が、そうだ。
「娘も進講に来ているそうだね。今日は茶をご一緒したいが、どうです?」
まだ椅子から離れずに他の事を考えている私に、エミリオ閣下が声をかけてきた。バルトーク伯父もご一緒だ。
珍しい。
「ロゼッタが来たらしいんだ。今度デビューするから、その報告を母上にすると言って」
私も妃に報告があってね、と閣下は続けた。ということは、アフタヌーンティーは、王妃の北宮で、か。
「喜んで。フランカと二人きりでないのが少し残念ですが」
私の軽口に、エミリオ閣下は、
おおーバルトーク殿!婚約なんぞさせるものではないですぞ!
などとノッて伯父をバンバン叩いた。
王妃……祖母は、昔気質の人だ。豪傑の祖父に仕え、奥を仕切り、立派に子を産み育て……かくあらねば、という自分の意見を決して曲げない。声高に言わずとも、黙して実行する方だから、流石の母も、姑たる祖母は苦手なようだった。齢70を過ぎて少し痩せたが、益々芯の強さが際立つようになった。
「王妃殿下、ご機嫌麗しゅう」
広間の上座には、ゆったりとしたティーガウンの祖母と祖母の足元に跪いて祖母の膝にもたれるロゼッタがいた。
「ジェイ。お前のことをロゼッタと話していたんだよ。一皮剥けたらしいね」
ロゼッタは、少しやつれた顔をそれでも染めて恥じらった。しかし、
私の後ろから現れ礼をとっている自分の義父と、エミリオ閣下を見て、目を見開き強ばった。
「おと……さま、か、かっ…か」
ロゼッタは明らかに狼狽している。
「ロゼッタどうした?私たちの後ろに亡霊でもいるみたいに」
伯父は軽口だが、表情は少し固い。娘がいつもと違う事に疑念を持っている。
「亡霊ではないが、王妃殿下にはあまり良くない話を持って参ったのは事実ですがね」
エミリオ閣下が少し眉をひそめて言うと、ロゼッタは、ひ、と短く悲鳴を漏らして、両手で口元を覆った。
……ロゼッタ?
「妃殿下の里の……」
そこまで閣下が言った時、ロゼッタがバネのように跳ねて、
エミリオ閣下の懐に体ごと飛びついた。全身を預けて、エミリオ閣下は、ぐっ、と呻いてロゼッタごと後ろにもんどり打った。
沈黙が鼓膜を奪った後で
「ロ!「ああ!「ひいいいっ」」」
と、言葉とも悲鳴とも分からない異様な声が沸き立った。
エミリオ閣下の腹から鮮血が溢れ、両手にそれを生み出したであろう短剣を握ったロゼッタが、へたん、と床に座っていた。
……。
気がつくと、私は骨ばった男の手に引っ張られて走っておりました。
頭から上着を被った私の肩を抱いて急ぐのは、
「ジェイ」
「黙って……こっちに」
ジェイの、森の匂いが香ります。あの放課後と同じ匂い。そして、
ぬる、とした感触に私はジェイに身を寄せながら、掌を見ました。
血。私のものではない、血……
あ、
あああっ!
「今は我慢して!この扉の奥だ!」
私の悲鳴を身体で押さえて、ジェイは私の体ごと前に押し込みました。
ガチリ
と錠が下りる音と共に、一瞬暗闇となったそこは、やがて高い天井に、ぽう、と薄い灯りがともりました。
ここは?
「王家の隠し通路の一つ。これは北宮から砲台に向かう通路かな。王族だけが知っている……あの場では、お祖母様と私だけ」
あの場……
あの場!
ひ、ひいいいっ!
「ロゼッタ!ロゼッタ!息をして……吐くんだ、そう、そう」
私の顔はエミリオ閣下の血と自分の涙で、酷い事になっているでしょう。意識をとばせたら、どんなに楽でしょう。
ふ、と、目の前が暗くなりジェイの森の香りが強くなりました。
ジェイが私を抱いているのです。
あの、教室のように。
私を地獄に落とした教室のように。
「何が君をこんなにした?ロゼッタ……可哀想に…話してくれるか?」
どうしてジェイはここまで優しいの?(私の婚約者でもないくせに!)
どうして私を逃がそうとするの?(妹でもないくせに!)
どうして私を見捨てないの?(私を好きで無いはずなのに……)
私は全てを打ち明ける事にしました。何もかも手放したい。空っぽになってしまいたい。
「……話すわ……」
私はジェイのハンケチで涙と血を拭いました。
白いメイプルリーフの刺繍が朱より黒く染まりました。
「私、偽物なの」
この回続きます




