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10 放課後の密談

その日を境に、ジェイの評価は、それまでと真逆になりました。


流石あの王太子妃のお子様

だとか、

父君の和を重視なさるご判断に似て

とか。

人というのは勝手なものです。


(で、も。格好良かったわ)

モヤモヤとリルの主張に反駁できず黙っていた私には、ジェイの、

『相手の考え方や立場を尊重して』

というシンプルなまとめ方は、胸がすく思いでした。


「ねえ、ロゼッタ様」

リルが、むう、と頬を腫らしてやってきました。今日も私のお友達が、黙って私から離れます。

『お友達』は、いずれ劣らぬ高位貴族の令嬢。しかも、中等部卒業後、花嫁修業として家に入る令嬢と違って、学業を修め未来の夫を支えたいと思う『意識高い』方々ばかりです。

言わば、保守的だけれど、女性のしがらみを超えたい、まあ、デボラ妃殿下の親派とでも形容すると通りがいいでしょうか。


だから、いずれ劣らぬ芯の強さをお持ちで、初めの頃は、リルに対して論戦を張っていたのですが、怯まないリルが

「そんなの可笑しいわ」

の一言で片付け、さらには、

「また虐めてるのか?」

「複数で独りに、なんて淑女のする事じゃない」

などと言う男子達に悪くされるものですから、友達は、リルを無視する事にしたのです。

私にも、関わらない方がお家のためでは?と、半分憤慨、半分心配、で忠告なさるのですが、私には私の都合があってリルとの関わりを絶たずにいるのです。


「ジェイ様は、別に私を論破した訳では無いのに、論戦に負けた小賢しい平等主義者、なんて上級生に言われたの!あんまりだわ」

リルは、離れていく友人達が、初めから居なかったかのように振る舞います。

「……彼は生徒会役員として、貴女の意向を尊重したと思うわ」

「そうよね!やっぱりロゼッタ様は、一味違うわ!」

リルはくるくると表情を変えて、私の腕をとり、授業に参りましょ!と歩みを進めました。


リル・アボットは、新しい風でした。格式としきたり、そんな物が何になる、と声を上げ、平民の級友だけでなく、貴族の子息達も、リルに惹かれていました。


ジェイもちょっと前まではそうだったのですが、男の子って、少し社会に背く態度が格好いいと思うふしがあります。自分を過信して、自分が認められなかったり不遇だったりするのは、社会の仕組みのせい、自分は特別な存在、そんな夢をみるものらしいのです。


リルに真正面から

(あなたはあなたでいいのよ!

あなたにしか出来ない事が必ずあるわ!)

などと言われて、ころっとまいらない男がどこにいるでしょう。


女子もまた、そのようなモヤモヤを抱えている方がいらっしゃって、リルの思想は、みるみるうちに浸透したのです。

でも、先程の友人達のように、それを是とすれば積み上げてきた自分の立ち位置が崩れてしまう人もいます。

自ずと、教室は、学院は、リルを理解する派と黙殺する派に分断しました。

私のように、双方にいい顔している者は少なく、私は公爵家、しかも王の義孫ということから、誰も私を批判する方はおりませんでした。


いいえ、本当は、リルなんて……。


「……ロゼッタ様、この後お時間あります?」

ぼんやりしていた私にリルの声が聞こえました。

「ごめんなさい、何かしら」

気がつけば授業が終わって、周りの方も席を立ち教室を去ろうとしています。


「お話があります。出来れば二人だけで」

心臓が跳ねました。

「……いつも、教室で、二人でお話しているじゃない」

そうなのです。私のお友達はおろか、リルのお取り巻きも、リルが私に近づくと敬遠するのです。おそれおおい、とかで。

私はどうやら、リルの話のわかる、でも気位の高い王族様、というふうに見られているのです。


(ここではいやなの。誰が聞いているか分からないでしょう?)

ひそ、と、囁く桜貝の唇に、私は悪寒を感じました。なのにぴりぴりと肌がひりつきます。

危険信号。


「困りますわ。リル様」

私は敢えて敬称を付けました。

「私は常に警護に守られた身です。同性であっても、それは無理です」


リルはちょっと困った表情をしましたが、そうね、王子と同じで、ロゼッタ様は身を護る義務がおありなのよね、と、呟きました。

「誤解なさったのなら、ごめんなさい。では、皆さんが捌けるまでここでお待ちになってね」

リルは、どうしても、私に話がしたいのです。

仕方なく、私は警護に教室の外で人払いして欲しい事、もう一人の女性警護(学生として居てくれています)に、殿下に言伝てするように指示しました。


多分リルの親派も、廊下で張っているでしょう。父の調査がもう少し進めば、私はこの申し出を頑然と断っていたはずなのですが。


不自然なまでに人が掃けて、夕日が差す教室に、私とリルは二人だけとなりました。私は戸口にたつ私の警護のシルエットに、ほっとしながら窓の外を見遣りました。


橙色の日差しは、随分と柔らかくなりました。転生者がもたらした科学技術のおかげで、電気機械の発達は目覚しく、文化と科学がいびつに競合しているのが、この大陸の国々です。

それでも、日差しに負けない空調を完備した建物は、貴族や豪商などの富むでは当たり前ですが、庶民の暮らしにはまだまだ珍しいそうです。

汗とは無縁の晩夏は、初めてだとリルは言っておりました。


私は程よい教室で、夕焼けを背に座っていました。



「……れい」

えっ?

「綺麗な髪ね、ロゼッタ様。金色のさざなみのようなうねりに夕日が当たって輝いてる」


そんな事を真顔でリルは呟きました。何なのでしょう。自慢ではありませんが私は容姿を褒められるなんて溺愛のお義父様以外、めったにないのですが。


「綺麗というのは、貴女のような方に相応しいわ。男子達は貴女に夢中じゃない」

「貴女までイヤミな女たちと同じこと言わないで頂戴。……そうね、貴女の美しさは、純潔の美しさ、だわ。何ものにも染まらない美しさ。しかも、無知なのではなく、泥を被っても汚れない、そんな美しさ、ね」

「……」


何が言いたいのだろう。

褒めているわけではない気がしました。


リルは、赤く光る髪をいじって、少し唇をすぼめました。


嫌な気分がしました。

いつものリルではないのです。

真っ直ぐで、志高く、凛とした様子から、突然空気が澱んだ気がしました。なんだかリルが妖婦のように感じられました。


リルは少し腰を屈めて、座っている私の方へ上体を近づけて言いました。

「……貴女、王子が好きなのでしょ」

……!


私は絶句しました。

(幼なじみだから)

そんな言い訳が出来なかったわけではないのに、声が出ませんでした。


ふふ。

リルは嗤って続けました。

「王子は中々の人物とお見受けしたし、ロゼッタ様のような公平で公正な方に相応しい。私、応援したいの」

「無礼な!」

私は叫びました。そして、

「お願いリル嬢。そんな不敬な事言わないで!」

誰かに聞かれたら知られたらリルも私も首が飛びます。


そんな事を思ってもいないのでしょう。リルはキョトンとして、それから微笑みました。

無邪気に。

私は吐き気を催しました。

その無邪気な微笑みに酷悪を感じたのです。

「お馬鹿さん。ロゼッタ様は、王の義孫よ?王子の従姉妹でしょ?婚約者のフランカ・エミリオより、ずっと相応しいじゃない」

「やめ、て、リル……フランカに敬称をつけて……ジェイもフランカも、貴女が気軽に口にしていい方々ではないわ」


クスクスクス。


「じゃあ、どうして、わたしみたいな下っ端の貴族の女と、初対面から付き合いを許したの?」

「そ、れは」

「貴女お調べになったのでしょ?私の素性……何かお分かりになった?」

吐き気は更に強くなりましたが、ここで怯んでしまっては、今までが水の泡です。


お義父様にご迷惑をかけられない。

私を利用しお義父様を利用せんとする輩の真意を掴まなければ。


「わ、私は、王族といっても、本当は両親も財産も失った孤児だったわ……貴女の事は、それは、男爵の嫡子としか……貴女だって、私に近づく前にお調べになったのでしょう……だから私、貴女のような方が新鮮に感じましたの。それはお伝えしてるでしょう?」

リルは心の中を見透かすように蒼白な私の顔を睨みつけました。


程なく、

「そうでした。貴女は謀ることを知らない、出来ない方でした……怖かった?ごめんなさい」


そう言って、私の正面に座りました。少し後ろに反る私に

「……私、ロゼッタ様が大好き。貴女に何か悪い風に思われたのではないかと、あの生徒総会以降、不安でした。ロゼッタ様のような思慮深く高潔な方に嫌われるなんて、私、そんな事になったら自分が許せませんもの」

と、柔らかな声で、少し涙ぐんだ様子で言いました。

(今度は懐柔。まだ私を手離したくない、ということね)


私は少し表情を作って、その流れに乗りました。

「ありがとう。貴女の好意と先程の無礼は許します。でもね、リル様。フランカを悪くしてはいけないわ」

「貴女知らないからよ」

リルはいよいよの核心を告げました。


「エミリオ公爵は不正をはたらいているわ。フランカはそんな汚れた金で贅沢を享受している偽物の淑女なの」



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