8 生徒会室 リルの素性
おかしい。
高等部はそれぞれの単位取得の仕方で時間割が異なる。それでも、こんなにリルと見える機会がないなんて。
言い出した以上、進講は受けなくてはならない。博士達の都合もあるから、学院に行けない時間も出てきた。登校すれば授業が埋まっているし、空いた時間は生徒会。
それでも、学友と昼食を食べに、食堂にも顔を出している。
前世では、こんな時期には、リルと中庭で食べたり、リルが生徒会室に差し入れをしたり、親しくなっていたがな……。
全く会わない訳でもなく、遠巻きにその姿を確認していたある日、ロゼッタと一緒にやって来て、紹介を受けた。
白々しく
「初めまして」
と挨拶した時は、早鐘のように心臓が鳴った。当のリルは、
「リル・アボットです。
以後、お見知り置き下さいませ」
と、済ました挨拶をした。
他人行儀だと思ったが、今世ではまだ他人そのものなんだと切り替えた。が、我知らず苦笑していたらしい。
「リル・アボット」
そんな場面を思い出していたものだから、唐突なロゼッタの声に驚いた。がばっ、と、顔を上げて義従姉妹を見つめた、らしい。
「ほら、やっぱり。ジェイの好みよね、あの子」
瞬時に周りを視野に入れたが、良かった、生徒会室か。ロゼッタ以外は私の従者独り。
「何の話だ?」
コホン、と咳払いして睨むと、ロゼッタは、むう、とむくれた。
「にやけてましたわ。変な微笑。照れてたんでしょ?」
こいつは淑女になる気があるのかな。手をブンブン回して、いつまでも子供っぽい。
けれど、鋭い。
ロゼッタ程、前にした人の内面を的確に読む人物は、私の周りにいない。(彼女の苦労がそうさせたのだろうが)
「あの子はダメよ、ジェイ王子殿下」
そのロゼッタが真顔になった。
「学生時代の遊びでも、ダメ」
前世がさっと、脳裏を走る。
「……あんな純朴な子に、ちょっかいなんか出さないよ」
そう。
今世は。
「本気もダメ」
さらにロゼッタは睨みつけてくる。
どうしたんだ。
前世がやましさ満点の私は焦る。
今世のロゼッタは何を掴んでいるんだ?
「……貴方に紹介したのは、私が彼女を友人だと思ってるかどうかの踏み絵だったの……本当はお目通しなんてしたくなかったわ。でも、まだあの子には、私は害はないと思わせていたいの」
「……ここで話していい内容か?」
私は従者にさっと一瞥した。すると従者は黙って扉の向こうに去った。
多分戸口で人払いをしてくれるのだろう。
生徒会室の革張りのソファに移動する。向き合って座ると、ロゼッタが唇を固くして、何か溢れる言葉をやっと飲み込んでいるかのように酸い顔をした。
「で?引き合わせたくない子をどうして合わせたのかな?」
私はそんな義従姉妹に穏やかに訊ねた。
「……私だけでは手に余ると思ったの。私、お義父様に依頼して調べて頂いたわ」
「何だって!調べるって、君、何をした?何を知ってる?」
まさか、もう、民衆党の……!
私の硬い声に、ロゼッタの目にみるみる涙が溜まる。
うわ、待って待って。
私は慌ててロゼッタの隣に移り、ハンケチを差し出して、頭をよしよしした。
「……ゆっくりでいいから、話してくれるかな」
そう宥めると、ロゼッタは私の手をそっと払って頬を染めながら
ジェイ、お兄さんみたいね
と、小さく笑ってから、小声で話し出した。
衝撃だった。
(入学式の日、私の隣に座ったの。そしてお友達ね、と言ったわ。私を貴族階級にとらわれない進歩的な方と言って。まるきり常識を超えた出会いだったの。
だから。お父様にその日のうちに素性を調べて頂くようお願いしたわ。
何の謀なく、私が誰かを知ってて直接近づくなんて、有り得ませんもの。後々、私の名を利用されてはお義父様にも王家にも、ご迷惑がかかるわ)
ごもっとも。
しっかり利用されたよ。
私は心の中で、幾度目かの自虐をした。前世と前前世の自分を踏みつける絵面を浮かべていたのだ。
そうだよな。
田舎の男爵家の娘が、わざわざ王都の高等部に入るなんて、
父親が王都に移ったか
将来への野望を持っているか
良家の子息子女を誑かしたいか……
そして、まんまと誑かされたってわけか……。
いや。リルはそんな子じゃない。
(貴方が今どんな事思ってるか分かるわ。
……彼女はとても魅力的。天性の才ね。見た目もそうなのだけれど、とにかく人に入り込む手管が凄いわ。言葉の組み立ても達者。狙わずとも相手を掌中に入れてしまうの。
そんな子なのよ)
「……別に私は彼女に思うところなどないよ。教室もカリキュラムも違うのだから、接点もないし。今日が初めての会話だし」
第一そんな邪推をするのなら、引き合わせなければいいだろう。そう指摘すると
(そうなの。
私も疎遠になりたかったわ。
でね、彼女)
伯父上の調査によると、
南方のグレシャム伯爵領の小さな村を管理しているのがアボット男爵家だそうだ。
アボットの細君は子供に恵まれず、ある日アボットがグレシャム伯爵と共に連れてきたのが、リルだという。御歳12歳。
(アボットが、その、あの、村娘をね……で、その人、村に居られなくなって他の領に逃げたのですって。でも、既に身ごもっていて。跡継ぎがいない男爵が探して探して、見つけた時には、母親は他界してリル独りが下働きしながら宿屋のおかみに育ててもらってたそうよ)
ほう……そうなのか。
リル、苦労したんだな。
(そのおかみというのが、どこかの侯爵家で働いていた人で、庶民とはいえ、そこそこの教養を身につけていたご婦人だそうよ。だから、リルの物腰とか知識とか、庶民にしては上等だったの。加えてあの美貌。グレシャム伯爵の推しもあって、リルは男爵家の庶子に認知どころか、嫡子となったの。
田舎の小さな領とはいえ、行く行く男爵家を継ぐ婿を迎えるのだから、それなりの教養と伝手は欲しい。だから男爵は思い切って、学院に進学させる事にしたんですって。
でも本心は……丁度いい婿を捕まえるか、
若しくは、良家の子息に見初められて実家を支えてもらうか、だろうって、お義父様は仰るの。私、男爵の野心は理解したわ。でも、彼女からそんな野心は感じられなかった)
まあ、そうだろう。
親と同じなら、ロゼッタに近づくより、級友の男子を誑かした方が速い。
(では、あの子の狙いは何?それを確実に判じる方が、今断つより良いと思うの。貴方知らないだろうけれど、あの子の思想が、みるみる広がっているの。……主に男子に、だけどね)
長い説明を一息で話して、ロゼッタは、ふう、と息をついた。
「リル・アボットは玉の輿狙いではない。でも、何らかの使命を担っている。それを私は知りたいの。だから、まだあの子の手は離さない」
「君が危険だ。そんな真似するんじゃない!」
真剣なロゼッタに、真剣に叱った。
今度は泣かなかった。
「リルはね、『公爵様って、王宮の体制に資質重視を唱えていらっしゃるって伺ったわ。家格より人。素晴らしいわ』って、私にわざわざ言ったの。もしも、リルやアボットの狙いがお義父様にあるとしたら……彼女から情報を得る方が大事だと思ったの」
え。
……今世の民衆党は私ではなく、伯父上……バルトークを御旗にするつもりなのか?
「無理だ……君では。そんな危険な真似、私は絶対許さない!」
「だから、あの子の言う通りに、貴方と引き合わせたの」
「えっ」
ロゼッタは、私が渡したハンケチを握りしめ、その指を震わせながら、
「あの子、貴方を籠絡するつもりなんだわ……でも、私は貴方を守りたいの。貴方は嫡子よ。あんな考え方に染まってはいけないわ。だから、私、あの子と貴方が近づいた時に傍にいたいの」
と、告げた。
「私なら」大丈夫だ、と言おうとしたが、そうではない自分をよく知っている。
「……本当は、怖いの。付かず離れず、で、いるつもりよ?幸い生徒会という逃げ道もあるし……だから」
ロゼッタは、改めて私に向き直って、正面から私に告げた。
「私は貴方を守る。でも、私が困った事態になったら、私を」
「守るよ。ロゼッタ。大切な義従姉妹に危険な真似はさせない」
ロゼッタは私の腕に顔を埋めた。
ありがとう。
やっぱり貴方、高等部になってからは、まるでお兄様だわ……
と、脱力した。
今世の私は忙しいぞ、ジェイ。
リルの背景を早く明らかにすること。
ロゼッタを守ること。
フランカの父エミリオ公爵の白黒を判ずること。フランカを守ること。
「何とかするよ」
私は腕の中のロゼッタに告げるともなく、独り言を漏らした。




