33 結実
午後もだいぶん遅くなり、長い一日も間もなく終業時間になろうかという頃、猛烈な勢いで羽ペンを走らせていたユーロの手が止まった。
唯一の窓から見える風景は、わずかに緋色に染まり始めている。
大きく伸びをしたユーロは一通り羊皮紙を見返すと、ようやく羽ペンを置いた。
辺りを見廻せば、事務室の中には室長のランテルノと、会計官のクルベノと、法務担当のユーロの三人きりしかいない。ミリティストは大事な情報が届いたと知らせを受けて外出し、コンタードとノヴロも盗賊ギルドへ出かけている。
「室長、できました。起案しますさかい、あとで決済をお願いします」
ユーロが声をかけると、同じく書類を片付けていたランテルノが顔を上げる。これだけ集中して仕事を片付けるランテルノの姿を見るのは貴重だと、心の中でユーロは呟く。
とはいえ、普段は緩いが、時々スイッチが入るとひたすら仕事に没頭する姿があるのは知っていた。もっとも、これは内勤の多いユーロとクルベノだけで、交渉ごとなどで外出の多い他の職員は気づいていないかも知れない。
「お疲れさまです、ユーロさん。こっちも報告が来てますよ」
ランテルノはそう言うと、一枚の藁紙を取り上げて、ひらひらと振った。それから指で挟んで投げると、紙は真っ直ぐとユーロの手元へ飛んだ。
ユーロは、なかなか難しいことを器用にやってのけるものだと、感心しながら飛んできた紙に手を伸ばす。
「ああ、これは……よかったですね」
「ええ、ユーロさんとかました甲斐がありましたね」
ランテルノが愉快そうに笑う。
ユーロが走り読みした藁紙には、自治体連合会と冒険者ギルドから、要望書が提出された旨の記載があった。先日二人で乗り込み、狩猟権の交渉に行った、あの案件である。
「とりあえず、こちらの要望は通りましたが……どないします?」
「そうですねえ……」
ランテルノは手元の書類の束を脇によけてバサリと積み上げると、机の上のカップに手を伸ばしながら、椅子の背もたれに、倒れるようにもたれ掛かった。
「さっきも話をした投資の件ですけど、投資先には工房がありますから、魔物の素材を使った武器防具の開発を頼んでみましょう」
「できるんですか?」
「やってもらうんですよ?」
ランテルノはさも当然のように言った。ユーロは驚くどころか、呆れたように肩を竦めた。
「それでお店が上手くいけば、うちへ帰ってくるお金も大きいですからね」
ランテルノに悪びれた様子はない。
「あとは食堂にも手を回してみましょう。クルベノ君?」
「……もう見繕ってあります……」
間髪入れずに……というには勢いはないが、クルベノが答えた。
「さすがだねえ」
「けど室長はん、こんなに稼いでどないしますねん?」
「なんとなくなんだけれどね、この先に一度はお金にものを言わせなけりゃいけないこともある気がするんですよ。だから切り札として……ね。個人の収入でもない、国のお金だから課税対象でもないし、あって困るものじゃないじゃない」
「そら、そうですけど……失敗とかは考えないんですか?」
「クルベノ君を異動で取れた時点で成功だもの」
ユーロは呆れすぎて、倒れてしまいそうな顔を見せた。
「金融のことはあんまり詳しくないですけど、クルベノさんってそんなにすごいんですか?」
「そう思うよ?まず、投資っていう発想自体がまだ定着してないんだけれど、それを政府で始めたのが、昔、財務局政策課にいた彼女たち数名。クルベノ君は会計課に異動になったけど、それも会計方式の開発のためだし、彼女はなかなかの逸材なんだよ」
「……ポーカーフェイスもすごいですな」
ユーロが言うと、褒めそやされても、表情一つ変えないクルベノがぼそりと呟やいた。
「……表情に出たら、勝負に負けますから……」
「……勝負師なんや……」
「そうだよ?彼女、逸材でしょ」
「いや、ほんまに納得しましたわ」
ユーロが絶句したところでチャイムが鳴った。
終業時間である。
「いや、今日は少し働き過ぎました。とりあえず、今日は超勤はいいですよ。さっきの法制案は、明日詰めましょう」
ランテルノはそう言うと、二人をうながし立ち上がる。
「お疲れさま。気をつけて帰りましょうね。帰るまでが仕事ですよ」
室長らしい発言かは怪しいところだが、ひとまず魔王対策室別室の少し長い一日が終わった。




