29 保護
ミリティストは事務室の扉の前に立つと、そっとドアノブを回して扉を静かに動かした。
細く開かれた扉の隙間から中の様子を伺う。
いつも通りの事務室の風景が目に映った。
机に向かうクルベノの後ろ姿と、その隣の席に座るユーロの丸まった背中が見える。その向こうには、間もなく正午を指そうとする時計が掛かっていた。
コンタードは遅れて帰るからいない。ミリティストの背後にはにこにことしながら息を殺すノヴロがいる。後は中にはランテルノがいるはずだが、姿が見えない。
狭い風景の中で視線を動かして探すが、事務机にも、いつものソファにもランテルノの姿はなかった。
出かけているのだろうか?
であれば、今のうちに言い訳を考えるチャンスかも知れない。
ミリティストがそう考えて扉を静かに戻そうとした瞬間、突然、持っていたドアノブが内側に引っ張られた。油断していたミリティストは、まるで腕を引っ張られたように部屋の中に引き込まれてつんのめる。
「おかえり。かくれんぼでもしてるのかなあ?」
持ち前の身体能力で、なんとか持ちこたえたミリティストの視界いっぱいに、ランテルノのとぼけた顔が入り込む。
「きゃー!」
突然のことに驚いたミリティストが、甲高い悲鳴を上げた。
ランテルノが、内側のノブに手をかけて引っ張ったのだった。ちょうど扉のすぐ反対側にいたらしい。
悲鳴を聞いたユーロとクルベノも、驚いて振り返っていた。
「いやだなあ。僕の顔見て悲鳴を上げるなんて、傷つくよ?」
「室長のアップは身体に悪いんです」
「……ミリティストさん、それ酷いですよ?」
ついつい、本音の一部を漏らしたミリティストを、珍しくノヴロが嗜めた。ランテルノは眉をひそめて頬を膨らます。
「ほんとに傷つくなあ……」
ランテルノは立ち上がり、ぶつぶつ言いながら応接セットのソファに腰を下ろした。ちょうど入口側に背中を向けた格好になる。
「た、ただいま帰りました」
「はい、おかえりなさい」
「おかえりなさい」
ランテルノに続いて、ユーロとクルベノも異口同音に声をかける。
「それで、どうだった?上手くいったかな?」
ランテルノはちらりと顔だけ振り返り、入口の方を見てから言った。
「……なんか、聞かなきゃいけない報告があるのかな?」
ミリティストはため息をつくと、部屋の中に入った。後ろからノヴロが続き、そして、若い男女が続いた。
「まあ、座りなよ」
ランテルノはいつもの様子に戻って言った。特段、不機嫌というわけでもなく、少し楽しげですらある。
ノヴロは真っ直ぐに自分の席に向かい、ミリティストと二人の連れがランテルノの正面のソファに座る。
もちろん、後ろの二人はアーマとスサである。
王都まで連れてきたのだが、報告の時に説明がしやすいのと、ランテルノに二人の身の振り方を相談した方がよいのかと、悩みながらもミリテイストの判断で連れてきたのである。
「心配しなくていいよ。さっきコンタード君から、伝書便で報告が届いてるから。大まかには聞いてるよ」
ランテルノは、テーブルの上のカップに口を付けてから言った。
その様子を見て、ノヴロが旅装のまま茶箪笥からカップを取り出してカフォを入れ始める。
伝書便とは、簡単に言えば鳥を使った遣り取りである。都市間であらかじめ用意されている鳥や動物に手紙や書類を括り付けて送るのだ。鳥を使う事が一番多く、ホーンという種類の鳥が一番メジャーだろう。
どうやら、ストノ商会に戻ったコンタードが、気を利かして送ってくれたらしかった。
ミリティストはホッとしたように肩を落とすと、改めてかいつまんだ報告を始めた。連れられた二人は少し萎縮しているようだったが、最初よりは不安が薄れて落ち着いたらしく、ノヴロが用意したカフォを何度か口に運びながら、ミリティストの話を聞いていた。
「……なるほどねえ。駆け落ちとはロマンティックだなあ」
「室長、あまり茶化すところではないかと」
「おっと、失礼。そうだね。当事者には死活問題だもんねえ」
「……はあ、まあ」
アーマが小さく頷いた。
ランテルノはにこやかな笑顔を浮かべながら、じっとアーマを見つめ、それから視線をスサに移した。
「……室長?」
ミリティストが気づきランテルノを呼ぶ。
「あ、いやいや失礼。美しい色だなあと思って。感心しちゃってた」
ランテルノは頭を一つ振ると穏やかに答えた。
「瞳の色がね、美しいよね」
あけすけに褒めるランテルノに、アーマが赤面する。
「室長、セクハラですよ」
「おっと、いけないねえ、それは……ミリ君とノヴロ君は出張で疲れたろうけど、復命書だけよろしくね。お二人さんは……ひとまずおじさんがお茶をごちそうしてあげよう」
「室長?」
「いいのいいの。お昼だしね。とりあえず二人の身の振り方は少し話を聞いてから考えるから。悪いようにはしないから任せなさい」
ランテルノはそう言うと立ち上がった。
「ここの食堂も美味しいけれど、面会なんかで使う個室のカフェがあるからさ。そこへいこうか。二人ともどうぞ……美味しいよ?」
アーマが戸惑ったようにミリティストの方へ目を向けると、彼女は頷いて見せた。なんだかんだ言っても、上司であるランテルノのことは信用しているらしい。
アーマはそのミリティストの表情を見ると、意を決したように立ち上がった。スサも慌てて立ち上がる。
ランテルノは愉快そうに歩き始めると、真っ直ぐに事務室を出て行った。アーマは小走りにランテルノの後を追い、スサは他の職員に小さく頭を下げると、同じく駆けるように事務室を出て行った。
「大丈夫ですかねえ……」
ノヴロがポツリと呟くと、ミリティストは肩を竦め、代わりにユーロが口を開いた。
「よう事情はわかりませんけど、室長やったらどないかしはりますよ」
「そうね。いつだったか、コンタードが聞いてきたらしいけど、昼行灯って評判らしいんだもの」
ミリティストがそう言うとクルベノが同意して頷き、ノヴロも肩を竦めてみせた。それから四人は仕事に戻ったのだった。




