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あんなに美しい円は見たことがなかった

作者: 野上 健

その先生の得意技は正確な円を描くことだった。


黒板の前に立つと、しばらく板面を見つめ、ポンと点を打ち、それを中心にフリーハンドでスッと美しい円を描いた。

どうやっても真似出来ないボクらはコツを聞き出そうとしたが、先生は微笑を浮かべるばかりで、決して教えてくれることはなかった。


先生の定年退官が判ったのは、有る年の秋のこと。

しかも40年に渡る講師生活の最後の授業がボクらのクラスだった。

誰が始めるともなく、教室の大掃除が始まった。

床、机、教卓はもちろん、窓ガラスや黒板まで徹底して汚れを落とした。

真新しいチョークを用意し、全員襟元を留め、姿勢を正し静粛して待った。


先生は、教室に入るなり周囲を見渡し、少し驚いた表情を見せた。

そして教卓に立つと、静かに、自分の学生時代の話を始めた。

学生時代の楽しさ、その思い出の美しさ、友人の大切さ。実は別の道を志望していたが、様々な事情から適わず、結果的に教職を選んだという、人生の決断の経緯を話してくれた。

ほとんど感情を見せない人で実に淡々とした語り口だった。


話が終わると、先生は黒板に向かい、円を描いた。

そしてこう教えてくれた。

「美しい円を描くコツは、中心を定めたら、思い切り良く一気に描くこと。

 途中で躊躇しては、形がゆがんでしまう。

 いいかい、思い切り描くことが大切なんだよ」


最後に、行き届いた教室の掃除への感謝を口にされ、授業を終えられた。


それ以来、大事な決心が揺らぎそうな場面では、先生が教えてくれた円を描くコツが頭を過ぎる。

いつかボクにも、あんな美しい円を描ける時が来るんだろうか。

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