6:腐敗病(下)
アリスが倒れた。
俺の腐敗病が治り、腐敗した右目を切り落としてから数日後のことであった。
今度はアリスが腐敗病に罹ったのである。
思い当たる原因はひとつしかない。
俺だ。俺が腐敗病を患っていた際、アリスは危険も顧みずに看病してくれた。そのときに、感染してしまったのだろう。
俺のせいだ。俺のせいで、今度はアリスが腐敗病に……。
それから、俺は毎日、アリスの看病をした。
アリスは必ず助かる。そう信じて、腐敗病と戦うアリスの看病を続ける。しかし、ふと、考えてしまう。俺よりも幼く、体力もないアリスが助かるだろうか。考えれば、考えるほど、不安になる。アリスもこんな気持ちだったのだろうか?
苦しむアリスに対して、なにもできないでいる。それが堪らなく悔しく、また、なにもできないでいる自分に対して、不甲斐なくも感じた。
「……お、お兄ちゃん。わたし、がんばるから」
「アリスっ」
「お兄ちゃんだって、がんばったんだもん。わたしも、がんばらなきゃ」
アリスは苦悶の表情を浮かべながら、息も絶え絶えの様子で、そう言い、儚く微笑んだ。
俺は言葉に詰まり、何も言えなかった。
アリスは強い。それに比べて、俺は前世の記憶を保持しているにも関わらず、全く成長していない。俺なんかより、アリスの方がよっぽど強い。そう心の底から思った。
俺にできること、それは信じることだ。アリスが俺のことを信じてくれたように、俺もアリスのことを信じる。
それが俺にできる唯一のことだった。
・・・・・
しかし、現実的な問題として、一日中、アリスの看病をすることはできない。
ぶどうの収穫もしなくてはならない。特に、最近までは俺が、今はアリスが、腐敗病を患っており、ぶどうの収穫は当初の予定よりも大幅に遅れている。もうすぐ、ぶどうの収穫期も過ぎる。それまでに栽培したぶどうを全て収穫しなければならないのに、人手が足りていないのだ。
俺はぶどうを卸すため、街に来た。
周囲の人々が、しきりに俺のことを見て、嫌悪感をあらわにする。
街中で、先日、俺に石を投げてきた男の子のひとりと遭遇した。
「!」
男の子は、俺と目が合い、驚いた様子だったが、すぐに表情を変えた。
「おい、俺に近づくな! 腐敗病がうつるっ!」
男の子は、俺が近づくことを本気で恐れているようだ。
「いいか、2度と俺の目の前に現れるなよ!」
男の子は、そう言い捨てて、走り去って行った。
俺は自身の右目を隠している眼帯に手を触れる。改めて、本当に右目を無くしたことが、実感できた。
・・・・・
卸屋に着いた。
納品の手続きをするため、中に入ると、先日に応対した役人とは違う別の男がいた。
「ん? なんの用だね?」
「え、あ、はいっ。あの、税の納品で来ました」
「ああ、なるほど。えーと、君、自分と村の名前は? あと、納品物はなんだね?」
「はい、えーと……」
俺は男の質問に、素直に答えた。
「ふむ。わかった」
「あのぉ……以前までここにいた男の人はどうしたんですか?」
「ああ、君が言っているのは私の前任者のことだろう。彼なら死んだよ」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「腐敗病に罹ってね。すぐに亡くなったそうだ」
「そ、そうなんですか……」
「ところで、君の村には、政府からの伝令は届いたかね?」
「え? あ、いえ、存じません……」
「ふむ。伝達が行き届いていないようだな。よろしい、口頭でも説明しよう」
そう言って、その男、新しい役人は一枚の書状を広げた。
「先日、政府によって納税の方法が改正されてね。この書状はそれを知らせるために政府より発行されたものだ。いいかね、腐敗病が蔓延した村は、特例として、納品の義務が免除される。これは、腐敗病の伝染が、これ以上拡大しないようにするための配慮だ。今回、持ってきた納品物は自分たちで食べるなり、捨てるなり、好きにしたまえ」
「え、でも、しかし……」
「ああ、もちろん、納品分の税は納めてもらうぞ。納品の代わりに現金を納めてもらう」
そう言って、男は俺の家が納めるべき税金額を提示してきた。
それは、絶対に払えない。そんな確信が持てる途方もな金額であった。
「し、しかし、そんなこと、いきなり言われても、そんな大金、用意できませんっ」
「それこそ、そんなこと、私の知ったことではない。納税は国民の義務だ。なんとか用意したまえ」
「そ、そんな……」
「さあ、理解出来たら、早く出ていきなさい。元腐敗病の者がいたら、私にまで腐敗病がうつる」
言葉遣いは丁寧だが、態度は尊大且つ横柄、典型的なお役人がするお役所仕事であった。まだ、前任者の方が話が通じる。そんな風に思った。
・・・・・
結局、ぶどうを納めることはできないまま、俺は卸屋を追い出された。
「いきなり、税を現金で徴収するなんて言われたって、あるわけねぇだろ! ふざけんな!」
本人の前では言えなかった不満と愚痴をこぼす。もちろん、本人の前で言う勇気はなかった。
「ああ、でも、どうしよう……これで納めることができなかったら脱税の罪で捕らえられるのかなぁ」
広場には閑散としながらも露天商による市場が形成されている。しかし、例え、俺があの市場でぶどうを売ったとしても、ろくに売れないだろう。当たり前といえば、当たり前のことである。眼帯を付けている俺の顔をみれば、察するはずだ。
どうすればいいのか分からない。しかし、このまま帰るわけにはいかない。
は街の広場で途方に暮れていた。
「ジョン」
「……ん?」
後ろから誰かに呼ばれた気がして、振り返った。
「……シンディ」
「!」
シンディは俺の右目を見て、驚いていた。
「ジョン、その目!」
「……あんまり俺に近づかない方がいいよ。うつる危険性がある」
「ジョン、その右目は腐敗病で?」
「……ああ」
「そんな! ああ、なんてこと! どうして、私に教えてくれなかったの! 教えてくれれば」
シンディが声を荒げる。
「シンディ、いいんだ。ありがとう」
「ジョン……ごめんなさい。取り乱しちゃって……」
そう言って、シンディはさらに俺に近づく。
「……近づいたら危ないって。腐敗病が恐くないのか?」
「怖いわよ」
即答だった。
「でも、一度、腐敗病に罹った人からは感染しないって聞いたことがあるの。だから、別にジョンのことも怖くないわ」
「そんな、本当かどうかもわからないのに……」
「大丈夫よ。それに--私は腐敗病になっても、絶対に助かるから」
なぜだかはわからないが、シンディの瞳からは確かな確信に満ちた自信が感じられた。
「ところで、なにか悩みんでいたみたいだけど、どうかしたの? 今日は、アリスは一緒じゃないの?」
「……実は」
俺は一切合切、全てのことをシンディに話した。アリスが腐敗病に罹ったこと、納税の改正により、ぶどうを卸すことができなくなったこと、それら全てのことを、シンディに話した。
「アリスが!? そんな……」
「…………」
黙り込む俺に対して、シンディが俺の右目の眼帯を見る。頭の良いシンディのことだ。すぐに気付いたのだろう。しかし、シンディはなにも言ってこなかった。察したうえで気遣ってくれたのだろう。その気遣いが嬉しかった。
シンディは頭も良くて、優しい。まるで聖女のようだ。俺にとって、シンディは、大切で得難い友達であった。
「ねえ、ジョン。今からアリスのお見舞いに行ってもいい?」