5:腐敗病(中)
腐敗病に完治してからというもの、俺は1人、農具小屋に引きこもっていた。ここ数日の間、一度も外に出ることなく、小屋の中で過ごしている。
今は自分がどうすればいいかはわからないし、なにもしたくない。また、人と会い、今の自分の姿を否定されることが、今の自分の行動を否定されることが、恐い。
俺が小屋の中で蹲っていると、アリスが入ってきた。
「お兄ちゃん、食事、持ってきたよ」
「……ありがとう」
「調子はどう?」
「…………」
俺は無言のまま、俯いた。
そんな俺を見て、アリスは小さく溜息を付いてから俺の隣に腰を下ろした。
「ねえ、お兄ちゃん。やっぱり、切ろうよ」
「…………」
「怖いのはわかるよ。けど、このままじゃあ、一生--」
その先の言葉をアリスは言わなかった。
しかし、アリスの瞳を見ると、アリスがなにを言いたいのかはわかってしまう。
--このままじゃあ、一生、なにもしないままだよ?
「なあ、アリス」
「なに?」
「アリスは俺のこと、怖くないのか?」
「全然怖くないよ。なんで?」
「こんな目でも?」
「うん。だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」
「近くにいたら、アリスも腐敗病に罹るかもしれないんだぞ?」
「……たしかに、それは怖いよ。でもっ」
少し考えてから、アリスは口を開いた。
「お兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんで、家族だもん」
「…………」
俺は無言のまま、アリス話を聞き続けた。
「お兄ちゃんが苦しいならわたしも苦しいし、お兄ちゃんが辛いならわたしも辛い。家族だもん」
「…………」
涙が出そうだった。
「私はお兄ちゃんを助けたいし、お兄ちゃんのことを信じるよ」
「…………」
こんな、気が弱くて、情けない兄のことをアリスは信じてくれている。家族といってくれる。
それが、たまらなく嬉しかった。同時に、アリスは俺のことを信じてくれているのに、何もできないでいる自分が悔しかった。
しばらく、俺とアリスは無言のまま、隣り合っていた。
この世界に来て、わかったことがある。
神はいない。物語のような都合の良い出来事なんて、普通は起こらない。しかし、それでも願わずにはいられない。だから、物語に現実逃避するのだ。
それは決して悪いことじゃない。だけど、現実から目を逸らしても、物語に逃避しても、いつかは現実を直視しなくてはいけない。
「……アリス。行こうか」
「うん」
「あと、ありがとう」
「……うん!」
そして、俺にとっては今がその時だ。
・・・・・
怖い。怖くて仕方がない。
恐怖で気が狂いそうになる。前世で経験した死に対する恐怖とは違う恐怖を感じる。
だけど、今、俺は身体を木に括り付けられており、逃げることができない。
「ジョン、本当にいいのか?」
父さんは錆付いたナイフを持ったまま、聞いてきた。母さんとアリスはいない。家の中で、血まみれになった俺を介抱するために待ってくれている。
目を瞑り、俺は覚悟を決めた。言ってしまえば、後は自分でもどうしようもなくなる。
「いいっ! 切ってっ!」
そう叫んだ。
そして、すぐ、俺は前世で経験した死の痛みに酷似した痛みを感じた。
その痛みのあまり、俺は、気を失った。